帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第一 春歌上(52)としふればよはひはおいぬ

2016-10-22 20:29:49 | 古典

             


                         帯とけの「古今和歌集」

                ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


 「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。
それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。

 

「古今和歌集」巻第一 春歌上52


      染殿后の御前に、花がめに、桜の花をさゝせ給へるを

見てよめる              前太政大臣

年ふればよはひは老いぬしかはあれど 花をし見れば物思もなし

染殿后(藤原明子・前太政大臣の娘)の御前に、花瓶に、桜の花を挿しておられたのを見て詠んだと思われる・歌 

前太政大臣(摂政・藤原良房)

(年が経てば、年齢は老いてしまう、しかしながら、桜の花を・孫の帝を、見れば、もの思いもない・若々い……疾し、経てば、夜這いは、感極まってしまう、しかしながら、わが・おはなを、みれば、まだ・もの思いもしていない・若々しい)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「年…齢…とし…疾し…早過ぎ…おとこのさが」「よはひ…年齢…夜這い…媾…まぐあい」「老い…おい…追い…極まる…齢が極まる…感極まる」「花…木の花…桜花…男花…男の比喩となる…おとこ端…草花ならば言の心は女で、女の比喩となる」「もの思ひ…心配すること…春情…有頂天の思い」。

 

年月経てば、年齢は老いてしまう、しかしながら、桜花を・男花を、見れば、若々しく・散る心配もなし。――歌の清げな姿。

疾しひと時経てば、夜這いは感極まってしまう、しかしながら、我がおとこ端をみれば、未だもの思いもしていない・若々しく散り果てる心配無し。――心におかしきところ。

 

孫に当る清和天皇が、九歳で即位されると、藤原良房は摂政となった。良房は幼帝を念頭に自信に満ちた歌を詠んだのである。これより藤原氏の摂関政治が本格的に始まったのである。

 

この歌、「題しらず」だと、花を「草花」と聞き、染殿后の比喩となる。すると、歌は「我は年と共に老いゆくが、花(美しい花のような我が娘・后)を見れば、何の心配もない」となる。これは、歌の「清げな姿」の一面である。この姿しか見えないと、歌の趣旨はわかるが、公任の言う「深い心」や「心におかしきところ」が聞こえない。貫之の言う「歌のさま」とは何か、「言の心」を心得るとは何のことかも不明となる。

仮名序の結びの言葉「歌のさまを知り、ことの心を得たらむ人は、大空の月を見るが如くに、いにしへを仰ぎて今を恋ひざらめかも」を曲解するか無視するほかなくなる。国学及び国文学は無視したのである。そして近代人の文脈にて、古代の和歌を解明するという間違った方法と結果を残した。そのままに現代に至っている。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)