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粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

我が愛しの鉄人28号

2014-08-20 19:09:58 | 一般

東京中野にある古書店「まんだらけ」の店頭にあった鉄人28号のブリキ製玩具(27万円相当)が万引きされた事件、一時は店側が監視カメラに映った人物を公開するということで大騒ぎになった。しかし、それは警察の指示で中止された。ただ程なく万引き犯が名乗り出て一件落着となった。

報道によると、犯人は50歳の男で「これを売ってウルトラマンの玩具と交換したかった」と白状した。やはり、50歳では「ウルトラマン世代」だなと思った。むしろ「鉄人28号世代」は我々60歳前後の世代である。

自分たちが小学生の頃は、アニメの二大ヒーローが日本全国の子どもたちの心をわしづかみにした。いわずと知れた鉄腕アトムと鉄人28号である。ただアトムがどこか都会的なイメージがあるのに対して、28号は泥臭い感じがあった。そもそも鉄人28号の風体ががっしりしているがいかつい感じが頗る粗野に見える。シティーボーイのアトムと色黒で?女の子には無縁な田舎少年の28号といったところか。

自分自身、アトムのあか抜けたイメージに憧れながらも、28号の素朴で朴訥な姿に「人間味」を感じていた。しかもアトムは10万馬力のパワーによって自力で活躍できるが、28号の場合は金田少年のリモコン操縦でしか動けない。そんな万能でない「控え目」なところも共感が持てた。

その鉄人28号の特徴をよく物語っているのがテレビのアニメドラマで流れる主題歌だ。(テレビ放映の動画)

 

ビルのまちに ガオー

夜のハイウエーに ガオー

 

ダダダダ ダーンと たまがくる

ババババ バーンと はれつする

ビューンと 飛んでく 鉄人28号

 

あるときは 正義の味方

あるときは 悪魔のてさき

いいも わるいいも リモコンしだい

鉄人! 鉄人! どこへゆく

ビューンと 飛んでく 鉄人28号

 

ビルのまちに ガオー

夜のハイウエーに ガオー

 

ダダダダ ダーンと たまがくる

ババババ バーンと はれつする

ビューンと 飛んでく 鉄人28号

 

手をにぎれ 正義の味方

たたきつぶせ 悪魔のてさき

敵にわたすな 大事なリモコン

鉄人! 鉄人! はやくゆけ

ビューンと 飛んでく 鉄人28号

 

なんのひねりもない単純明快な歌詞だ。ガオー、ダダダダ ダーン、ビューンといった擬音語も素朴で親しみやすい。「正義の味方」とか「悪魔の手先」といった言葉もかつての勧善懲悪ドラマらしく、なんら疑問をはさむ余地がない。

そう、この鉄人28号がヒーローだったのは60年代、高度成長時代だ。東京五輪もその最中に行なわれた。人類の進歩が何の疑いもなく信じられて人々はその明るい未来に向かって邁進していった。

真面目に一生懸命働けば幸せな人生が約束される。その象徴がこの鉄人28号であり、鉄腕アトムであった。怠けて人の富を横取りするのは悪人のすることで、これを正義の味方が懲らしめる。かれらこそ絶対的ヒーローだった。

ただ鉄腕アトムが自力でそのパワーを遺憾なく発揮するのに対して、鉄人28号は少年のコントロールでとてつもない威力を見せ付ける。人間に例えるとアトムが自分の能力で日本をリードする超エリートであるのに対して、鉄人28号は一介の庶民たちが結集して組織の力で日本を動かしていく姿を象徴しているのではないかとと思う。

名もなき庶民たちが動かす多くのリモコンが最後は一つの大きなリモコンになって鉄人28号という日本を動かしていった。そんな28号は今どこかで一休みしているのだろうか。「俺はこれまで精一杯暴れまくったよ」と微笑んでいるかもしれない。もう一度28号さん、活躍してくれませんか、また東京五輪がありますからなんてこちらが頼んだら?彼はどう応えてくれるのだろうか。時代が違うよ、なんていわれかねないが。


パラオの日本軍

2014-08-13 14:52:14 | 一般

南太平洋に浮かぶパラオ諸島、戦前は日本の委任統治が行なわれていた。しかし、ここも第二次大戦では日本軍は米軍との死闘を繰り広げて玉砕を遂げた。この悲劇の裏には現地パラオ人との深い絆があって、今日もパラオが無類の親日国となっている。アジアでのボランティア活動に尽力している池間哲哲郎氏が語るエピソードは70年も過ぎた今も聞く者の胸を打つ。(池間氏の動画7分辺りから13分辺りまで)(小宮山龍一氏の関連ブログ)

1944年、諸島南部にあるペリリュー島は日本軍の基地があって、迫りくる米軍の物量にまさる攻撃を玉砕覚悟で待ち構えていた。何しろ日本軍1万4千人に対して米軍は4万4千人、近代兵器を駆使した圧倒的な物量に対して日本はまるでおもちゃのような銃だけだ。もはや勝ち目はなくせいぜいゲリラ戦で抵抗するしかない。

そんな時に、地元のパラオの男たちが日本軍の中川州男司令官のもとを訪ねてきて「私たちも叩かさせてくれ、日本兵とともに死んでいく」と申し出たという。日頃日本軍とパラオ人とは仲が良くて一緒に飲み食いしたり歌を歌ったり勉強もしたりしていたのだ。しかし司令官の答えはあまりにも冷酷なものだった。

「普段温厚な中川司令官が怒鳴ったという。

「名誉ある大日本帝国海軍の兵士たちは、貴様らごとき土人たちと戦うことはできない。出ていけ!」

これを聞いてパラオの人々は日頃の付き合いは形だけ本当は自分たちを差別していると悔し泣きした。結局パラオ住民は非戦闘地域に避難することになったが、船を出る時も日本兵は見送りにこなかった。しかし、島を離れた途端に中川司令官以下日本兵が突然現れて船に向かって一斉に手を振った。そしてパラオ人と一緒に歌った「ふるさと」や「あかとんぼ」を合唱する者たちもいた。また避難するパラオ人に「達者で暮らせよ」と大声で叫んだりした。

パラオの人々はその姿を見て「土人」と怒鳴ったことの意味を悟った。決した差別していったのではなく、住民が巻き添えをくわずに島から逃げてもらうように敢えてきつい言葉を使ったのだ。その優しさに心打たれて船の全員が号供したという。

戦闘はその戦力の差から3日程度で終わるとみられたが73日間も続いた。ほぼ日本軍の玉砕で終わり、赤く染まった大地に横たわる無数の死体を米軍はベルドーザーで埋めた。しかし、その後パラオ人が掘り起こして再度丁重に埋葬したという、泣きながら。今日島には日本兵の慰霊塔や墓地がつくられ今日まで島民によってきれいに掃除され線香を立て献花が添えられているという。

これが、一部戦勝国や日本の左翼陣営が喧伝する「悪逆非道」旧日本軍の本当の姿である。決して独善的な排他的軍国主義ではない。戦地でも現地人に対して同じ人間として接する日本人がいる。

そして特にこの中川州男司令官に日本人の武士道の典型をみる。自分に厳しく他人に優しい。犠牲も厭わない奉仕の精神。死力を尽くすも最後は運命を悠然として受け入れる。これは同じく硫黄島で最戦死した栗林忠道中将に通ずるところがある。また中川司令官に留まらずパリリュー島で玉砕した多くの日本兵にもいえるのではないか。

こうした尊い英霊に対して、もっと現在の日本人は畏敬の念で遇するべきだと思う。とりわけ彼らが祭られている靖国神社を政争の具にすべきではない。さらに今も日本軍を弔い続けるパラオの人々にも感謝の気持ちを忘れてはならないと思う。

 

スローフード

2014-06-24 20:11:02 | 一般

最近持病の目の病気が芳しくなく、ブログの更新も滞りがちだ。地元の眼科の紹介で本日、東大付属病院で精密検査を受けることになった。検査結果は特別悪くはなかったが、診察は待ち時間が長くて朝9時から午後2時までかかった。

途中昼休み時間があったので、一度東大キャンパスを出て食事できる店を探した。通りは大学の裏通りでなかなか手頃の店がなく結局専門のそば屋にはいった。よくある老舗といわれるような店の造りのしっかりした本格的そば屋であった。

入ったのは12時少し前であったが、すでに10人ぐらい客がいた。さらに自分の後から人が入ろうとしたが、混んでいることを知ってそのまま帰っていった。店は御用聞きのおばあさんがいて、奥の厨房にはその娘とおぼしき女性がいるだけであった。

これでは食事の注文にもなかなか応じられず、客が混んでいるのを見て去っていくのも致し方ない。よく見ると先客の食事が出来ていない。そこで自分自身はお店の定番のように見える「天ぷらそば」(900円)を注文した。案の定、自分に食事が届いたのは全体の4番目で思いのほか早く(実際は注文から15分は過ぎているが)、先客より先に食べるのが申し訳ないほどであった。しかし、お客は中高年ばかりで出来上がりの順番で文句を言う人はいない。

こんな本格的な老舗でそばを食べたのは何年ぶりかと思われるほど久しぶりであった。そして食べた感想だが、満足そのものだった。天ぷらは決して大きくない海老となすとピーマンが入っているだけであった。しかし、そばは本格的な手打ちで、そばの素人でも「コシがある」というのはこんなことをいうのだろうと感じた。おつゆもこれまた「こくがある」という安直な言い方しかできないが、濃厚な味だった。

そばは気持ちボリュームはあったが、具そのものはさほどの量ではないのに、食事を構成するもの全てに「納得感」があって食後は満腹感そのものだった。おそらく、食事の量そのものではなく、気分的に満足しているためであろう。

こんなそば屋は、現代の分類からすれば「スローフード」といえるだろう。今は牛丼、ラーメン、ハンバーガー、カレーなどのチェーン店やファミレスなど外食産業はファーストフードが全盛である。注文から数分のうちに食事が届かないと納得しない消費者心理が働く。今日は「スローフード」の店で15分待たされた。しかし、食事を終えて店を出てその15分は決して長いと思えなかった。

考えてみれば子どもの頃は外食する時はこんな待ち時間は普通だった。いつから、時間を気にするようになったのだろうか。思えば自分自身、食事の時間を惜しむほどに忙しい時期もあった。今はさほど忙しくはないのは寂しい気もするが、こんな満腹感も味わえるとしたら悪いことではないかもしれない。


ブログ移行完了

2014-04-23 15:52:43 | 一般

これまで使用していたブログの運営会社「ぷらら」がサービスを6月一杯で終了するというので、「ぷらら」が推奨するgooに移行する作業を今月7日から始めた。しかし、なかなかうまく実行できずにいたが、やっと今日になって終了することができた。

旧ブログを始めたのが,2011年9月ですでに800回を記事をアップしてきた。それなりに閲覧数は増えてきたが、新ブログに移って閲覧は半分以下になった。まあ、これからもあせらず地道にブログを続けていこうと思う。

gooのブロガーは200万を超えている。「ぷらら」の100倍はいるようなので自分の順位はこの2週間では最高位が29,359位/2,011,778ブログ中というところだ。ワンオブゼム、その他大勢というところだ。富士山の頂上は雲の上、酸欠で呼吸困難にならぬよう肺活量を高めるしかない?

 

ブログ移行のお知らせ

2014-04-06 21:45:42 | 一般

管理人のうるしねまきです。当ブログは「ぷらら」のBroach(ブログ)サービスにより今まで管理運営してまいりましたが、「ぷらら」から本年6月30日をもって提供を終了させる旨の案内があしましたので、当方も4月7日を期して「ぷらら」が推薦するgooに移行することになりました。

gooブログでもブログタイトル「粗忽な夕べの想い」は同じで、URLは以下になります。


http://blog.goo.ne.jp/admisaki

これまでのサイトは当分確認用として残しますが、コメントは新ブログの方にお願いします。なお、ブログのメールは以下の通り以前と同じアドレスで承ります。admisaki@gmail.com

新ブログは多少様式が異なり、ご不自由をおかけする点もあるとは存じますがよろしくご了承ください。今後も粗忽にして独断と偏見も相変わらずと思いますが、何卒お見逃しいただきますようお願いします。

「粗忽な夕べの想い」管理人 うるしねまき



追記

申し訳ありません。gooへの移行がうまくいきません。

gooには当面新規の書き込みのみにさせていただきます。

移行が終了した時点で再度ご連絡いたします。