心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

游於藝(芸に遊ぶ)

2007-08-23 | 論語


孔子の「志於道 拠於徳 依於仁 遊於芸」の一節です。  (S様所蔵)
孔子曰く、正しい道を志し、徳を根拠とし、仁に依って芸(教養)のなかに遊べと。

孔子の言う芸とは教養であり、学問と礼儀作法、武芸も含まれていました。
そして人への愛情、仁を大切にしつつ、そういった教養(芸)のなかに遊んで、
人格の幅を広げよと。
「游」の字はもともとは「およぐ」という意味ですが、自由な気持ちで
その中に身を委ねるという意味もあります。

昨日は近所の大きな公園で、毎年開催される薪能を父母と鑑賞してきました。
今年は金春流の方々のご出演。
夕方6時半、ちょうど日も傾き周囲の森は大きく風にそよぎ、
蝉しぐれの中、静かに開演。
火入れの儀式は、観客席も少し緊張。そして無事火が入った瞬間、拍手。

山本東次郎家一門の狂言は若手も多く、声良し、歯切れ良し、
お囃子は、独特のリズムが心地よくなかなか楽しめました。

父は子供の頃から趣味で能に親しみ、還暦記念にと国立能楽堂を借り切って、
船弁慶を演じた経験もあり、最後の演目の船弁慶は楽しみにしていたようです。
生憎の雨で、後ジテ(後半)だけとなりましたが、
舞台を見つめながら、父はどんなことを感じているのかしらんと、
感慨深いものがありました。

芸事を習うということは、人として大事なものをたくさん学ぶ場でもあります。
師匠、諸先輩、同輩、後輩との関係の中で、芸だけではなく、尊敬の念、
謙虚な気持ち、感謝の気持ちを学ぶわけです。

今の教育の現場では、誰が教えるものでもない「常識」が通らない非常事態です。
それは、学校の勉強ばかりに集中して、日常の繰り返しの中で自然と身につく
教養を体得する機会が減っているからではないかな・・、そして教養とは、
学問ができることの以前に、さりげなく相手を尊重し思いやることのできる
心なのかなと、ふと思いました。


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2 コメント

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凡て、遊ぶがごとく楽しむ (三軒家(さんげんや))
2011-10-08 17:33:07
おじゃま様です。
「努るは好むにしかず」「好むは楽しむにしかず」
努力してやる人は、好きでやる人には勝てない。好きでやるのもいいが、楽しんでやる人には勝てない。だから仕事は遊びのごとく楽しんでやると最高の仕事になる訳であります。
パーティグッズ(クラッカー、投げテープ、くす玉、キャンドル、打ち上げ花火)の製造販売を業としていた関係上、“遊び心”は大切な要素でした。遊ぶがごとく仕事に取り組めば商品が商いをしてくれます。世界が近づいてくる経験をしました。結果だけを求めての仕事は実りが少なかった。自由な心で楽しみながら仕事そのものになれば自ずと結果がついてきました。
「遊於藝-藝に遊ぶ」がごとく、絵が書が生き生きと主張しています。お陰様で、免疫力が高まりました。
いつまでも、いつまでも永遠にありがとう
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三軒家さん (沙於里)
2011-10-09 01:38:30
先日は「メッセージ欄」からのお便りありがとうございました。
パーティグッズ用品のお仕事されていたんですか
>自由な心で楽しみながら仕事そのものになれば自ずと結果がついてきました。
・・ほんとですね。きっと何事にも言えることなのでせう。

拙ブログですが、こちらこそありがとうございます。 
これからもどうぞよろしくお願いします。

また、たくさんコメントを頂き感謝です。
ちょっとづつ、私も振り返りながらお返事させて頂きたいと思いますので、気長にお待ち頂ければ幸いです
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