帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第一 春歌上(58)誰しかもとめて折りつる

2016-10-29 19:59:23 | 日記

             


                         帯とけの「古今和歌集」

                ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


 「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。
それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。

 

「古今和歌集」巻第一 春歌上58

 

折れる桜をよめる            貫之

誰しかもとめて折りつる春霞 たち隠すらむやまのさくらを

(折れた桜を詠んだと思われる・歌……折られたおとこ花を詠んだらしい・歌) つらゆき

(誰がいったい、求めて折ってしまったのか、春霞が立ちこめ、わざわざ・隠しているのだろう、山の桜を……いったいどこのどなたが、欲求して折ってしまったのか、春の情が済み、絶ち隠しているのだろう・立つこと失せたのだろう、山ばのおとこ端を)

 


  歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「だれしかも…誰なんだろうか…(いったいどこの女)だろうか」「しかも…疑問を表す語に付いて疑問の意を強める」「とめて…もとめて…求めて…欲求して」「折…夭折…逝」「つる…つ…完了した意を表す」「春霞…はるがすみ…春が済み…春の情が澄み…張るが済み」「たちかくす…立ち込め(桜花)を隠す…絶ちて(それを恥じて)隠す」「山の桜花…山ばの男はな…頂上にて逝ったおとこ端」「を…対象を示す…お…おとこ…詠嘆を表す」。

 

折れた桜の枝を見て詠んだ、「自然を大切に」のキャッチコピーのよう。――歌の清げな姿。

「わたしが見にくれば、いつも絶ち隠れるのね」「多気の女だから、手折ってでも、井へに込める、おみやげにするのよ」とか言って、おとこの身の枝折ったのは誰なのだ。――心におかしきところ。

 

景色を読んだ、清げな姿だけの歌は、古今集に一首たりともない。「人は事・業、繁きものなれば、心に思ふことを見る物、聞くものにつけて言いだせるなり(仮名序・冒頭)」とあるように、見る物に付けて、人の心を表出した歌である。公任の捉えた「心におかしきところ」が添えられてある。これが歌のさまである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)