BIN山本の『映画にも程がある』

好きな古本との出会いと別れのエピソード、映画やテレビ、社会一般への痛烈なかくかくしかじか・・・

50年前的

2016年11月07日 | 古本
以前に1度読んでいて、ここに取り上げた記憶があるが、また再読してみた。甫喜本 宏さんはHBCで
数々のテレビドラマをプロデュースしたり演出したりしたお方だ。そこには昔のビデオ機材と切り離せない
苦労や失敗談が書いてあり、改めて読むと2インチVTRの歴史などが分かる。
昭和41年(1966年)ころは<VTR編集は高度な熟練を必要とするスプライス編集>
<匠の業ともいうべきものであった>とあり当時のVTRは同期が安定するまで30秒はかかり、
それでヨーイ・スタートとなる。(ちなみにその後の1インチVTR時代は10秒前スタートに短縮された。
しかし今ではVTRもフィルムとほぼ同じのヨーイでスタートしても問題ない)そして<VTRを走らせ、
編集したいと思う箇所でストップし、銀白色の鉄粉をぬる。鉄粉の作用で明確になった編集パルスを、
顕微鏡で探りだし、カミソリの刃でテープを切断して銀紙で接着する。>1カットの繋ぎに15分もかかり
、それが神業ともいうべき作業だったのだ。
いまや収録素材さえパソコンに取り込めば、映像の頭から使え、PC1台で自在にスーパーを入れたり
特殊効果的な編集ができる。ここ50年の間にビデオ機材の世界は革命的に進歩した。
当時アメリカ・アンペックス社の2インチVTRは1台3,800万円もしたという。今の金額になおすなら、
1台数億円ということになるだろうか。放送設備などとんでもなく金がかかり、そしてとんでもなくそれでも
テレビ局は金を儲けていたということになる。うむーだ。
しかしだ、その時代の2インチVTRや1インチVTRが当館に何台もある。その他のフィルム機材やビデオ機材を
定価で合計すると数十億円にもなるだろうか。
そうか、ここ「登別映像機材博物館」はガタイの大きな宝石箱博物館なのだ(笑)

 「愛しのテレビドラマ」ー北国のプロデューサー狂騒曲ー  著者 甫喜本 宏
  ( 北海道新聞社 定価1200円 昭和59年2月27日 )

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