BIN山本の『映画にも程がある』

好きな古本との出会いと別れのエピソード、映画やテレビ、社会一般への痛烈なかくかくしかじか・・・

八月の・・・

2008年08月18日 | 時と事
 八月の、朝夕に冷気を感じ始めるころ、この曲を思い出す。
もう三十年以上も前にはなるだろう。仕事の後には決まった
酒場に入り浸っていた。そこではいつものウィスキーをロックで
飲み、乾物だけを肴にした。そして閉店の合図には、決まってこの曲が流れた。
その酒場ではこの曲が〔ほたるの光〕の代わりになっていた。
週に1,2度は この曲を聴くことになり、
週に1,2度は この曲を聴く前に店をでた。
酒にも酔い、この歌の詞にある けだるさ にも酔っていた。
映画と同じ( 同名の日活映画 藤田 敏八 監督 1971年 )青春の焦燥に
共感しながら、その反発するエネルギーの方向性を、オレたちは探っていた
のだろうか。
 当時の飲み仲間と会うことは、もうない。二人が鬼籍に入り、何人かは遠隔に
住み、そのほかのダチは同じ市内に暮らすも、会うべき機会と理由が無くなった。
 ♪「あの夏の 光と影は どこへ 行って しまったの・・・」

  石川 セリ 「 八月の濡れた砂 」(ドーナツ盤)
  ( 作詞 吉岡 オサム  作曲 むつ ひろし  編曲 秋葉 洋 )

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