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粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

おいしいラーメン

2014-03-20 00:52:58 | 一般

最近のインスタントラーメンは本当に味の追求が半端ではなくおいしいと思う。別に宣伝するつもりはないが、「頂(いただき)」というラーメンを食べて実感した。サッポロ一番でお馴染みのサンヨー食品の新商品で社の自信作のようでホームページで盛んに宣伝されている。

個人的に最近臨時収入があったので、インスタントラーメンもちょっと奮発して少し高めのラーメンである「頂」(醤油味)を買ってみた。5袋入りで390円(スーパー価格)、普通のサッサッポロ一番より30円ほど高い。しかし、それは30円をはるかに超える(1袋では6円)おいしさだった。

最近のインスタントラーメンは麺が生麺風に改良されているが、このラーメンはさらに進んでいてほとんど外食店の麺と遜色がないほどだ。いや自分にはそれ以上だとさえ感じられた。

そして、スープも本格的だ。中華あんが程よく入っていて上品なまろやかさがあり、絶品といえる味であった。まるで人気ラーメン店で食べたような至福の気分になった。

こんな手放しの感想を書き綴っていると、自分がサンヨー食品の回し者のよう思われそうだ。何の宣伝費は貰っていないので悪しからず。ただわざわざ自分のブログに書いてしまうくらいだから、おいしいものを食べた思いは伊達ではない。

この「頂」に限らず、日本食品メーカーの味への追求は素晴らしいと思う。おそらく、メーカーの開発者が消費者にこんな至福感を味わってもらおうと日々涙ぐましい努力を重ねているものと思う。多くの試作を繰り返しその度に失敗を経験する。何十回もの失敗後の傑作といえるだろう。そんな匠の味へのたゆまぬ探求に敬意を表さずにはいられない。

おそらくかくも消費者を大事にして、それに向けてメーカーが切磋琢磨することは日本の場合人一倍際立っているのではないだろうか。それこそ日本が誇る匠の技術の結晶であって、早々他国が太刀打ちできないものだと思う。さらにその根底にはお客さんに奉仕する「おもてなし」の心がある。これまた日本が他国を凌駕するものではないか。

自分自身、このラーメンをさらにおいしく食べるために、焼豚も少し高めのものを奮発し、ふだんはいれない「なると」を買い、わかめも国産の良品にした。こういうのを「プチ贅沢」というのだろう。ラーメンを含めて原価では一食分200円もしないだろう。しかし、自分にはこの上ない贅沢気分を味わった。

贅沢するとは何も街の高級店で出費を惜しまないだけではないと思う。もちろん、お店のシェフの腕やおもてなしも素晴らしいに違いないが、こんな食卓の贅沢こそ身の丈にあったものとして大事にしたいと感じる。そしてメーカーの名もない開発者の努力に感謝し思いを馳せることも大切ではないか。


我がブログ史上最多のアクセス数

2014-03-18 15:20:58 | 一般

こんな一介の親父ブロガーにとっては久々の「快挙」かもしれない。まあ、他愛もない低レベルの自慢話と思ってご容赦願いたい。昨日のブログの閲覧カウンターがなんと1637となり、自分のブログでは最高を記録したのだ。さらに、このブログを運営するプロバイダーの人気ブログで3月17日付け分で全国4位に位置した。(今までは200位前後)

普段は1日200にも届かない「しょぼい」ブログだが、時々200をこえることはある。しかしこんな桁違いな数は初めてといってよい。ただ以前1000近くになったことが1回あった。2011年11月6日、ブログを始めて2ヶ月後のことだった。その当時はまだ1日50程度の閲覧であって、その異常なカウントに訳が分からず慌てふためいた。

その解析方法がまだよくわからなかったが、寄せられたコメントを見て大方様子がわかった。当時福島で女子駅伝が行なわれる事になっていたが、反原発派が放射能で若い女子選手が「危険にさらされる」と騒ぎだしていた。そこで自分はブログにそれを全面否定する記事を書いたのが発端だった。

たまたま反原発派の人間が自分の記事を読んで「激高」しわがブログを中傷するツイッターを拡散したようだ。お陰で自分自身初めて「炎上」というものを経験した。コメントの中には自分を「工作員」扱いするものもあった。

そして今度の異常なアクセス、前回の悪夢が一瞬よぎったが、今回は「吉」だった。具体的には3月14日「報ステの捨ぜりふと福島県医科大の満額回答」の記事に対する反応だった。先週11日放送されたテレビ朝日「報道ステーション」の「福島での県民健康検査」に関する特集について自分のブログで、その偏向性を批判したものだった。

今は時間の流れを感じる。3年前なら、反原発論壇がネットで猛威を振るい、これに異を唱える主張や言説はは忽ち攻撃の対象にされた。しかし、今はそんな嵐も過ぎ去り原発問題を冷静に見つめる素地が出来てきている。今回のブログではこれまで自分が敬愛する信夫山ネコさんicchouさんosatoさんから記事を好意的に引用していただいた。さらに今回は「ゆーくぼ」さんという方のツイッターでこれまたこの記事を紹介していただいた。これが100を超えるリツイートを呼ぶことになって反響は忽ち拡散していった。こうした結果が昨日の1600回以上のカウントと相成った次第だ。

自分の拙いブログがこんな拡散をいただくことはブログを書き続ける人間の記者冥利に尽きる。今日もその余波は続いている。しかし、これもすぐ一段落してまたいつものしょぼいブログに戻るだろう。ただ、「炎上した3年前」とは明らかに状況は変わってきている。いまや反原発の叫びに異議を唱える声がしっかり根を下ろしている。それが確かな共鳴を及ぼしお互いを結びつけるという好循環を生んでいる、それを強く実感するのだ。




謹賀新年

2014-01-01 09:28:14 | 一般

今年も、社会問題や日常の事を自分なりの切り口で書き綴っていきたいと思います。

時に脱線したり、墓穴を掘ったりすることもあるかも知れませんが、よろしくお願いします。

自分の性格はどちらかというと、物事を楽観的に考えるところだと思います。

それが長所でもあるし、欠点でもあります。

まあ、焦らず気長にこの一年を過ごしていきたいです。

「よき事はかたつむりのスピードで進む」(マハトマ・ガンジー)



引っかかる言葉

2013-12-03 13:53:58 | 一般

今年の流行語大賞は、「倍返し」「おもてなし」「今でしょ」「じぇじぇじぇ」の4つが選ばれた。自分自身は冒頭に挙げた順番で印象度が高い。あまり、NHKの朝のドラマは見ていなかったからちょっとピンと来ない。半沢直樹のドラマは好きで毎週見ていて、自分のブログでも引用したことがあった。

ところで、テレビなどで発せられる言葉で最近ちょっと引っかかる言葉がいくつかある。ひとつは「温度差」という言葉だ。この言葉はテレビの出演者でも記者や評論家などインテリ層でよく聞かれるが、なぜか好きになれない。これに関しては、最近武田邦彦中部大学教授も指摘している。教授は、そのブログで「認識の違い」などが適当ではないかとしているが、確かにそうだ。

武田教授に対しては、日頃原発問題で意見を異にすることが多いが、それ以外ではたまに100年の友?のように共鳴することがある。今回のブログでは中心は東京裁判や環境破壊に関することだった。環境破壊については異議があるものの、東京裁判を教授が「東京リンチ」とすべきだとする考え方には同意する。

「温度差」については一つの例えとして挙げているだけだが、なかなか的を射ている。「適当な言葉がなければ見当はずれの言葉を使うのが今の新聞記者です」という指摘には納得がいく。

どこかシャレた響きがあるが、事の本質が曖昧にしている感じがする。意見や感情の対立している現実があるのに、その具体的分析を怠って都合の良い「温度差」という言葉で済ませる安易さを感じる。例えは悪いが、売春を「援助交際」と置き換えるようなものではないか。

一つ目とは全く関連性はないが、二つ目の引っかかる言葉は、地図で方角を示す表現だ。具体的には東西南北の方角を右側、左側、下、上、」と呼ぶ言い方だ。これは主に文章よりも口述の場合がほとんどだ。普通のタレントが使うのはやむを得ないとしても、会話のプロというべきアナウンサーが使うのには興醒めする。

高校時代、地理の成績は芳しくなかったが、地理教師から注意されたことを今でもよく覚えている。「地理で地図に関して上とか右側という言葉は絶対禁句だ」と。その戒めが40年過ぎた今でもある種トラウマとして残っている。だから、テレビでその禁句がたまたま飛び出すと強い抵抗感を覚えてしまう。

ただ方角ではなくて同じ「位置」を示す言葉で今では笑い話になってしまう経験がある。学生時代、アルバイトをしていた時にそこの社長と同乗したことがあった。その社長は運転席のガソリンメーターを見たとき、「もうすぐガス欠になる。針がエンドの近くになっている」と言った。

その後わかったのだが、この社長、メーターのFとEをファースト(first・最初)とエンド(end・終わり)だと勝手に思い込んでいたようだ。もちろん正確にはフル(full・満杯)エンプティ(empty・空)となるのだが、一代で会社を築きあげた社長の自信ありげな物言いに圧倒されて敢えてこちらから口を挟むことはできなかった。愛すべき社長でその後は会っていないがどうしているだろうか。


10万回のアクセス

2013-11-14 18:50:27 | 一般

全く個人的な話題で恐縮だが、自分のブログがやっと10万回のアクセス件数を記録した。2年前の9月2日からだから、2年2ヶ月12日ということになる。その間書いた記事は687件にも上る。数だけは多い。この分量を文庫本にすれば3冊ぐらいにはなるかもしれない。

まあ内容的には推して知るべし、とりとめのないものが多い。所詮ブログという日記でしかないだろう。それでも書き始めた当初は震災や原発事故の記憶がまだ生々しく世間的にもある種緊張感が漂っていた感じがする。特に反原発派の言論が勢いがあって、こちらも自分なりに緊張感をもって臨んだように思う。

しかし、現在反原発派も分裂を繰り返しメディアの関心も大分落ち着いている。ひと頃興隆を極めた官邸前デモも完全にしぼんでしまった。当時のある異様な空気も雲散霧消していった。

ただ、いまだに反原発派が流し続けたガスが日本人の心のうちにトラウマとしてくすぶっているのは確かだ。自分自身もそんなもやもや感に襲われることがある。何か心をたぎらせる新しいソースを見つけたい。世間的にも個人的にも。

どうも愚痴めいた話になってしまった。多いとはいえないが、こんな拙いブログを読んでいただいてくれる読者には感謝しています。苦言を呈する方を含めて。今後どういう方向へ進むか自分でもよくわかりませんがよろしくお願いします。