書は、黒白(こくびゃく)の芸術、余白の芸術などといわれる。
書はたいていは白い紙に墨で書かれていて、観る人は墨(黒)に目が
行きがちだけど、その黒は、実は余白の白によって生かされている。
写実性を重視する西洋画では、見えるもの全てをキャンバスに描き込んで
あるいは背景を塗り込めて、余白をなくしてしまうが、
それに対して東洋画は白の空き(余白)を敢えて残すことで、その余白に
書かれたもの+α(アルファ-)の意味を暗示させている。
この余白は、「無」の思想を重視する東洋芸術ではとても重要であり、
そこには暗示性そして余韻といったものを求めている。
余白とは、ただむやみに空ければいいというものではない。
無駄なものは削って、本当に必要なもの(本質)だけを表現し、あとは
空白にしておく。
そこで、黒と白が響きあって調和が生れた時、余白が生かされたことになる。
書の表現においては字間、行間、点画間、紙の天地左右、書体、書風、
文字数によっても余白のあり方はさまざま。
そして「白を制する」か「白を生かす」かによって、全く違う印象の作品になる。
書の魅力は、書法とこの余白の美でもあり、そこには精神性と思想がある。
また、生け花、俳句、石庭などの文化もこの余白の美が隠されている。
書の余白は、古典を何度も何度も眺めて臨書していると、だんだん見えてくる。
先生のお手本は、あくまでもヒント。
大事なのは、まずは自分の五感で古典とじっくり向き合うことだと思う。
今回は3枚書きました~なんてのは、自慢になりませんよ~