予想はされていたが、検察審査会が起訴妥当と決定したことで旧東電幹部3人が原発事故での刑事責任が裁判で問われることとなった。
膨大な犠牲と悲劇を生んだ東京電力の福島第一原発事故…本日、朝日新聞の社説では、事故をこんな最大限の言葉で表現しているが、どうも素直に受け入れることはできない。確かに、事故の影響は決して侮れないが、被害が誇大に語られ、国民が過敏に動揺した側面がある。
第一、被曝などの事故による直接の被害は全くといって現在に至るまで起きていない。死者どころか病人や怪我人さえもいない。IAEA、WHO、国連科学委員会といった国連の機関も将来においても被曝の影響は極めて軽微だと太鼓判を押しているくらいだ
今回の原発事故で犠牲者は少なからず出たことは事実である。事故の避難中に高齢の病人、患者が十分な手当を受けられなかったり、移動中の混乱があったりして死亡した。あるいは仮設住宅でのストレスで倒れたり、仕事などで将来を悲観して自ら命を絶つ悲劇も生まれた。ただ、広義的には事故の影響といえるが、被曝での狭義的被害は驚くほど軽微だ。
これをもって、旧東電幹部を刑事告発する理由がわからない。それをいうなら、政府や行政の対策を問題にすべきではないか。しかし、それ以上に問題なのは、事故の影響を過激に煽り、人心を惑わせた側の責任がもっと追求されてしかるべきではないか。朝日新聞や東京新聞などの新聞やいくつかの週刊誌、テレビの番組、そこに登場する学者、評論家、キャスターがこれでもかというように執拗に事故の恐怖を連日煽ったことが今でも鮮烈にに思い出される。
それによって生じたのがいわゆる風評被害である。実際今回の事故で最も深刻だったのがこの被害である。彼らの言動によって全て風評被害が起こったとはもちろんいえないが、極めて重大な要因だということはまちがいない。被災地の被曝は甚大という彼らの暴言がもとで福島ばかりか東北関東の食材が拒否される。1泊程度の子供の旅行、それも関東の日光さえも「子供に危険」と反対する運動が起きた。
一番象徴的だったのは、被災地のがれきの広域処理である。たとえば関東とくらべても原発から離れている岩手のがれきが、受け入れを表明した自治体に住民や外部の市民団体が反対に押し掛けた。がれきの焼却で健康被害が起こるというのが全くのデマであることは、がれきを受け入れた自治体ばかりか、福島など被災地でも焼却で健康被害があったという報告が皆無だということで明らかだ。不安から受け入れに反対した住民にも問題なしとは言えないが、それ以上に確信犯的に危険を煽った者たちこそ悪質といえる。
こうした風評被害は実際の金銭的な被害とともに、ターゲットになった関係者の精神的被害も大きかったと想像される。特に事故のあった福島県民へのダメージは想像以上だと思う。しかし、「福島の野菜は食べていけない」とか、「福島には住めない」と暴言を吐いた学者や文化人がその責任は問われることはない。それどころかそんな人物たちが今は安保法案で「戦争が始まる」といった、これまた無責任なデマを流している。
敢えて言えば、これまで旧東電幹部たちを刑事告発した原告団も逆にその責任を逃れることはできないのではないか。そして、原告団の多くが福島県人なのはやりきれない思いがする。福島の事故の悲劇を最大限に煽って自分たちはいかにも被害者であるかのように振る舞うのは、酷く偽善のように思える。風評被害の最たるものではないか。結局、自分たちの反原発のイデオロギーを喧伝するために裁判を利用しているとしかみえない。