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粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

山本太郎当選はマスコミの甘やかし

2013-07-22 11:58:44 | 煽りの達人

今日は朝の目覚めが悪い。いうまでもない?山本太郎の当選がその理由だ。敢えていわせてもらえば最も当選させたくなかった人物だ。彼の放射能への過剰な忌避は目に余る。たとえば、昨日NHKのインタビューで次のように発言している。

「いま1キロあたり100ベクレルは、放射性廃棄物と同等なんです。低レベル放射性廃棄物、それを国民に食べさせて、安全とする政府、国なんで、もう、話にならないんですよね。国民全員が低線量被曝しろっていう話なんですね。」

放射性廃棄物100ベクレル/キロという基準は、取扱業者がそれ以下であれば放射性物資として扱わないレベルであり再利用が可能だ。しかも主に外部被曝を指している。食品基準の100ベクレル/キロは内部被曝を対象にしているもので全く次元が違う。内部被曝は、実効線量という別の計量で考えるべきものだ。

被曝に関する初歩的な知識もおぼつかない。その彼が「国なんて話にならない」などと勇ましいことをいっても信用できない。「国民全員が低線量被曝しろという話」というのも彼特有の被害意識に過ぎないと思う。

さらに彼は福島原発事故の汚染がチェルノブイリ事故の4倍であると認識しているようだ。もちろん、実際は8分の1程度で、誤認も甚だしい。

こうした彼の偏った認識による言動が被災地とりわけ福島の人々をいかに苦しめているかは枚挙にいとまがない。子どもたちの集団疎開を鼓舞したり、酷いのは福島の女性は子どもが産めないなどといった差別発言をしている。

しかし、彼の無軌道な言動を許してきたのは、多くのメディアやジャーナリストであると思う。彼らが「脱原発」を唱えることは結構だが、放射能の健康被害を誇張することで正当化することが問題なのだ。脱原発と実際の放射能汚染とは分けて考えてなければならない。しかし現実は、今福島ではこうした健康被害が起こっているあるいは今後起こる可能性があるということを理由にして脱原発が論じられていることが多い。

そのためには山本太郎のような「鬼っ子」を利用するのも厭わないというのが、メディア特に反原発メディアのスタンスであったのだ。つまり山本太郎らを増長させたのはこうしたマスコミなのだ。

彼も一応役者の端くれだ。自分をメディアに売り込む術を心得ている。芸人特有のパフォーマンスもなかなかだ。残念ながら?こうしたメディアを通じて今回一部東京都民もその催眠術にかかってしまった。

ただその催眠もそう長くは続かないとは思う。その時期がいつになるかそれはメディアの対応にかかっている。脱原発特に原発再稼働を阻止するために、この「鬼っ子」を利用し続けることがあれば、国民の「覚醒」はそれだけ遅れることになる。



風評被害の宝庫「武田ブログ」

2013-07-08 13:36:38 | 煽りの達人

くどいといわれるかもしれないが、また武田ネタである。武田邦彦中部大学教授ブログ(7月1日)「繰り返し子どもを被曝させようとする人たちの心?」

この教授、東北や関東になにか恨みがあるのかと思うほどに被災地を執拗に攻撃している。音声で話された内容で問題点を列挙しておこう。


1)読者からの情報のよると近郊の食材だといって子どもにすすめる。たとえば宮城の水揚げの魚、宮城の蔵王牛の肉を食べさせるということです。こういう自体が野蛮なんです

2)東京の小学校では5、6年になると群馬や栃木に泊まるという宿泊行事をわざとする。別にいかなくてもいいのに補助金をもらうとか校長先生がたっぷり見返りを貰うんでしょうね。

3)給食では椎茸とかタケノコとか汚染されている可能性のものがどんどん出され、三陸沖の鰹や北海道のいかとか福島産のきゅうりが出る。なんで出るからというと大人が買わないからですよ。

4)ベクレル基準値40ベクレル今の食品の安全委員会100ベクレルというのはインチキですからね。40ベクレルをはるかに超えるような食材がでている。

5)放射性物質で汚染された食材を子どもたちに食べさせるのは、目に見えないナイフを振り回しているのと一緒ですよ。なんで見えないですかね。

6)自分たちの子どもたちがかわいいければ宿泊行事は群馬や栃木に行かなければいいんですからね。別に。それと食べ物も関西のものを食べればいいですからね。…日本の子どもが宝なら宝なりのことをしなければならない。


まず教授がこの記事を展開する上で「読者の情報」をもとにしていることだ。もちろん教授自身が現地調査をして独自に「検証」しているわけではない。悪くいえば不確かな情報を鵜呑みにしている。おそらく、現地の読者が自分たち周辺の食材を民間の放射能測定所に持ち込んで調べたものであろう。

農家からのものを自治体、農協やスーパーが公式に大掛かりに検査するのとは違う。一部読者の偏った情報だけでその地域の産品を論ずるのは無理がある。三陸の魚、北海道のいか、宮城の蔵王牛、福島のきゅうりなど生産農家や漁業関係者は「エライ迷惑」だろう。大人が買わない?買わないように煽ったのは誰かと聞きたい。

群馬、栃木の観光地に対しても「子どもは行かなくてもいい」というのも「営業妨害」も甚だしい。なんの科学的な根拠なしにこうした観光地を攻撃するのは偏見以外何ものでもない。線量が子どもの健康被害を与えるほど高いという根拠をはっきり示すべきだ。現にここでずっと生活している人々に失礼極まる話である。

まして、校長先生が業者からお金をもらっているとか、官庁から脅しを掛けられているとか、勝手な憶測で学校を攻撃するのに及んでは呆然としてしまう。とても大学教授の言葉には思えない。

さらに教授は食品基準をキロ100ベクレルはインチキで40ベクレルが正しいと言い切っているが、その根拠はどこにあるのか。教授はいつ法案を通過させたのか、野田前首相、安倍首相はご存知ですか?武田基準を法令化させる実力が教授におありなら憲法改正も簡単かも?。

果ては「目に見えないナイフを振りかざす」と教授は正に恐怖を煽るお決まりのパターンだ。そこには「子どもの命」が錦の御旗のごとく振りかざされている。日本人の情緒に訴えるという展開はどこかのカルト的な市民活動家さえ思い起こしてしまう。風評被害の宝庫、まさにバイブルというべきものだ。


追記:原発事故以来、武田教授を正面切って批判的に論じたメディアはほとんどない。週刊新潮が唯一といってよいだろう。「おつる」さんという女性?のブログでその記事が全面掲載されているので、紹介させていただく。「放射能 ヒステリー」を煽る「武田邦彦」中部大学教授の正体「週刊新潮」2011年7月28日号


安心は数値化できない

2013-07-06 13:51:07 | 煽りの達人

昨日5日行われた東電廣瀬社長と泉田新潟県知事との会談は、両者の思惑の違いから後味の悪い結果になった。柏崎刈羽原発原発再稼働の安全申請に、地元の新潟県の了承を得る必要がありその会談だったが、再稼働を急ぎたい東電とこれを阻止したい知事では同意を得るのは相当困難がある。自分には泉田知事の意地の悪さばかりが印象に残り不快だった。

ところで、泉田知事の発言で特に気になった言葉がある。「大勢の方が不安に思っている」、「どうして不安の解消に努めないで申請したのか」、「不安を解消する安全よりもお金を優先したのか」と知事の口から何度も「不安」という言葉が飛び出す。結局、知事にとっては不安が解消しなければ原発再稼働などあり得ないということだろう。

しかし、この不安解消して安心を得るということはどういうことか。これが「安全」ならば、ある程度想像がつく。地震や津波に対する耐震強化、非常用電源や炉心冷却系の強化、格納容器破損防止、放射性物質の拡散防止などに対応した具体的な対策がとられるこになる。これは要するに「安全対策」である。

しかし、では「安心対策」というものは一体どういうものなのだろうか。そもそもそんな対策などありうるのだろうか。考えてみれば不安というものは個人個人が違う。高所恐怖症の人がいる一方でさほど恐いと感じない人もいる。

原発事故での放射能被曝も同様である。いまだペットボトルで飲み東日本産の食材を拒否し、窓を閉め切って外出時にはマスクをして出かける人がいる。おそらく原発が再稼働しただけで恐怖を訴える人が出てこないとも限らない。原発周辺住民の安心を全て解消することは不可能なことに違いない。

安心を数値化できない。文字通り心の問題だからだ。人によって不安度が限りなくゼロでに近い人があれば、無限大(∞)に恐れる人もいる。泉田知事がいう「不安の解消」を徹底したら「百年河清を待つ」のごとく不可能になってしまう。おそらくこうした知事のもとでは原発再稼働は難しい気がする。早くもネットでは泉田知事を英雄扱いをする向きがあるが、はたしてそんなに持ち上げていいものなのか。

追記:泉田知事の「前科」(震災がれき広域処理での殺人発言)をなぜメディアは問題にしないのか。その暴言を知っていればこの知事を褒めはやすことなどできないはずだ。


泉田新潟県知事がまた吠えた

2013-07-03 11:59:52 | 煽りの達人

あの知事が久しぶりに「健在」ぶりを示した。放射脳いや泉田裕彦新潟県知事が柏崎刈羽原発の再稼働の動きにすかさず反応し、吠えたのだ。

東京電力は2日、柏崎刈羽原発6、7号機の再稼働を原子力規制委員会・原子力規制庁に早期に申請する意向を表明した。これに対し地元新潟県の泉田裕彦知事は「立地地域との信頼関係を構築する意思がないものと受け取らざるを得ない」などとコメントし、強い不快感を示した。(2日東京 ロイター)

「立地地域との信頼関係」と、この放射脳いや泉田知事(しつこいのでこれくらいにします)は、力説している。しかし、この人物のこれまでの言動を少しでも見聞きしている者ならば「立地地域」云々がいかに空々しい言葉かがわかるはずだ。

岩手県の震災がれきの広域処理を進める県内3都市の自治体の動きに対して、知事は健康被害を受ける人が出ると傷害。それによって亡くなれば傷害致死と言いたいが、分かっていてやったら殺人に近い」と暴言を吐いて関係者を唖然とさせた。被災地がれきの放射性濃度が新潟とさして変わらず、ほんの一部を新潟のゴミと混ぜて焼却するのにこの騒ぎである。新潟県民も呆れるばかりか、岩手県民にとってはやりきれない発言である。

この知事が「立地」云々を錦の御旗のごとく振りかざすのを見て不快に思うのは自分だけではないだろう。昨日のニュース番組では、この問題について泉田知事が当地の代表者として扱うのには大いに疑問が残る。

もちろん新潟県知事という立場は刈羽原発再稼働に関してはキーマンであることは間違いない。しかし、知事が全てではない。本当の地元柏崎市の市長はどうなのか。そして県民はどうなのか。

こうした多くの声を軽視して、泉田知事の発言だけをメディアが取り上げることには報道する側の意図が見えてきてならない。要するにそのメディア自体が原発再稼働に反対だから、その面での急先鋒の知事の言葉を借りて世論誘導する意図が見え見えなのだ。

泉田知事は「福島事故の検証・総括なくしてなぜ安全基準が作れるのか」と原子力規制委員会の安全基準を問題にしているが、もちろん事故の検証・総括は重要だろう。それならば敢えて問うが、事故での放射能による健康被害はどうであったろうか。

高市発言で大騒動になったが、放射線被曝による死者が一人もでていない。病人さえも確かな報告がない。それは国連の科学委員会の報告でも裏付けられている。泉田知事が懸念する「殺人」などありようがない。もちろん事故による避難での影響は十分配慮すべきであるが、事故を必要以上に過剰に評価することは問題が多いと思う。

原発再稼働に関して一人の人物の発言を突出させるのはメディアの報道責任放棄にさえ思う。それも原発事故認識が偏向した放射脳(最後にまた失礼!)いや泉田知事の主張に一方的に与することはあってはならないはずだ。


武田郡山講演の真相

2013-07-01 15:19:01 | 煽りの達人

以前(6月20日)のブログで武田邦彦中部大学教授の郡山講演の1日を書いたが、講演の様子がよく確かめられなかった。ここへきて少しづつ真相が明らかになってきた。

最初の記事では「疲れ気味に見えた」と、印象だけを記したが、本当は相当疲れていたようだ。実は演壇に登場するとき、太鼓の音に思わず両手を上げたが、それに気づいてあわてて下ろしたと書いた。しかし客席にはわからなかったが、、手を急いで下ろそうとした時、間違って右手で自分の右頬を打ち付けたようだ。少し右頬が腫れたようだが、いざ話して見ると、多少ロレツが回らない部分があった。

たとえば「1ミリシーベルト」が「1ムリシーベルト」になり、「あまり安心とはいえない」が「あおり安心とはいえない」と聞こえる。「でも、子どもの命が」というところが「でま、子どもの命が」になってしまう。

挙げ句は「わたしの基礎は」というところがどういうわけか「わたしのうそ」とさえ聞こえてしまう。

当初、その発音の不具合に、盛り上がりを期待した聴衆も気まずくなって、一瞬異様な沈黙が支配した。しかし、それが何度も繰り返されるうちにブーイングが起こり、それも段々大きくなっていった。最後はブーイングを通り越して退席する人が続出した。

講演が終わってみると、残っているのは会場の前列を陣取っていた武田教授の熱烈な支持者10数人だけであった。主催者代表の外手氏は怒り、悔しさ、情けなさなどが入り交じった複雑の表情をしていて、いまにも何か言いたげであったが、無理矢理こらえている様子が見て取れた。

ディナーでほろ酔いに見えたのは、やけ酒だったのかもしれない。しかし、福島のおいしい郷土料理は、教授の荒れた心を和ませ爆睡させるほどの美味であったようだ。口が裂けてもこれからは「福島の食材」云々と騒ぎ立てることはできないと思うが。


※お断り:この話はフィクションであり登場人物は実在しません。ただ私の半年遅れの初夢?かもしれません。また福島の郷土料理が美味なのは正夢ですが。