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ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

小川洋子対話集

2016-03-01 21:45:40 | Book



 対話は総計九回、対話者は総計十二名、初出雑誌もさまざまで、語りおろしも収録されています。対話者もさまざまな分野に及び、話題は広範囲なものとなっていますので、少し散漫な印象は否めませんが、しかし「小川」のごとく目に見えない細い底流がかすかに聴こえてくるような対談でした。小川洋子のフツー的(?)感受性、少女性、しかし世界を彼女なりに捉えることのできる視線・・・・・・これらは現代女性作家のなかで、むしろ特異な存在であるように思えます。対話のテーマがすべて「言葉」であることに統一されています。


 【田辺聖子】 言葉は滅びない

 八十歳を迎えられた田辺聖子は「全集」を刊行されたばかりの時期にあたる。小川洋子にとっては、まさに田辺は先達者となるのでしょう。お二人が共に少女期に夢みたことは小説のなかで成長し結実させる、この共通項があったように思います。言葉は実るもの。そして伝えるもの。その言葉への信頼が生き生きと語られていました。


 【岸本佐知子】 妄想と言葉

 岸本佐知子は英米文学の翻訳家、エッセイスト。小川洋子と同世代であることからか、会話が女子大生のように楽しくリズミカルだった。翻訳というものは、作家が書き上げたものの源泉をもう一度捜すことから始まる。そこから辿りはじめて翻訳者は作家への、美しい共鳴音になること。魅力的で困難な仕事だと、つくづく思う。単純に外国語が出来るというだけではない、作家以上の洞察力が必要なようだ。


 【李昴&藤井省三】 言葉の海

 李昴(リー・アン)は現代台湾を代表するフェミニズム作家。
 藤井省三は東大文学部教授、中国、台湾、香港の現代文学専攻。

 李昴の海、小川洋子の海、この二つで一つの海の違いが語られる。李昴の子供時代には、中国と台湾との緊張関係が厳しく、海は彼女にとっては「戒厳令」の代名詞のようなものだった。小川洋子の海は、幼児期の瀬戸内海の小さなおだやかな海だった。この「海」に象徴されるように、二人の女性作家が背負わされた時代、国家、女性の立ち位置など、すべてが異なる。これを繋いでゆくものも、やはり「言葉」でしかないように、藤井省三の力を借りながら、二人は語りあった。


 【ジャクリーヌ・ファン・マールセン】 アンネ・フランクと言葉

 ジャクリーヌ・ファン・マールセンは、隠れ家に入ってしまうまでのアンネ・フランクの少女期の友人であり、その思い出を本にまとめています。彼女によれば、それはアンネがまだ「言葉を綴る。」ことを意識する以前の少女にすぎないのです。ジャクリーヌが知っているアンネはそれだけだったのでした。成長した作家アンネには再び会うことはできなかったということです。


 【レベッカ・ブラウン&柴田元幸】 言葉を紡いで

 レベッカ・ブラウンはシアトル在住の作家。柴田元幸はアメリカ文学の翻訳家であり、小川洋子の作品の英訳を手掛けた最初の翻訳者ともなる。柴田はいわば「架け橋」の役割を担っていることになります。この翻訳者は肩の力の抜き方のうまい人ではないだろうか?レベッカ・ブラウンの人間性ではなく、紙の上に書かれた言葉を追いかける形で翻訳する。翻訳しながら作者に意味を問わない。あるいは小川洋子作品が柴田の翻訳によって、削ぎ落とされたもの、付加されたものに当人が驚くという意外性。岸本佐知子の対話と重ねて考えると、翻訳者の対照的な姿勢が見えてくるように思いました。


 【佐野元春】 言葉をさがして

 佐野元春とはミュージシャンらしい。知らない人。ごめんね。パス。


 【江夏豊】 伝説の背番号「28」と言葉

 小川洋子の小説「博士の愛した数式」に登場する実在のヒーロー(野球選手)である。背番号「28」は「完全数」なのだった、とはご本人はご存知なかった。


 【清水哲男】 数学、野球、そして言葉

 清水哲男さんだけは、わたくしが唯一出会い、お話をしている方という「贔屓目」で読んでしまう危険は大きいなぁ、とは思いますが、その分を差し引いてみても、やはり清水哲男の対話には、おだやかな流れがみえます。まさに「清水」と「小川」の言葉の自然体の合流でした。共通の話題はもちろん野球でしたが、「数学者は詩人である。」ということがよく理解できます。


 【五木寛之】 生きる言葉

 現代の自殺者の急増、それが数値で表されたところで、その実体は見えない。さらに無差別の殺人、子供や老人への虐待などなど、豊かに見える社会ではありながら「いのち」がこれほどに軽い時代は、かつてなかっただろうと思う。五木寛之はこれに心を痛めつつ、自らの「老い」がその実情を嘆いているのか?と自問する。しかしそうではない。あらためて「いのち」の重さを考え直す時なのですね。
 「生」と「死」との境界線は、簡単に越えられないものであるという根本的なことが忘れられているのではないだろうか?まずは生きてゆくための言葉が必要なのでしょう。陳腐だと思われる「人間」「愛」「友情」・・・・・・それらの言葉を、もう一度雪ぎ直すこと、こんな対話だったように思います。

 (2007年・幻冬社刊)

スバらしきバス  平田俊子

2016-02-22 13:12:19 | Book



まず、タイトルですが、惜しい!回文のお好きな平田俊子さんとしては!しかし、いろいろと考えましたが、回文は無理のようですね。
日常を旅に変えてしまうバスに乗って、「バス」だけのエッセー集です。すばらしく楽しい。私のバス体験と言えば、最寄り駅までの循環バスくらいしか思いつかないし、旅をしていても、駅から目的地までが遠い場合に便宜上乗車するくらいのもの。平田さんの場合は「バスに乗ること」そのものが旅であり、日常を離脱する夢のお馬車でもあるらしい。

バスに吸い込まれるように乗る度に、乗客や窓から見える風景、運転手さんの様子などを含めて、そこには平田さんの優しい視線がいつでも注がれ、小さな旅物語が生まれてくる。優しい魔女の視線。そしてその風景を飛び越えて、優しい魔女はその先に新しい物語を誕生させて下さる。

これが新幹線や飛行機、電車や地下鉄では面白くないだろう。バスの速度と窓から見える季節ごとの風景、それに乗り降りする人々、バスの停車場の名前、バスの走る道路の名前などなど、歴史を歩くことさえ可能なバス!

(2013年 第一刷 幻戯書房刊)

漱石俳句探偵帖  半藤一利

2016-02-12 22:13:08 | Book




これは漱石の俳句に関する随筆集です。雑誌『俳句研究』に連載されたもので、31編のエッセイからなる。漱石の残した俳句2500句余から、彼の姿と創作の秘密を見せて下さっています。まず、私が最初に立ち止まった一文は、漱石が芭蕉の「古池や」の俳句に対する、様々な解釈に対して、物申している部分でした。引用します。

『……文学を味わうに当り、なんらかの講釈を附せざればとうてい理解しがたき記号を濫用し、評家また富籤的了見をもって、これに理屈を求め、その真意ここにありなどと吹聴するは笑うべし。(中略)感興の比較的乗りがたき哲理学説をその裏面に伏在せしめて、文学の深遠なる処ここにありとなすは、文学の本領を棄てて理知の奴隷たるを冀(ねが)うものの言のみ。文学者は哲学を詩化することを防げず、詩を哲学化するにいたっては、戈(ほこ)を逆まにしてわが主を撃つが如し』

訳わかんない詩に苦しんでいる私には、救済の言葉でした。

半藤一利にとって、夏目漱石は義祖父にあたる。岳父は松岡譲。その身近さが半藤氏の筆を自由にしている感がある。それとも漱石さんの人徳(?)かしらん。半藤氏が、漱石俳句2500句余のなかから「最高の作を1つ挙げよ。」と難題を押し付けられたら、この句を選ぶそうです。


  秋風や屠(ほふ)られに行く牛の尻


最晩年の未完の大作「明暗」に書かれているように、漱石さんは「大痔主」だったようです。「朝後架(=ごか、こうか=厠と洗面所)にてひよ鳥の声を聞く。医者に行く。『今日は尻が当たり前になりました。漸く人間並のお尻になりました。』と云われる。」そして帰りの「車上にて“痔を切って入院の時”の句を作る」それが上記の句だとのこと。はぁ~~。それにしても、漱石せんせいのお下のお話は多うございますね。かろうじてこれらのお話を面白いと思えるのは、漱石の奥にある深い教養の賜物でしょう。

さらに漱石は1907年に総理大臣西園寺公望が有名文人を集めた懇話会の招待を受けた時に


  時鳥厠半ばに出かねたり


……という句を添えて招待を断ったそうです。その後も7回にわたって開かれた西園寺の懇話会の招待を断っているとのこと。あっぱれ。

おしものお話ばかりが先走りましたが、「立ち小便」やら「野糞」やら「馬の尿」とか「放屁」とかの話題が多うございました。

さて、話題を変えて、友・正岡子規が病んで、漱石の松山の下宿「愚陀仏庵」にて、しばらく共に暮らした時期があって、別れる時に漱石が送った句です。


  お立ちやるかお立ちやれ新酒菊の花


下戸の漱石が詠んだ句であるので、探偵さんは推理しました。それは中国の故事「菊花の酒」が隠されているのではないか?重陽の節句には、菊を酒杯に浮かべて、高い処で飲むと長生きができるという。病を抱える子規への友情と思える。

それにしても、漱石さんはいまさらながら面白いお方です。半藤さんが漱石について何冊かのご本を書かれた気持もよ~くわかりました。漱石と同じ時代に生まれたかったわ。



(平成11年 1999年 角川書店刊 角川選書)

物語の役割  小川洋子

2016-02-07 21:25:08 | Book



 この本は小川洋子がご自分の「物語」の生まれてゆく過程についての講演を一冊に纏めたものです。
 小川洋子の感性は、他者を驚かせたり、哀しみや苦しみを読み手に押し付けてくることがない。いつもそっと開かれた窓のように謙虚です。問えば静かに答えてくださるでしょう。そしてなによりも彼女の心が病んでいないこと。あたりまえのようですが、これは決してあたりまえではないのです。そして少女期からの出合った本、先達者の言葉などを丁寧にあたため、それをご自分の慰めや同意という安易な受け止め方をせずに、心の小箱にしまって大切にしていることでした。

 物語は作家の魔術のように生まれてくるものではない。特権的な知識を並べることでもない。生きている人間の足跡、風景、風、ひかり、思い出、そして死者からの贈り物、言葉にならないものを丁寧に掬い取り、それにふさわしい言葉や名前を与えて、さらに消えてしまいそうな道筋をなんとか描いてゆく。物語の誕生とはそんな心の作業なのでしょう。

 子供は大きくなるためには、なにかおおきな「守り」が必要です。老人が生きていくためにも同じこと。そして人間が生きてゆくためには「愛されている」こと。それは平和な時代でも、凄惨な時代においても同じこと。それが物語の水源ではないでしょうか?そしてこうして書いてしまえば、おそらくとても普通で平凡に思えること。それが実は物語なのではないでしょうか?

 小川洋子が子供時代に出会い、心に残った本は「ファーブル昆虫記」、フィリパ・ピアスの「トムは真夜中の庭で」、思春期に出合った本は「アンネの日記」だった。彼女の著書「博士の愛した数式」はイスラエル版として海を渡ることになりましたが、レバノン侵攻のために停戦を待っている間に、小川洋子は改めて自分の物語が人間の現実と無関係ではないことを思うのでした。エージェントのメールには「同じ本で育った人たちは共通の思いを分かち合う。」という一文があったそうです。

リルケの詩を思い出しました。


     願いとは
    日毎の「時間」が
    永久なものと
    小声でかわす対話。  (リルケ)


 (2007年・ちくまプリマー新書053)

おとぎ話の忘れ物  小川洋子/文  樋上公実子/絵

2016-02-02 22:21:26 | Book



 この物語の舞台となるキャンディー屋さんの「スワンキャンディー〈湖の雫〉」は有名だが、もっと注目されていることはこの店の奥にある「忘れ物図書館」でした。ここには先々代の放蕩息子が世界中の「忘れ物保管所」から集めた、古びた原稿を立派な装丁でたった一冊づつの本にして置いてあるのでした。その本は今までの「おとぎ話」の外伝のような奇妙なお話になっていたのだった。それはとりあえず四話ある。元になっているお話はどなたでもご存知でしょう。


 《ずきん倶楽部》
少女がふとしたことから知り合った人は「ずきん倶楽部」の会長だった。訪問した家にはあらゆる種類の「ずきん」が所せましと置かれていた。その倶楽部会員の最大の催し物のずきん祭りで、会長が誇らしげに披露したものは、おおかみのお腹にいた時に赤ずきんちゃんが被っていたとされる代物だった。ずきんには鉤裂き、おおかみの胃液の匂い。うへ。。。

 《アリスという名前》
アリスと名付けられた少女、アリスは「蟻巣」とも言える。父親はある時アリスに「蟻の巣セット」をプレゼントする。これはわたくしにも懐かしい遊びだ。「セット」などは勿論なかったが、土を入れた瓶の周りを黒い紙でくるみ、土の上にはお砂糖やキャンディーを置いて、数匹の蟻を入れて、ガーゼの蓋をする。やがて蟻は地下道を掘りはじめる。黒い紙をはずせば蟻の地下生活の断面を見ることができるのだった。
 しかしアリスの蟻は、ある日覗き込んだアリスの鼻に吸い込まれてしまう。蟻はアリスのからだの中に地下道をどんどん掘り進めてしまう。蟻の不思議な国。こわ。。。

 《人魚宝石職人の一生》
 実は男の人魚がいるのだが、彼等は海面から体を出すと死んでしまうので、見た者はいないという。彼は深海の宝石職人。愛する人魚は地上の王子に恋をして、声の代わりに足をもらって地上の女性となるが、悲恋に終わり自殺する。宝石職人はいのちをかけて首飾りを砂浜において死ぬ。王子の妃はそのあまりにも美しい首飾りを見つけて首に飾るが、それは徐々に妃の首を絞めあげて。。。ううう。

 《愛されすぎた白鳥》
 深い森の入口に住む一人ぼっちの森番には、定期的に町から生活に必要なものが届けられる。その度に一つかみのキャンディーがあった。ある日一羽の美しい白鳥に出会った森番は、自分の一番の楽しみだったキャンディーを白鳥に与えた。毎日毎日。。。白鳥はキャンディの重みで湖底に沈み、一滴の雫となった。・・・・・・そしてお話は最初に戻る。ぐるぐるぐる。。。

 (2006年・集英社刊)

ことり 小川洋子

2016-01-30 14:11:02 | Book
メジロ(目白)~幻♪黄金の高鳴♪



孤独死をした「ことりの小父さん」が、両腕で抱えていたものは、怪我をしてしまったために保護した「メジロ」の竹製の鳥籠だった。小父さんの声に応えて、美しい鳴き声を奏でる鳥であった。
かつて「ことりの小父さん」は家族四人の時代があった。兄がいたが、彼の言葉は誰にも通じない言葉だった。それを理解できたのは「ことりの小父さん」だけだった。やがて母が亡くなり、追うように父が亡くなり、兄弟だけの静かな生活になった。古い家は手入れをしないまま、たくさんの鳥の餌場として機能していた。それが二人の幸せだった。

「ことりの小父さん」は、人との接触の少ない仕事をしながら、兄との生活をしていたが、やがて兄も亡くなる。兄が好んで見ていた幼稚園の鳥小屋の掃除を奉仕活動として願い出る。その仕事ぶりは見事だった。園児との接触は控えながら…。
こうして彼は、あくまでもこの生き方を変えない。しかし世間の目は残酷で、地域内で起きた「少女への悪戯事件」の容疑者にされたり、荒れた家に対する、ご近所からの苦情がきたり…。次に来たのは「メジロ」の美しい鳴き声に興味を持った男で、彼の仲間は「鳴き合わせ会」を行っているのだった。

その会に強引に誘われて、会に集められた鳥をすべて逃がしてしまうという暴挙に出た。
今まで経験のないほどに逃げて、走って、帰宅した彼は「メジロ」に明日は逃がす約束をして、「疲れたから眠る。」と言ったまま永遠の眠りに入った。

これが彼の一生だった。輝く日々がわずかにあったとすれば、鳥の本ばかり読む彼に親切にしてくれた図書館の受付嬢だったかもしれない。

世間から「おかしい…」と思われる人間の存在はどこにでもいますが、人間がシンプルに孤独に生きていく姿を美しいと思える小説でした。ことりの美しいさえずりがページをめくる度に聴こえてきました。

 (2012年 第一刷 朝日新聞出版刊)

蚕 絹糸を吐く虫と日本人  畑中章宏

2016-01-22 20:53:00 | Book

《オシラサマ》

私事ですが(すみませぬ。)、栃木県足利市の母方の祖父の代まで、家業は絹織物の機屋であったようだ。その後の祖父はニューヨークに輸出される絹織物を生産する会社に所属する。(ここからが私の幼い記憶です。)ご近所を歩けば、のこぎり屋根の機屋の織機の音が聞こえる。渡良瀬川では反物をさらす作業が見られ、染物工場の用水路では色とりどりの水が流れていました。祖父の話では繭を茹でて糸をとった後の茹で蚕は鯉の餌にしたそうです。ですから養蚕農家の庭の池には必ず鯉を飼っていたそうです。子供時代に鯉料理を食べた記憶が多いのは、そのせいだったのね。
祖父の所属する会社では、ドイツ製の織機がたくさんあって、色とりどりの絹布が生産されていました。
これらの何気ない記憶が「足利織物」の歴史の一部であったことに気付くのが遅すぎたようです。下野国の足利義康の時代から、すでに足利は絹織物の産地であった。

群馬県の「富岡製糸場」が、にわかに浮上した今になって、改めて「絹糸」と「蚕」の歴史を考えるようになりました。その時期に、このよき本に出会いました。絹織物は群馬と栃木しか知らない私でしたが、養蚕農家は全国と言っていいほどにあって、絹織物も様々な土地の特色あるものが生産されていたのですね。

また「女工哀史」で洗脳された頭に「工女」という言葉があったことも知りました。「工女」とは、絹織物の技術と知識を身につけて、「女工」を指導する女性のことです。「工女」は比較的に恵まれた身分にあって、始めから指導者としての教育を受けます。政府が始めた富岡製糸場に集められた女性たちは「工女」だったのではないか。
母方の伯母の昔話のなかには、思いかえせば伯母は「工女」であったのではないか?と思われる節がありました。さらに「女工」と言われる方々の待遇のひどさも伯母の昔話のなかに含まれていました。確かではないので、これ以上は控えます。

養蚕が盛んな土地には、必ず様々な守り神が生まれ、神社に祀られている。日本の農家により豊かな暮らしをもたらした「蚕」を信仰にまで高めた歴史を想う。足利にも「織姫神社」がありました。

その中でも「オシラサマ」のお話は一番興味深いものでした。娘が馬に恋する。それに怒った父親が馬の首を切って、桑の木の枝に吊るした。嘆き悲しんだ娘と馬はそのまま天に上ったというお話です。桑は蚕の食べ物です。この桑に「オシラサマ」という神が宿った。これには諸説あるが、興味深く確かなことは、「オシラサマ」に祭りの度に着せる布の重なりの中に、織物の歴史がはっきりと見てとれるということでした。

「だるま」「天狗」「まゆだま」「猫」「蛇」などなど、養蚕とは無縁ではない信仰の対象になっています。養蚕農家が蚕を守るために必死であったことがうかがえます。

さらに、蚕の神とは異なるが、養蚕の盛んな土地には「キリスト教」が広まるという現象があった。畑中氏の解説によれば、絹糸の輸出によって西洋文化を受け入れやすくなっていたとのことです。ここでも私個人の謎が解けました。祖父の周囲には「キリスト教」の存在は希薄ではあったが、叔母の嫁ぎ先である群馬県伊勢崎市の家はキリスト教であったことは、私の幼い記憶にある。私より幼い従妹が亡くなったのだ。広い居間に祭壇が設えられ、飾る花がすべて生花だったことを覚えている。その花をすべて墓地へもっていって、小さな墓標の周りを埋め尽くした。コスモスの種が大量にこぼれて、翌年にはコスモスがたくさん咲いていました。年毎に花の位置は風によって遠のいていきました。(すみませぬ。私事ばかりで。)

書いていたらきりがない程に、自分のかすかな記憶に、畑中章宏氏の確かな論考が力を与えて下さったように思えます。
様々な文献と、筆者自らの足で土地への調査をされた結果としての、この一冊は、一読では頭に入りきれないほどの豊かさでありました。畑中氏の真摯な研究と調査が導いた一冊でありました。

 (2015年 晶文社刊 初版)

マンボウ愛妻記  北杜夫

2016-01-11 23:42:28 | Book



15年前に出版されたエッセー集であるが、急に読みたくなった。

長年にわたり「夫婦」という体制のなかで「主婦」を生きてきた私だが、
時折、非常に怒りと理不尽な思いが立ち上がってくる。
どう考えてみても、男女は平等ではないし、男性の日々は、
女性の日常の見えない働きの上に成り立っているに過ぎないと感じる。

その上、更に深い問題点は「フェミニズム」を頭の中でだけ理解していて、
心の内は「近代史」のままであるからだ。

マンボウ先生は、その最たるものであった。世代の違いはあるものの。
それをぬけぬけと書いて、反省の色もない。
ただ見事に書いていることは、さすがで物書きである。
躁鬱病を交互に繰り返すマンボウ先生の苦しみも理解できるけれど、
その壮絶な日々を共に生きていらした奥様に魅せられました。
私の世代までは、男女平等などは、決してあり得ないと思う。
そういう時代のなかで、いかに女性が賢く生き抜いたのか?
そこがポイントだったのだと思う。

もうマンボウ先生の生きてゆける時代は終わりました。
斎藤茂吉先生の生き方は更に遠い時代となりました。
私はもう少し生きてゆかなければなりません。
マンボウ先生と斎藤茂吉先生の奥様方の生き方を見習って、生きてまいります。

きっぱり!


 (2001年 講談社刊)



虚人の星  島田雅彦

2015-12-12 22:41:17 | Book


今日の日本の独裁的な政治に対する痛烈な皮肉を込めた小説ではある。
その一方では、史上最年少の総理大臣(前&前々総理と続く三代目の総理)と、
その秘書(前総理の愛人の息子&中国側のスパイ)とのやりとりは、
ファンタジー小説とも言えるかもしれない。

さらに、この二人の心を支配する精神科医(彼もスパイ仲間)によって、
多重人格に育てあげられ、二人は様々な窮地を乗り切ってゆく。
総理は「のび太」の人格を、秘書は「星新一」の人格を、
内面の先住民たる病人としていた。

最後は、まさかの展開に驚くが、小説のなかにおいてはこれでいい。
これがこの小説のなかで実現したのだ。
若き総理大臣は「戦争放棄」を宣言したのだ。

島田雅彦の、小説の展開に振り回される数日であったが、
彼の政治批判の鋭さに乾杯!!!


 (2015-9-24第一刷 講談社刊)

銃口(上・下)  三浦綾子

2015-11-24 00:55:44 | Book


まずは、熱心な取材の上で丁寧に書かれた小説だと思いました。


以前読んだ「獄中メモは問う・作文教育が罪にされた時代・佐竹直子著」から、
引き続き、この本を開きました。

これは、昭和16年前後に北海道の作文教育に熱心な小学校教師たちの「綴り方連盟」が
戦時下において、数多くの教師たちが「治安維持法違反」として
特攻に逮捕された、理不尽な事件がもとになっています。
その一人のモデルとして、若い熱心な教師「北森竜太」が主人公となっています。

彼の父上は質屋の主人であったが、「タコ部屋」から逃亡した
朝鮮人の若者を助け、我が家に匿ったことがある人でした。
家族も同じ気持で彼を受け入れました。
その朝鮮人の若者の名は「金俊明」という。

この若い教師は少学校時代に、坂部久哉先生に出会い、
そのような教師になりたいと、その夢をまっすぐに実現した若者だった。
しかし「綴り方連盟」に1度だけ参加して、署名を残したことから、
身柄拘束となり、出所できたのは7か月後、執行猶予の身となった。
坂部先生は、激しい拷問を受け、出所して間もなく死亡した。
この息苦しい生活の脱出の場として「満州」が選ばれた。
幼馴染の婚約者「芳子」も同意した。


ここで、私事ながら、1つの疑問が解けた気がしました。
「何故、私の父は満州へ渡ったのか?何故母はその父に嫁いだか?」
永年の私の思いがあったのですが、息苦しい日本のあの時代において、
若者が飛び立つ場所として、選ばれたのが満州だったのでしょう。
広大な大陸、大きな夕日、占領国ではなく、我が国土と思えば、
そこは、若者の夢の大地だったのかもしれない。


お話は戻ります。
しかし、竜太に「召集令状」が届く。結婚式を間近に控えながら。
行った先は満州だったという皮肉。
しかし軍隊は彼にとって、地獄ではなかったようだ。
彼の真面目さや能力が認められて、前科者の烙印は皆無だった。
幸いなことに、実戦ではなく、内務の仕事がほとんどであった。

しかし、敗戦間際の兵士たちは、自らの命を守らなければならない。
誰も助けてはくれない。密かに朝鮮への逃避行が始まる。


ここでまた私事を。
父が満州で召集され、所属したハルビンの特殊部隊は敗戦の情報を早くに入手。
部隊の機密文書などなど、早速に始末して、
部隊の引込み線にある列車で早々と帰国の準備をした部隊であった。
釜山まで行って、父は家族を残したまま帰国はできぬと、乗船しなかった。
ハルビンの家族の元まで命がけの2ヶ月の旅をした。

満州で迎えた敗戦は、それぞれの引揚者の苦しい長い日々があった。
殺された者、乱暴を受けた女性、飢えた者、死んだ者、捕虜となった者。


さて、ここで物語は感動的な出会いと救いが竜太を待っていた。
まずは竜太たちは朝鮮へ向かった。
そこで、朝鮮人の抗日活動のリーダーに捕らえられるが、それは
竜太の父に助けられた「金俊明」だった。
このあたりから、物語の結末を引き出す展開の難しさをふと思う。
後は、日本の下関港に無事着くまでは、「金俊明」とその仲間たちの
勇気と誠実がすべてを守った。
北海道に無事帰れた竜太は芳子と結婚し、教職に戻れた。

人間は戦争を憎む。しかし友情と信頼とは固く守られるもの。



 (単行本 1994年上下巻発行)
 (文庫本 1998年第一刷 2007年第九刷)