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粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

「官邸前デモ」風評被害の種は尽きない

2015-05-14 22:25:15 | プロ市民煽動家

この人たち、いろいろな「官邸前デモ」を繰り返す。その発端はどうもあの「反原発」のようだが、安倍内閣が誕生して以来その頻度が増えている。特定秘密保護法、集団的自衛権の行使容認、基地問題、最近では中東での日本人人質事件が記憶に新しい。イスラム国のテロを全く批判せず安倍首相の中東政策を批判する不可解な主張は一般国民の理解の域を超えている。

これらのデモには、なんとかの一つ覚えのようにともかく「反対」で彩られる。まるでプラカードはそれぞれの課題に応じて「差し替え」しているかのようだ。そして、その顔ぶれをみると、以前のテーマで集まったかのような「リベラル左翼」の人々だ。それも一介の市民を装った「プロ市民」である。

その証拠に本日の「戦争法案、絶対反対」「閣議決定、勝手に決めるな」のデモを主催したのが作家の鎌田慧なる人物だ。この人、こうした左派系のデモには必ず登場して一席をぶつ「札付き」の人物である。これに大江健三郎、澤地久枝、瀬戸内寂聴、湯川れい子、落合恵子といった常連が加わる。そして彼らの煽動に「プロ市民」たちが群がってあの独特の「官邸前デモ」が形成される。

彼らの主張の特徴は一般国民の「情」に訴えることだ。「放射能汚染から子供たちの未来を守れ」「若者を戦場に送るな」「将来を自由のない暗黒社会にするな」などと「母性」を強く意識したものが圧倒的に多い。今回の安保法制に関しても「戦争法案」と決めつけて子供を持つ母親たちへの恐怖感を煽る。

それは、別な言い方をすればいわゆる「風評被害」といえるのではないか。風評被害は原発事故の際盛んにこうしたリベラル左翼から仕掛けられた。今にも子供たちが被曝して健康被害が拡大するような煽りぶりだ。そして「福島には住めない」といった究極の風評被害が生まれる。

しかし、原発事故による被曝で一体何か健康被害があっただろうか。将来起こりうる予兆でもあるのだろうか。「否」である。また原発事故で大地が汚されたというが、魚や動物が大量死したり奇形が生まれたりしただろうか。植物が枯れて荒涼たる大地が出現しただろうか。

次に最近の話題ではいえばオスプレイだ。東京の横田基地に米国空軍がオスプレイを配備するということで周辺の自治体がこの決定に抗議した。しかし、これも「オスプレイ危険」を喧伝するプロ市民たちの抗議電話に自治体が過剰反応したものと考えている。

2年前に沖縄普天間基地にオスプレイが配備されたとき沖縄でも危険だとして配備反対運動が起きた。その先頭をきってデモを主導したのが当時の翁長雄志那覇市長である。しかし、その翁長氏は知事になって辺野古移設に反対はしても、オスプレイの「危険性」については完全に沈黙している。もはや沖縄でオスプレイの危険をとやかく言う声は聞こえない。結果的に「風評被害」そのもだった。

今回の安倍内閣の安保法制もその類いのものだと思う。世界の軍隊が当然持ち合わせている集団的自衛権のほんの一部(ポジティブリスト)を日本が新たに法制化するのに過ぎない。極めて限定されたものだ。それで戦争になるというのなら、世界中で戦争だらけである。自衛隊の活動範囲が広がっただけで戦争になるというのはある種「風評被害」と考えてよい。

世に「風評被害」の種は尽きない。しかし、現在の特徴はその多くがいわゆる「リベラル左翼」によって撒き散らかされていることだ。もういい加減、一般国民はその風評被害のうさん臭さを認識して冷静な対応すべきだと思う。


青山繁晴VS香山リカ

2015-05-04 15:15:10 | プロ市民煽動家

最近あるスカパー放送での「事件」が話題になっている。自分自身、評論家の青山繁晴氏のある動画を見終わり、そのままにしていたら、青山氏関連の別の動画が自動的に再生された。4月30日放送のスカパー放送虎ノ門ニュース8時入り」での収録内容が動画として既にネットで登場しているのだ。

この番組は毎週日替わりでジャーナリストや学者など識者がコメンテーターとして出演し、最新の国内外の話題を論じるものだ。(なんとあの武田邦彦中部大学教授もそのひとりだ)30日木曜日は青山氏の出演だが、番組冒頭から過去の番組のお詫びの話だった。(動画最初の約16分間)

先週金曜日に出演したコメンテーター二人ととMC(司会進行)での間で起こった「不適当」なやり取りについてだ。彼らが別の日に出演する青山氏と視聴者を中傷したためだ。それが騒ぎとなって、チーフの山田氏とMC(金曜担当とは別の人物)が青山氏にお詫びすることになった。

先週金曜日のコメンテーターは精神科医の香山リカ氏、経済評論家の須田慎一郎氏、そしてMCがサンキュータツオなる人物だ。番組でも一息入れるブレイクタイムでの会話であり、彼らの本音が飛び出す時間帯でもあった。話題は番組の視聴者数についてで、どのコメンテーターの時が多いかということだった。青山氏が一番ということから話は青山氏とその視聴者そのものに発展していった。

 

山田氏の説明によれば、先週金曜日の放送の雑談枠で、精神科医の香山リカ氏が、青山氏を出待ちする視聴者を「信者」と称すと、経済評論家の須田慎一郎氏も「宗教だから」と同調し、金曜司会のサンキュータツオは「ネトウヨも付いている」と発言したという。

さらに、サンキュータツオは「(青山氏がいる)木曜は毎回、(スタジオの)外にファンがいらっしゃる」というスタッフの言葉から、そのファンの方々に向けて「仕事しろよ!」と発言したというのだ。(ニュース記事より)

 

香山「信者」須田「宗教だから」サンキュー「ネトウヨがついている」「仕事しろよ」。どれも青山氏とその視聴者に対する批判だ。このうちサンキュータツオの二つが酷く、誹謗中傷といってよいが、ここでの言い出しっぺは香山の「信者」発言であり重大ともいえる。

青山氏はこの場に当事者がいないことから「欠席裁判」はしたくないとまず前置きした。ただ彼が香山氏に対しては「精神科医」と呼び、須田氏に対しては「須田さん」と実名をだしたことに自分自身気になった。青山氏の二人に対する「距離感」に差があるように思う。どちらかというと香山氏に対しては疎遠であるばかりでなくある種「不快感」をもっている気がする。「あの精神科医が勝手なこといっている」というのが青山氏の本音ではないか、小生の下司の勘ぐりではあるが。

しかし、青山氏は「僕のこと(自分への中傷)はこれで結構です」と断った上で、彼に賛同や共感を示す人を「ファン」とひとくくりに呼ぶことに苦言を呈し「自分の問題提起を通じて自分で考えている視聴者」だと評価した。その上で「今、(「ネトウヨ」とか「仕事しろよ」とか)口に出しただけでも煮えくり返りますけれども。(視聴者やこのスタジオに訪れた人に対して)謝ったからといって済まされることではない」と声を荒げた。そして「発言なさった方は僕のことではなくて視聴者国民に対する失言について、その生き方にさかのぼって謙虚にお考えになるべきです」と忠告した。

さて、その「生き方」を問われた当事者はどんな反応なのか。香山氏もとりあえず、他の二人とともにこの件で青山氏と視聴者に、お詫びのコメントを出し、チーフの山田氏が青山氏の前で読み上げた。

「…青山氏の人気に驚嘆し(青山氏のファンに対して)『信者』という言葉を使ったのは事実です。ただし、国語辞典にもあるように1宗教の信仰者の意味以外に、2ある人物の思想、人柄に心酔している人という意味もあります。わたしとしてはいうまでもなく、この2の意味で申し上げたままで、宗教、信仰という発想は心にもありませんでした。…ただ信者という単語を1の意味で受け取られ不快荷思われた方がいたことは遺憾に思っております。その方たちならびに青山様にはお詫び申し上げます。」

なんとも「精神科医」にしては言い訳がましく潔さがない。そもそも信者が2の「心酔者」の意味であると彼女が弁解しても青山氏は納得しないであろう。青山氏からすれば視聴者は「自分で考える人々」なのだから。カリスマの主張に誘導されるだけで自分の意見をもたない軽い対象ではない。

青山氏は最後に「ファンとか安直なレッテル張りをしないこと。自分の御意志をもっている方をちゃんと尊重しないと(いけない)と思います」と釘をさして締めくくった。これは香山リカ氏らに対する痛烈な批判といえるだろう。レッテル張りする精神科医者に対して。

しかしながら、騒動はこれだけで終わらなかった。香山氏は一度はお詫びをしながら、実際は本音を自分のツイッターでつぶやいていた。(その後削除)

★私も須田さんもタツオさんもびっくり。とくにタツオさんが熱く怒っています。彼は「学者芸人(笑)」というだけあって表現の問題にこだわりがあるので。でもここでやまては「完全勝利」などと言われるので、つまんない仕事だけど6月まで続けようと相談しています。青山繁晴、池田信夫ホント下劣です。

これが香山リカ氏の「お詫びの真相」である。反省のかけらもない。むしろ青山に対する憎悪剥き出しである。また「つまんない仕事だけど続ける」などとこの放送局を完全になめきっている。この精神科医の「精神構造」に疑問無限大だ。青山氏がいみじくも「生き方にさかのぼれ」と厳しく忠告したことが強烈に思い起こされる。

追記1:このツイートに関して、香山氏は「乗っ取り」で他人がなりすまして書き込んだことを主張しているが。

追記2:しかし、その後香山氏の「乗っ取り」という弁解は極めて虚偽に近いことがあきらかになった。すなわち、最初のツイートは本人の書き込みである可能性が高い。


脱原発デモ遠くになりにけり

2015-03-09 18:55:10 | プロ市民煽動家

原発事故直後、首都東京で活発な原発反対運動がメディアの注目を浴びて、これがまるで「国民の民意」であるかのように持ち上げられた。特に毎週金曜日に繰り返された脱原発デモは一時は動員15万人を豪語するほどの勢いであった。

そして、事故後4年目となる直前の昨日8日、都内でこれまでのデモを主導する団体が大規模デモを呼びかけた。集まったのが主催者発表で2万3千人の人々だった。ただ、NHKの報道では毎年この時期に行われる大規模デモであるが、年ごとに1万人ずつ動員数を減らしているという。本人には失礼だが、集会で演説したのが、宇宙飛行士とはいってもほとんどズブの素人といってよい秋山豊寛氏では寂しすぎる。

ただ、変わらないのはデモ隊の掛け声である。原発反対、再稼働反対、である。出席した女性がインタビューで「年齢に高い人ばかりで若い人が少ない」といったことを話していた。しかし、こんなお念仏のようなデモでは若い人も集まりにくいだろう。原発避難民の現状のことも口にしているが、あまり実感として伝わってこない。

言い方は悪いが、自分たちの嫌原発の情緒だけで行進しているように思える。日本の大衆デモとは所詮こんな現実世界とは遊離したものといってしまえばそれまでだが、脱原発を唱えるのなら、日本のエネルギー政策に新たに提案をするものがあってほしいとは思うのだが…。

同様なことは、集団的自衛権行使反対、秘密保護法反対、憲法改正反対といった国家の根幹をなす問題に対してもいえる。あるいは、最近のイスラム国による日本人人質殺害事件についてもしかりだ。これらのデモは、まるで呼びかける言葉自体をただ差し替えているだけと思えるほどパターンが一緒だ。そして脱原発デモ同様情緒的に見える。

こんなデモを繰り返していけば、いずれ国民から遊離していくのは目に見えている。脱原発デモ、遠くになりにけり、だ。朝日新聞の朝刊でも昨日のデモのことは、写真はあるもののベタ記事といってよいほどの小さな扱いであった。一時はあれほどこのデモを賛美していたのに。

折しもドイツのメルケル首相が訪日し自国の脱原発政策を日本にも勧めるようである。しかし、ドイツも原発ゼロを目指しているが、必ずしも脱原発はメルケル首相の思惑通りには進んでいないようだ。再エネを奨励することで逆に国民の担う負担の重さがここにきて表面化している。

ただドイツは自国が原発を止めても周辺国の原発を当てにすることができる。しかし日本はそれが容易にできない。今こそ、日本は将来的なエンルギー政策に対して責任ある議論がなされるべきである。もはや脱原発デモで浮かれている場合ではない。


辺野古のテント、明日は我が身

2015-02-26 19:46:29 | プロ市民煽動家

原発事故で反原発の気運が沸騰したが、特に東京都心ではそれを象徴するものが二つあった。毎週金曜日に行われた官邸前デモ、そして通商産業省の敷地内の「脱原発テント」である。前者は  一時は「社会意識」に目覚めた一般主婦tちも巻き込んでヒートアップしたが、いつの間にか雲散霧消、それこぞかりそめの泡のごとくはじけてしまった。

そして、もう一つのテントも反原発メディアによるヒーロー待遇は一時の徒花、もはや話題を避けるようなお荷物扱いだ。しかし、都心の一等地という居心地のよさに、テントのホームレスたちはずるずる居座り続けた。もちろん、これが違法行為であることは変わりがない。一昨年より国から立ち退きを求められ訴訟が起こされていた。

その判決が26日下った。東京地裁が立ち退きと土地使用料約1100万円の支払いを命じたのだ。どうもこの金額が高いのかどうかよくわからない。しかし、反原発の気運の中、時代の寵児も過去の話、もはや孤立無援で救いを差し出そうという人もいない。おごれる者久しからず、自業自得というしかない。

そして、同じテントでも今日本の南端での違法テントが同じ運命を辿ろうとしている。沖縄辺野古の「新基地反対テント」である。しかし、テントの敷地は国道の占有部分であり、国道事務所が立ち退きを求めている。辺野古住民からも交通に支障があるという苦情が出ている。テントに陣取るプロ市民活動家たちの違法行為はとても住民には容認できないものだった。つまり、辺野古の反対運動が決して周辺住民の賛同を得ているものではないことがわかる。沖縄のマスコミがこの現実を報じないばかりか中央のメディアの多くも同様なのは全く理解に苦しむ。

活動家たちはテントを交通に支障が少ない緑地部分に移動する方針のようだが、同じ国道占有地であり違法行為であることに変わりがない。活動家のテント移動を阻止すべく機動隊も出動したようだ。通商産業省のテントのように国は緩く甘い態度ではない。沖縄の活動家に対して相当強硬にみえる。それだけ沖縄の活動が異常といってよい。米軍、防衛省ばかりか、住民の反発も激しく、テント立ち退きの圧力は想像以上だ。

反原発も沖縄の基地反対も結局は一部プロ市民活動家のプロパガンダの一環に過ぎないと思う。一時的には一般市民も騒動の渦に巻き込まれるが、その実態が明らかにされるにつれて潮が引くように離れていく。もはや皆見向きもしない東京都心のテント、辺野古でも同じ運命が…。


グータラ左翼の子守唄

2015-02-13 21:00:37 | プロ市民煽動家

今週、ある言論人たちの「声明」が世間の耳目を集めた。

政権批判を自粛する空気が社会やマスメディアに広がるのを危惧する」 作家や映画監督、ジャーナリストら言論人が「声明」を

ISIL(イスラム国)」による日本人の人質殺害事件が発生して以来、現政権への批判を「自粛」する空気が社会やマスメディア、国会議員に広がっていることを危惧するとして、作家や映画監督、ジャーナリスト、音楽家など、表現活動にたずさわる人々が2月9日、「翼賛体制の構築にこうする言論人、報道人、表現者の声明:を発表した。 

声明には、映画作家の想田和弘さんや社会学者の宮台真司さん、憲法学者の小林節さん、元経産官僚の古賀茂明さんのほか、音楽家の坂本龍一さんや映画監督の是枝裕和さん、さらに孫崎享さん、平野啓一郎さん、香山リカさん、内田樹さん、森達也さん、吉田照美さんら、多数の「表現者」が名を連ねている。その数は1000人以上にのぼるという。

宮台真司、坂本龍一、孫崎享、香山リカ、内田樹といった顔ぶれを見れば、彼らの言わんとしている主張が想像できる。原発問題で一時名を馳せた「反原発長者」たちである。賛同者に吉田照美やおしどりマコといった普段ならとても言論人といえない人物も名を連ねているのはお愛嬌というべきか。

反原発の嵐が沈静化したと思ったら今度は、秘密保護法や集団的自衛権に容認といった安倍内閣の政策にことごとく反対する。そして、憲法改正へ邁進しようとする安倍政権は「戦争できる国」へ向かう危険な政府と映る。国民の自由が奪われて戦前の暗黒時代が再現される。彼らのそんな危惧は「翼賛体制」という表現に如実に現れている。安倍首相が日頃唱える戦後レジームからの脱却への強い警戒感である。

ただ、今回の表明では、何も安倍政権に抗議しているわけではない。あくまでも「現政権を批判を自粛する「空気」に対して言っているのである。具体的には自分たちがテレビや新聞、あるいはネットで発言するとこれに批判的な反応がネットを中心に沸騰する状況に対してだ。いわゆる炎上だ。

彼らからすると自分たちの政権批判を面白く思わないネット世論が圧力をかけて「自粛」を強要しているように思えるようだ。特に今度の日本人人質事件はそれが露骨にでていると感じている。

たとえば古賀茂明元経済産業省官僚

今回は、私が『報道ステーション』で『I am not Abe.』と言ったのがいけなかったと思う人がいるようで、数日前に、神奈川県警から二人の巡査部長がきて、『古賀さん、危ないから、警備を強化させていただきます』と言われた。『どんなささいなことでもいいから、おかしいと思うことがあれば、すぐに電話をしてくれ』と。 

そういう意味で、私はいろいろなことを敏感に感じているが、いまは相当に危機的な状況に立っていると思っている。

報道ステーションの古賀氏の発言が世間の厳しい批判を浴びたようだ。放送局には抗議電話が殺到してネットでも激しい批判が渦まいた。自分自身も当時彼の発言をテレビで視聴して非常に不快感を覚えたことを記憶している。自分からすればイスラム国のテロよりも安倍政権を批判する内容だった。古館キャスターもその発言を受けてこれが古賀氏の個人的な意見だということを強調していた。

こんな古賀氏の発言が全国ネットで流れてこれに対する批判が集中するのも致し方ない。彼は比較的高い視聴率を取る番組で出演してそれになりのギャラをもらっている有名人である。だから、その発言にはそれなりの責任を負うことは当然である。もちろん、古賀氏を脅迫するような行為は決して容認できない。ただ、彼の発言にネットで反応すること自体は、当然予想ができるものであって、それを自粛の圧力と決めつけるのはおかしいと言わざるを得ない。

自分自身も、以前反原発派を批判する記事をブログで書いて炎上したことがあった。普段の何十倍のアクセスがあったが、コメント欄を見ると全て自分の記事を批判する内容ばかりであった。酷いのは「工作員」呼ばわりするものもあった。自分のようなしょぼいブログが炎上するのだ。有名人でメディアで発言してそれなりのギャラをもらっている人間がネットで批判を浴びることはあってもおかしくもないし、それは当然の結果と考えるのが普通ではないか。

それを「政権批判を自粛する空気」などとさも被害者のように訴えるのはお門違いではないかと思う。厳しい言い方をすれば、彼らの主張は世間では評価されず、独善的に見られているともいえる。あるいは世間の常識を逸脱した非現実的で日本の国益を害する発言と見なされているかもしれない。

言い方を変えれば、彼らは現憲法を金科玉条のように妄信してきたいわば戦後レジームの受益者といえるだろう。しかし、今や日本を取り巻く環境はそんなぬるま湯を許さぬほどに緊張の度を増してきている。戦後レジームが今や音を立てて崩れようとしている。

こうした表明をする人々は思うに、あの悪名高い進歩的文化人の亜流でないかと思える。進歩的文化人は冷戦の集結でその存在意義を失った。そしてこの亜流は、今日のテロ戦争の激化で無力感を露にしている。平和憲法の世界愛ではどうしようもないところまできているのだ。

こんな日本的なリベラリズはそんなお花畑の精神であって、もはや世界の熾烈な現実には無力でしかないのではないか。いわば「グータラ左翼」といってよい。彼らの主張はまるで子守唄にように聞こえる。昔、中原理恵という歌手が歌っていた「東京ららばい」という曲を急に思い出した。

♪だから死ぬまでないものねだりの子守唄