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ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

獄中メモは問う・作文教育が罪にされた時代

2015-09-28 11:28:33 | Book



この本を書かれた「佐竹直子」さんは、北海道新聞の記者をなさっています。
1940年頃から「北海道綴方教育連盟」の青年教師の方々が
次々に「赤」とされて無理無体に逮捕、監禁、拷問された事件がありました。

その方々のお一人が残された「獄中メモ」がこの著書の出発点となっています。

この本を読みながら、まず初めに思ったことは、
歴史のなかで北海道という土地は様々な人々が交錯する土地であると言うこと。
アイヌ(蝦夷)民族と呼ばれた方々、ロシアの介入、松前藩の介入、
さらに明治15年頃から始まった移住者の急激な増加などなど。
たくさんの人々が集まった土地である。

作文教育だけではなく、「生活図画教育」も行われていた土地でもある。
貧しい土地で生き抜くために、教師は子供たちに現実の生活を表現することを教えた。
それは素晴らしい教育であったと思う。

さらに、北海道では方言が入り乱れているので、その弊害を抑えるべく、
それぞれの方言の意味が繋がるような辞書を作った方もいらっしゃった。

こうして北海道という土地では、独自の素晴らしい教育があったようだ。

それが「貧困などの課題を与えて、児童の資本主義の矛盾を自覚させ、
階級意識を醸成した。」として逮捕され、11人が有罪とされた理不尽な事件となった。

この事件のなかにも、わずかな光はあった。
彼等を救おうとした弁護士の方、獄中のメモを密かに運んだ看守の方など。

以前の日記に書いたように、私がこの本に惹かれたのは、
私の小学校時代の担任の先生が作文教育に熱心だったことに繋がったからでしょう。
戦後の小学校教育で、私は素晴らしい先生に出会ったのだと改めて思ったのでした。
そしてS先生は、この事件を踏まえて作文教育に臨んでいたのではないでしょうか?
幼くて、わからなかったことが今見えてきます。

S先生は女性でした。そして小学校に初めての体育の先生がいらして、
とても自由で心に負担をかけない体育授業を行いました。
今まで出来なかったことがいつの間にか出来ているという魔法を使える先生でした。
体育嫌いだった私を、体育好きに変えて下さった大切な先生でした。
その大切な二人の先生が結婚なさったことも嬉しい出来事でした。

最後はまた私事になりましたが、自由に考え、表現することの幸福を
今更ながら幸福に思います。
この幸福がずっとずっと続きますように。


(2014年第1刷 2015年第3刷 北海道新聞社刊)日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞受賞

マグヌス  シルヴィー・ジェルマン 

2015-05-26 00:08:59 | Book
この本に贈られた賞についてまず記しておきます。
フランスの文学賞に「ゴンクール賞」がありますが、
もう1つ注目したいものに「高校生ゴンクール賞」があるのです。
この小説は2005年にその「高校生ゴンクール賞」を受賞しています。
毎年約2000人の高校生によって決定される賞で、これは日本では考えられないような試みですが、
この賞は20年以上の歴史をもつもののようです。
はなから「賞」などという話題で申し訳ありませんが、
「高校生」ということにわたくしはちょっと驚いたのでした。

この物語は第二次世界大戦末期のドイツから始まります。5歳の少年がひどい病気にかかり、
高熱によって言葉も記憶も焼き尽くされ、母親は少年の過去の5年を埋めるように、
言葉によってその少年をもう一度産み直そうとするのでした。
父親は熱狂的なナチス党員。その時の少年の名前は「フランツ」だった。

敗戦と同時に一家の逃亡生活、父親は亡命先で生死不明、母親は病死、
「フランツ」を引き取ったのは母親の兄だった。
かつて彼はその両親とは全く異なる生き方を選び、
イギリスに亡命した牧師であり、妻はユダヤ人だった。ここで彼の名前は「アダム」となる。

そして20歳には彼の意志によって「マグヌス」と名乗ることになった。
この名前は記憶を失くした時から抱いていたクマのぬいぐるみの名前。
大人から詰め込まれた記憶ではない、
唯一の彼の本当の記憶を共にしたのはこの「マグヌス」だけだったのではないでしょうか?
なにも語らない者こそ真実であると。。。

「マグヌス」と名乗った時から、彼の人生は自らの意志によって歩き出すことになるのですが、
彼のもっとも幸福と思われた愛の成就も、その不幸な運命によって失われる。
しかし最後には、彼は丹念に孤独を生きることに人間の本来の姿を見出したように思えてならない。

この小説の構成も興味深い。「章」の変わる毎に「断片=フラグマン」、「注記=ノチュール」、
「絶唱=セカンス」、「挿入記=アンテルカレール」が挿入されていて、
そこに小説の補足説明、歴史的背景、詩歌の引用などがなされて、
この小説に歴史的な意味合いとファンタジー性をもたせて、ふくらみのある作品となっているように思えました。


  旅立とう! 旅立とう! これぞ生きている者の言葉!
  旅立とう! 旅立とう! これぞ放蕩者の言葉!

  (サン=ジョン・ペルス  「風」)


この本を閉じた時に、わたくしの耳にいのちの羽音が聴こえてきました。
それは「マグヌス」がこの物語のなかで最後に出会い、その死も見送ることになった、
戸外を遊ぶ老いた修道士であり養蜂家のジャン士がわたくしに残したメッセージだったようです。
それは多分、いのちは導かれるべきものによって導かれ、
その死もまたそのように訪れる。なにも恐れるものはないと。。。

 (2006年・みすず書房刊・辻由実訳)





『一冊の本に使われる言葉は、ひとりの人生の日々以上にひとまとまりになっているわけでなく、
言葉や日々はどんなに豊かでも、ただ沈黙という広大な画面に、
文章や示唆や部分的可能性の小島を描いているだけだ。
しかも沈黙は完璧でも平穏でもなく、小さなささやきを絶え間なく発している。
過去の彼方から聞こえてくるささやきは、至るところからどっと噴き出す現在の声と重なる。』

『書くということは、ささやきの奥底まで降りてゆき、その声が途絶える時点で、
言葉の間隔、言葉の周辺、ときには言葉の中核から聞こえてくる息づかいに耳を傾ける術を知ることなのだ。』

(序奏より。)



大江健三郎×古井由吉 対談

2015-04-30 13:21:14 | Book

  アメリカフウロ


①「詩を読む、時を眺める」 新潮2010年1月号

②「言葉の宙に迷い、カオスを渡る」 新潮2014年6月号

③「文学の伝承」 新潮2015年3月号


私の読み落としがなければ、新潮誌上でのお二人の対談はこの3回となるのだろうか?
このお二人はとても大変なエネルギーをかけて読まなければならない小説家ではありますが、
それでも安心して読んでいけるという信頼感によって、細々と読んできた私です。

そのお二人の対談を、ゆっくりと安心して、時には「クスクス……」としながら読みました。
大好きなお二人への私の信頼は絶大であります。


①「詩を読む、時を眺める」 新潮2010年1月号


この対談は、2005年に出版された、古井由吉の「詩への小路・書肆山田刊」
を出発点として、お二人が語って下さった。

大江健三郎は大学時代から、すでに小説を書くことから出発してしまった。
しかし古井由吉は小説を書き始める前に、ドイツ文学者として出発しています。
そして詩の翻訳もされています。
この点において、大江は「古井さんは本の読み方が玄人になっています。
それにひきかえ、私は詩を翻訳できません。」とおっしゃる。
ここから、「詩への小路」のお二人の読み解きが展開されています。

最後は、ポーの「黒猫」、ル・クレジオの「調書」、カフカの「裁判」などを例にして、
近代以前と近代初期のの人間が裁かれることとは、
「……の罪によって。」という裁きではなく、存在そのものの裁きであったと。
そこに「神」の存在が必要とされた。
しかし、日本では神は法廷向きではない。
その分、日本人の小説は健闘しているのではないかということで、この対談は終わっています。


②「言葉の宙に迷い、カオスを渡る」 新潮2014年6月号

この対談では、古井由吉の短編集「鐘の渡り」と大江健三郎の「晩年様式集 イン・レイト・スタイル」
について主に語られています。
大江はこの小説を最後に、主人公の作家「長江古義人」と、その長男「アカリ」という小説の枠組みを
終わりにしました。
古井由吉は「連歌」や「俳句」をからめつつ、「鐘の渡り」を書いていました。

お二人の話題は演劇、俳句 連歌 翻訳詩 日本の古典文学へと広がり、
「書き終わった。」という時点で、また新たな方向性が見えてきます。


③「文学の伝承」 新潮2015年3月号

老作家たちは、書き終えたのではないのだ。
かつてギリシャ語のおさらいを終えて、ラテン語を途中下車した古井由吉は、
それを再開させるという、言葉へのこだわりが。
ドイツ語はギリシャ語を母体とし、フランス語はラテン語を母体としているようだ。

次は「古事記」へと話題は広がる。
古井由吉はここに、小説の源泉と自由を見ているようです。
小説を書き始めた頃、またその小説を読み直す時にきたお二人には
さらに新しい局面が見えてきます。
際限のない小説家の生き方を見てしまった、という思いです。

最後にお二人は、ユーモアたっぷりにこう結びます。(ここから引用)

大江「結局は自分が小説を書くほか何もできない人間であったことも
   わかって来ています。
   今日もここへ来る途中道路工事中の場所を横切ったら、
   踏み出した瞬間にひっくりかえりました。(中略)
   責任者が飛んできて元気なのに安心したか、
   おじいさん、ほとんど完璧に転んだねぇ、と感心してくれた(笑)。」

古井「ストンと倒れたほうが下手な受け身をしないから、
   怪我することが少ないそうですよ。
   酔っぱらいが転んであまり怪我しないのはそういうことですって。」

大江「酒の代わりの僕はエリオットの一行に酔ってました(笑)。(中略)
   僕の老年についての端的な認識は、よく倒れる人間になった、
   しかも完璧な転び方に近いらしい、というものです(笑)。」

古井「こういう話をしておけば、この年寄りたちが
   どういう料簡でいるのか若い人たちはも
   わかってくれるでしょう。」

詩への小路  古井由吉

2015-04-22 11:59:31 | Book


この著書の初出は「るしおる」の31号(1997年6月)~56号(2005年3月)までに連載されたもので、古井由吉が、ドイツの詩人達の作品を、散歩のように訪ね歩きながら、その詩を邦訳(行を立てぬ半散文の訳←本人のお言葉です。)しながら、迷ったり、短い解説を書いたり、独り事をつぶやいたり、またテーマの似た作品を並べてみたり、そして最後はリルケの「ドゥイノ・エレギー訳文1~10」で締めくくった1冊でした。これはわたくしにとっては「詩への小路」どころではない「詩への大旅行」でありました。にもかかわらず、この大老はこともなげにこのようなことさえつぶやくのです。


 『豚に真珠というところか。私などには所詮活かしようにもなかった知識を、若い頃にはあれこれ溜めこんだものだ。あんな無用の事どもを覚える閑があったのなら、今ごろはとうに失われた町の風景でも、つくづくと眺めておけばよかったのに、と後年になり悔やまれることもあったが、さらに年を重ねて、それらの知識もすっかり薄れた頃になり、その影ばかりに残ったものが、何かの機会に頼りない足取りながら、少々の案内をしてくれる。』


 上記の抜粋した一文でもわかるように、壮年を過ぎ、晩年に至った著者の積み重ねられた日々の豊かな収穫を、私は幸運にもこの手に授かったのだという思いがしてならない。この思いはそのまま下記のヘッペルの詩に繋がってゆきました。ヘッペルは50歳の生涯でしたので、この詩はすでに晩年でしょうか?


 『――このような秋の日は見たこともない。あたかも人がほとんど息をつかずにいるように、大気は静まり返っている。それなのに、あちこちでざわざわと、木という木から、世にも美しい果実が落ちる。
 乱さぬがよい。この自然の祭り日を。これは自然が手づからおこなう獲り入れだ。この日、枝を離れるのはすべて、穏やかな陽ざしの前で落ちるものばかりなのだ。』
 (ヘッペル「秋の歌」1857年・44歳)


  *   *   *

 以前観た映画「約束の旅路」の最後は、主人公の若者が生き別れた母親に、やっと巡り会った時に、彼は靴をぬいで裸足で母親に歩みよるシーンでした。この映画の下敷きとなっているものが「出エジプト記」であることはどうにか理解していましたが、この最後の靴をぬぐシーンがナゾのまま日が過ぎていました。怠慢ですね。


見紛うかたもなく あなたはわたしと異なる
わたしが近づくにはモーゼに倣って
靴を脱がなくてはならぬ存在
(アンネッテ・フォン・ドロステ=ヒュルスホフ「鏡像」より)


 上記の詩に対する筆者の解説によれば、『靴を脱ぐとは、旧約聖書の出エジプト記の第3章、ホレブの山で棘(しば)の燃えるその中からヤーヴェがモーゼを呼び、そして戒めた、「それより近寄ってはならん。靴を脱げ。お前のいま立っているところは聖なる地なのだ」から来る。』・・・・・・と書かれていました。あの若者の「靴を脱ぐ」行為は母への最上の敬意を表したものだったのですね。新しいことを知る歓びを大切にしたいと、この大老の本はしっかりと教えて下さいました。


 (2005年初版第1刷・2006年初版第3刷・書肆山田刊)

やすらい花  古井由吉

2015-02-02 22:01:30 | Book




これは「新潮」に掲載されていた8編の短編集です。
全体を通して共通していることは、「生」と「死」との境界線が
薄闇のように静かに常に在るということでした。


《やすみしほどに》
これは私小説に近い。自宅から近い病院に短い入院生活を3度ほど繰り返す。
その間に仕事を片づけ、「一人連句」をするという、
すこぶる年長者の精神的なゆとりが感じられる。
「死」は間近にせまっているのか?いや、まだのようだけれど。
その「死」を恐れる気配もない。


《生垣の女たち》
老人が一人住む家の離れに若い夫婦が住むようになって、
その夫婦は老人の死に立ち会うことになる。
このあたりから、この成り行きを観ているのは若夫婦の夫の眼となる。
縁者らしき老夫人、さらに遅れてまた女性が現われ、妻もふくめて
死者を送る女性たちが、その家の生垣に集う。
そこはまさに「生」と「死」に境界のようで、夜の闇のようで、
人々の暮らしの中に静かに佇んでいる。


ここを読んでから「生垣」という詩を書きました。


《朝の虹》
これは、身体の老化によって起こる脊髄の損傷による歩行困難のために、
49日間の手術入院を余儀なくされ、さらに身体を一時的に固定されたり……。
その老人の夢のなかに現われる友や、過去に出会った友の思い出(なのか?夢なのか?)
について書かれている。その友は若かったり、老いていたり。
老作家が「人間の老い」について書く時、こんなにも冷静なのか、と驚かされました。

一部引用
『年寄りは寝ている間に、魂が楽々と抜け出して、あっちこっちほっつきまわりやがる、
 からだのつなぎとめる力が弱ったもので、と昔、老人が言った。
 心配じゃありませんか、と私は冗談に乗ったつもりでたずねた。
 なぁに、俺の知ったことじゃない、寝ている間のことまで面倒を見切れるか、
 と老人はそっぽを向いた。
 しかしその、知ったことじゃないという俺は、何処にいることになるのですか、
 と若いので突っこんだ。
 はて、何処にいるか、それも知ったことじゃない、と老人は答えて、
 策麺が饅頭を喰っているところを、端から莫迦莫迦しいと憤慨して見ているようなものだ、
 とわけのわからぬことを言って笑い出した。』


《涼風》
若者が女性の部屋で朝を迎えて、そこからの帰宅途中に、
通りすがりの家の庭で老人が突然倒れたのを生垣越しに目撃した。
その生垣の家の女性に伝えたけれど、その2人の様子が奇妙に永い記憶となった。
「死」と「若い女性のあまやかな夏の風のような匂い」とが。
その40年後、老人となった過去の若者は、
やはり夏のベランダで汗ばむ肌をなでてゆく風にその「あまやかさ」を思い起こす。
ここにも「生垣」があった。


《瓦礫の陰に》《牛の眼》《掌中の針》は省略します。


《やすらい花》
「やすらい花」とは、鎮花祭で唄われる「夜須禮歌=やすらいうた」から。

はなさきたるや やすらいはなや
とみくさ(富草)のはなや~~~

富をもたらす花とは「稲の花」であり、豊穣を願う歌であり、
同時に秋の収穫までに、数々の災害がないように願う歌でもある。
さらに男女の契りの歌でもある。花は田植えする女の後に降りかかる。

中年になった妻子持ちの男が、老妻を亡くして一人になった父親との
同居から、話は始まる。この歌は老父の思い出のなかで唄われる。

また、老父には「杜鵑」の声にまつわる思い出話がある。
杜鵑が鳴き止み、川の音が静かになった時に、間もなく出水する。
しかし、かつての農村は、水が溢れて流れ出す先には家や田畑はなくて、
荒地だったと言う。
今、老父が身を寄せている、息子の住む土地では、
改修工事で気付いたことだが、水は暗渠から暗渠に流れていて、見えない。
その暗渠にせり出すように人間の暮らしがあるのだった。

老父のそばに毎晩寝るようになってから、息子は繰り返し父の話を聞く。
そうやって暮らしながら父は逝く。
中年の息子にたくさんの思い出話を残して。
息子が子供だった時に、何故だかしょっちゅう不在だった父だったが……。


古井由吉の著書に「辻」という幻想的な作品があるのだが、
この短編集のなかにも「辻」は何度も人間たちの前に表れた。


 (2010年3月25日 新潮社刊)

辻  古井由吉

2015-02-01 12:40:49 | Book


これは「辻」をはじめとした十二編の短編小説が収録されています。
初出は「新潮」に2004年7月から2005年9月までに掲載されたものです。
「辻」という短編は1編だけですが、12編全体に「辻」というテーマは少年期の原風景のように在りました。
それは父との暗い決別を象徴していると言えばいいのでしょうか。

「辻」・・・それはひととき佇んで、あるいは考える暇もなく、
選びとってしまった一個の人間の生きる道筋へのプロローグであり、
引き返すことのできないものとしての象徴だと言えばいいのでしょうか。
引き返すとしても、「辻」がどのあたりであったのか、
思い出すことのできない場所でもあるのでしょう。
また主人公が現実に立った「辻」は、そのまま夢の暗部へのもう一つのプロローグにもなっているようです。
これらの小説に登場する人間たちはほとんど青春期を過ぎた男女あるいは老人です。

まず「男女の出会い」という普遍的な人間ドラマを、作者はこの「辻」を起点として書いてゆきます。
またその「辻」に辿りつくまでの男女の生きてきた過去の道筋が、背後の影のように常にあります。
ある長い時間を生きてきて、もう充分に大人といえる男女の出会いがあったとする。
その互いの人格に「光」と「影」を与えた者は過去のさまざまな人間たち、あるいは死者たちではないだろうか。
それらは男女が互いに向きあった時に、お互いの背後に立ちあらわれるのではないか。
どうにもならないその状況が、最も深く現在を支配している。
時間の止まったものに対して、生きつづける人間の思いが超えることができるのだろうか。
生きている者の敗北すら思わずにはいられない。


古井由吉は1937年生まれ。これらを書いた時期は60代の終わりと思える。
「人間の老いあるいは死」ということを考える時、ふたたび人間はみずからの「辻」を思うのではないか。
後半の短編になると老人問題がテーマとなってくる。
老いの道は「辻」からは異界へのプロローグにもなるのだ。
この「老い」を身近なものとして見つめているのは中高年世代ですが、
そこにもまた彼等が踏み込む「辻」があるのでした。

ちょっと奇妙な表現かもしれませんが、これらは中高年男性の「ファンタジー」小説とも言えるのではないだろうか。
ここに登場する人々は人並みはずれた人生を生きたわけではない。
適切な時期に女性を愛し、結婚し、子供を育て、次第に老いてゆく人々の生活です。
「辻」にさしかかる毎に少しづつ生じてくる心の歪に、
かすかに沁み込み続ける狂気や夢が現実との境界をあやうくする。そのような生活。。


 (2006年・新潮社刊)

ハルビンの詩がきこえる  加藤淑子著 加藤登紀子編

2014-09-12 00:00:26 | Book


加藤淑子は、加藤登紀子(歌手)の母上です。
この母上が1935年4月から、夫幸四郎と共に過ごし、3人の子供に恵まれて、
敗戦によって日本に引揚げて来るまでの旧満州国ハルビンでの11年間の思い出を綴ったものです。
このなかに登紀子の作詞作曲した歌「遠い祖国」が数箇所に挿入されています。
冒頭の4行を引用してみます。その下にわたくしの詩「河辺の家」の一部も引用します。
登紀子とわたくしの年齢差は一年足らず、わたしがわずかに遅い生まれのようです。
共に三番目の子供であり、「ハルビン」の具体的な記憶がない年齢です。
申し遅れましたが、わたくしもハルビン生まれです。
この本を読み、当時の古い地図を見ていますと、
この加藤一家とわたくしたち一家はどこかですれちがっているのではないか、と思うくらい共通するのです。


  生まれた街の話をしよう
  そこは遠い北の街
  戦争の中で生まれてそして
  幼い日に追われた街   (加藤登紀子・遠い祖国)


  占領国の子として そこに産まれ
  敗戦国の子として そこを追われた
  その家は いつも
  記憶の届かないところに佇んでいた   (高田昭子・河辺の家)


おわかり頂けるでしょうか?その時わたくし達の親の世代は占領者だったということです。
財部鳥子の小説「天府 冥府・2005年・講談社刊」にもありますように、
占領者としての「天府」のような生活(この小説の舞台となるのはジャムスですが。)、
「冥府」のような敗戦国民としての異国の生活がそこにはあったということです。

それでも何故あのハルビンは、そこで暮した人々の心に美しい街として記憶に残り続けるのでしょうか?
列車が走っても走っても続く同じ風景の続く広大な大地、そこに落ちてゆく大きな赤い夕日、
温かい人々との思い出、杏や林檎の樹、おいしい食べ物、
キタイスカヤ通りの石畳、風と光、スンガリー河の流れ、太陽島の休日。。。

加藤淑子の書くさまざまなお話のほとんどは、
わたくしの幼い日々からずっと母が語ってくれたことと重なりました。たとえばこんなこと。。。

●牛乳はしぼりたてのものなので、一回沸騰させてから飲んだり、保存したりしたこと。

●「ペチカ=ロシア語」をわたくしの母は「オンドル=朝鮮語」と言っていましたが、
これは暖炉の熱を利用した壁床暖房です。
零下20度、30度となる酷寒のハルビンでは、
縦に細長い形の二重窓とともに重要な暖房だったのです。燃料は薪と石炭でした。

●上記のオンドルは調理用コンロにもなるのですが、朝は火が焚けるまでに時間がかかるので、
街にはお湯売りが(日本の納豆売りのように。)いつもいました。

このような母の話としてのハルビンでの日々の記述の共通性は書いたらきりがありません。
たった1つ、加藤一家とわたくしたち一家と違っていたことは、
敗戦後約2ヶ月くらいで、わたくしの父は家族のもとに命の危険をおかしてまで、
釜山からハルビンまで帰ってくることができたこと。
そして酷寒のハルビンでは、貧しい敗戦国民となった一家が暮してゆくのは困難だと判断した父が、
すぐに新京に南下して、そこで働きながら引揚げの日を待ったことでした。
この引揚げ船の出る場所も加藤一家と同じく「葫蘆(コロ)島」でした。
そこまでの列車が「無蓋車」であったことも同じでしたが、
わたくしの父が団長を務めた引揚げ団では、無蓋車は一両五十人の割り当て、
真夏なので直射日光を遮蔽するため、みんなで日除けを作ったり、
トイレを作ったりして出発の日を待ったそうです。

どうもこの本の紹介ではなかったようですね。
あまりにも共通することが多くて、わたくし事ばかり書きましたことをお詫びいたします。
最後に加藤淑子の素晴らしい言葉をご紹介して、これを終わりといたします。


 『人は生きるためにはどんな限界も超えることができる。』


 (2006年・藤原書店刊)

かないくん

2014-08-26 00:02:59 | Book
 

  谷川俊太郎 作
  松本太洋  絵


久し振りに谷川俊太郎さんの童話を読みました。やはり魅力的だ。
小学4年生で亡くなった「かないくん」は、
60年後「金井君」として、絵本作家のおじいちゃんの記憶のなかに生きていて、
今だ描き終わらないお話だった。
死をどのように描き終えればいいのか?と、孫娘に語るのだった。
死を目前にしたおじいちゃんのなかでは今だに未解決だった。
「死んだら終わりまで描ける」とも言った。

そして、「かないくん」の友人のおじいちゃんは亡くなってしまった。
物語は孫娘に引き継がれた。
そこから、さらに物語は始まりを迎えるのだろうか。
「生」と「死」とはメービウスの帯、クラインの壺。
1人の死を生きている者が描き尽くせぬまま、死者は死者を迎え入れるのだろう。



  (2014年2月 株式会社東京糸井重里事務所刊行 第2刷)

二百年の子供  大江健三郎

2014-04-23 16:21:32 | Book


まずはこのファンタジーを書いた大江健三郎の言葉を以下に引用します。

 
私たちは(子供から老人まで)いまという時を生きています。
私たちが経験できるのは、いつもいまの世界です。
それでいて、過去の深さと未来からの光にひきつけられます。
人間だけが、そのようないまを生きるのです。
そして、そのことを意識しないでも、誰よりも敏感に知っているのは子供です。

私は小説家として年をとるうち、いまのリアルさと不思議さを書きたいと思いました。
家族や小さい友人たちに約束もしました。
そして私のなかの子供と老人が力をつくして、そのために文章をみがきました。
時間の旅をしっかりやりとげる子供たち(と、「ベーコン」という犬)を作り出しもしました。
永い間、それをかつてなく楽しみに準備しての、私の唯一のファンタジーです。



引用おわり。いいなぁ。この文章!
大江健三郎の生真面目さと、誠実さに満たされているようだ。
読者として幸せになれる。


時間の旅をするのは、3人の子供たち。(三人組)
2001年。彼等の父方の祖母が上京するのが最後になった年に、
真木は16歳。あかりは12歳。朔は11歳であった。

そして2003年の夏休みに、三人組はかつて祖母が建てた「森の家」に滞在する。
その家は、障害を持った真木と暮らすために祖母が建てた家だったが、
父母はそれを断ったという経緯があった。
その離れには「ムー小父さん」が管理人として住んでいた。
このおじさんが三人組を過去や未来に旅立つ手助けをする存在である。

その頃の三人組の父は「ピンチ=心の病」だった。母を伴ってアメリカに行っていた。

そして時間の旅を促したものは、祖母が描き残した水彩絵による。ここが時間の旅の入口。

「童子」と云われる特別な子供が、
森の「千年スダジイ」の根本の「うろ」で、眠る前に願えばそこに行けるという。
しかも三人組が同じことを願えば、同じ所、同じ時代に三人共に行けるという「タイムマシーン」!

そして三人は、103年前のアメリカ、120年前のメイスケさんたちの「百姓一揆」、2064年の「ムー根拠地」へ。
この森の過去と未来への旅をする。ベーコンという犬も真木と共に時間を超えて旅をする。

2064年は現在よりもひどい世界だった。そこには子供たちの自由はなかった。
過去を変えることはできないが、未来を変えることはできる。
それが「新しい人」としての仕事となる。


このファンタジーは、どこを読んでも素敵な言葉になっているので、
感想を書くこと自体が困難極まる。全文覚えていたいという気持ばかり。



物語の最後の父の言葉が、心に残る。それを引用して締めくくることにします。


私らの大切な仕事は、未来を作るということだ、
私らが呼吸をしたり、栄養をとったり、動きまわったりするのも、
未来をつくるための働きなんだ。
ヴァレリーは、そういうんだ。
私らはいまを生きているようでも、いわばさ、
いまに溶けこんでる未来を生きている。
過去だって、いまに生きる私らが未来にも足をかけてるから、意味がある。
思い出も後悔すらも……。



 (2003年 中央公論社刊)

晩年様式集(イン・レイト・スタイル) 大江健三郎

2014-03-01 21:41:06 | Book



まずは、登場人物を。

長江古義人(こぎと):国際的な作家。
長江アカリ:古義人の息子。音楽家。
長江千樫(ちかし)古義人の妻。
長江真木:古義人の娘。
アサ:長江古義人の妹。
吾良(ごろう):自殺した古義人の義理の兄。映画監督。千樫(ちかし)の兄。
ギ―兄さん:長江古義人の兄か?
ギ―・ジュニア
リッチャン


この物語は「3.11=原発事故」から始まる。
長江古義人は、反原発運動の一員となり、デモ行進に加わわったり、演説もしている。
自分たちの時代が原発事故を起こして、自分たちの生きている間に回復させることはできない。
繰り返し出てくる「カタストロフィ」という言葉は「3.11」だけではなく、
主人公の家族の中でも進行する。

文豪「長江古義人=大江健三郎の分身?」も老人になる。
そして今まで書いてきた小説の登場人物たちに、逆襲される時を迎えるのだ。
それも身近な女性たちから。
私の感覚では、むしろ「カタストロフィ」は、家族のなかで展開される要素が強い。

1935年生まれの大江健三郎は、この本を出版された時78歳の高齢者になっている。
このノーベル賞作家が書いてきた様々な小説の登場人物たちに、
この小説のなかで作家は逆襲されるわけですね。
その中心となるのは、障害をもった長男であり、妻であり、娘であり、故郷の妹であった。
(特に娘の真木と妹のアサのパンチがお見事!)
しかし、大江はこれまで私小説を書いているわけではない。私小説的な小説だと思うけれど。

大江の小説を読んできたが、今まで読書中に笑い出すことはなかったけれど、
今回は途中で何度も爆笑していました。
世界的作家を支えていたのは、やはり女性の力でしたね?

教養とか知識とか読書量とかが、やたらに高いおのこにあり得る現象で、
日常を支えている存在が見えなくなってきて、ひたすら自己意識だけが独走してしまう。
それが、大きな現実的な誤りになることもある。
それに困った女性たちが、小説のなかに現れて大作家に意見するのでした。

それらの意見と小説とが、ギ―・ジュニアが中心となって「晩年様式集+α」という冊子を編纂する。
それが、この小説の強固な骨組となっていました。
「カタストロフィ」は小説家が導いたものではなく、今までの小説の登場人物が導いたものかもしれない。



佐々木敦の書評←←これが一番腑に落ちました。


 (2013年第一刷・講談社刊)