阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。あちこちでShootする写真日記。お遊びもあり。

カイロ大学の卒業生「中田考」さんが 自分が卒業したカイロ大学発行の卒業証書の写真をネットサイトに上げた。

2020年06月10日 | SNS・既存メディアからの引用記事

             Wikipediaから一部引用 経歴[編集]

 中田考 1960年に岡山県に生まれ、兵庫県芦屋市、西宮市で育つ[8]。

灘中学校・高等学校を卒業し、早稲田大学政治経済学部に入るが[9]、翌年東京大学文科三類に入りなおす[10]。

東京大学文学部イスラム学科卒業(1984年)、同大学院人文科学研究科宗教学宗教史学修士課程修了・イスラーム学修士号取得(1986年)。

カイロ大学大学院文学部哲学科博士課程修了(1992年)Ph.D.取得後、在サウジアラビア日本国大使館専門調査員を務めた。

1994年以降は日本に拠点を置いている。宝積比較宗教文化研究所研究員(1994年)、山口大学教育学部助教授(1995年)、日本学術振興会カイロ研究連絡センター所長(1997年)、

同志社大学神学部神学研究科教授、同志社大学一神教学際研究センター幹事(2003年)と日本のアカデミックな職場を転々としたのち辞職。

株式会社東講(旧・カリフメディアミクス)創業(2013年)。同年シリアに渡航し、反アサド派に従軍[11]。 2016年10月31日、

中田が経営する豊島区のリサイクル店で、違法行為があった疑いによって警視庁に家宅捜索された[12]。その後12月5日付でリサイクル店の役員の男が、

古物営業法違反容疑で書類送検された。中田本人は関与が薄かったとして立件を見送られた[13]。 2017年時点で、同志社大学に客員教授として復帰している[1][2]。

業績[編集] イスラム法学者としてのキャリアをイブン・タイミーヤに関する研究からスタートした。

カイロ大学における博士論文は「イブン・タイミーヤの政治哲学」(アラビア語: الفلسفة السياسية عند ابن تيمية‎、英語: Political Philosophy of Ibn Taimiah[14])で、

この論文により1992年6月1日付で博士号(Ph.D.)が授与されている[6]。 タイミーヤの政治思想、哲学思想、法学に関する論文を書いた後、

イスラム法学におけるカリフ論、バイア論、寛容論(イスラームにおける寛容思想)などに関する論文を書き、

自身の基盤となるハンバル学派の解釈を軸にした古典イスラム法学の研究、イスラム法学に基づく統治を目指すイスラーム主義の研究、

そして現実のムスリム国家の政体に関する研究を重点的に行うようになる。 ハンバル学派におけるコーラン解釈を『イスラーム法の存立構造』

(ナカニシヤ出版、2003年)で初めて本格的な形で日本に提示、正統10伝承の異伝を全て訳す、という、世界初唯一の翻訳本『日亜対訳 クルアーン――「付」

訳解と正統十読誦注解』(作品社、 2014)を出版。コーランと預言者ムハンマドの言行(スンナ)を重視するイスラム理解が研究の姿勢に色濃く反映されている。

哲学博士。食品衛生責任者。 ムスリム名はハサンで、カイロ大学の博士号認定証にはハサン考中田(ハサン・コウ中田、ハサン・コウ・ナカタ、アラビア語: حسن كو ناكاتا‎、英語: Hassan Ko Nakata)と記載されている[6]。他にハサン中田(ハサン・ナカタ、アラビア語: حسن ناكاتا‎)あるいはハサン中田考(ハサン・ナカタ・コウ、アラビア語: حسن ناكاتا كو‎[7])とも呼ばれる。

 ◎ 普通日本の庶民の間では公式書類がお金つまり賄賂(裏金)でも作られたり、買える、という常識はない。

それだけでも我々日本人の先代の庶民たちは大した国を作ってきたと思う。

   但し庶民以外の 政官財学報道に属している 小池さんのような上流国民の世界のことは知らない・・・・。

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