帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第一 春歌上(50)山たかみ人もすさめぬ山桜

2016-10-20 19:00:01 | 古典

             


                         帯とけの「古今和歌集」

                ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


 「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。
それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。

 

「古今和歌集」巻第一 春歌上50

 

題しらず           よみ人しらず

山たかみ人もすさめぬ桜花 いたくなわびそ我見はやさむ

又は、里とをみ人もすさめぬ山さくら

(山が高くて人も寄りつかない山桜、ひどく寂しがらないでね、わたしが見て囃したてるわ……山ばが高すぎて、女も、近づかない・盛り上がらない、山ばのおとこ端、ひどくがっかりしないでね、わたしが見て、栄えさせてあげるわ)

又は(里が遠くて人も近寄らない山桜、ひどく寂しがらないでね、わたしが見て囃したてるわ……さ門が縁遠くて、女も、寄りつかない・盛りあがらない、おとこ端よ、ひどくがっかりしないでね、わたしが見て、栄えさせてあげるわ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「山…山ば…クライマックス…感情の山ば…エクスタシー」「人も…人は皆…女も(さ門も)」「すさめぬ…賞美しない…興味感じない…盛りあがらない…栄えない」「桜花…木の花…梅花と言の心は同じで男花…おとこ端」「なわびそ…侘びしがるな…寂しがるな…がっかりするな」「みはやさむ…見物して囃し立てよう…賞味(見)して持て囃そう…見て栄えさせよう」「見…覯…媾…まぐあい」「む…意志を表す」。

 

山の高いところに咲いたので、人が賞美しない桜花、ひどく寂しがるな、我が見て、もて囃してやるよ。――歌の清げな姿。

上るべき山ば高くて・(さ門縁遠くて)、女も盛り上がらない、山ばのおとこ端、ひどくがっかりしないでね、わたしが見て、栄え立ててあげるわ――心におかしきところ。

 

女の歌として聞いた。山桜を擬人化して、歌は「清げな姿」をしている。「心におかしきところ」は、女の愛情表現か、又は、おとこへの揶揄か風刺とも聞こえる。題しらずなので、どのような情況でどういう相手に送ったかわからない、聞き耳によって主題の意味が異なる。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)