BIN山本の『映画にも程がある』

好きな古本との出会いと別れのエピソード、映画やテレビ、社会一般への痛烈なかくかくしかじか・・・

無 冠

2021年09月22日 | 古本
人の親は99パーセント以上が無冠だ。平凡であり凡庸だ。それがいつしか阿久悠さんはそんな父親のノンフィクション、
いや父の小説を書いた。作詞家として有名になった自分が身内の事をテレビに出したり語る事は「恥ずかしいことだ」と
冒頭にはあったが。(アタシはその見識をタレントなどにも言いたいが、父母のお涙物はみんな好きらしい)
まあそれはともかくいいことにしょう。より興味を持ったのは、この小説が編集者によって最終章を書き直すように云われ
(ただ編集者は改稿を求めたのであり、それが最終章とは書いてないが)
たことで、阿久さんはお蔵入りを決めた。それが死後の後片付けにより発見され、出版されたことだ。つまり編集者はどこが
いけないと感じたのか、そこがアタシは知りたい。確かに外国に旅行中にマネージャーから思わぬ父の死を知らされ、戸惑った。
そして出来るだけ派手に大きな葬儀をと伝えた。参列者が列をなし、有名人からや大手の芸能に係わるプロダクションやTV 局
からの花輪が境内にとどまらず、道路に長くはみ出した、などとは父ではなく自分への自慢に過ぎない。編集者はその辺をたし
なめたものに、という事だったとアタシは思うのだがどうだろう、聞いてみたいものだ。
 「無冠の父」 著者 阿久 悠  岩波書店 定価1800円+税
  ( 2011年10月13日 第1刷発行 )

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