帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第一 春歌上(55)見てのみや人にかたらむさくら花

2016-10-26 19:03:22 | 古典

             


                         帯とけの「古今和歌集」

                ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


 「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。
それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。

 

「古今和歌集」巻第一 春歌上55

 

山の桜を見てよめる           素性法師

見てのみや人にかたらむさくら花 手ごとにおりて家づとにせん

(山の桜を見て詠んだと思われる・歌……山寺の桜の花見する女たちを見て詠んだらしい・歌) 素性法師

(見物しただけで人に語るのだろうか、すばらしい・桜花、皆さん・手に手に折って、家への土産にしよう……見ての身や・見た憶えある身よ、花見ただけで人に語るのだろうか、おとこ端を、手毎に折って、井へのおみやげにするのだろう)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「見…見物…覯…媾…まぐあい」「のみ…だけ…限定の意を表す…の身」「や…疑問・反語・呼びかけの意を表す」「さくら花…木の花…男花…おとこ端」「おりて…折って…逝かせて」「家づと…家へのみやげ物…いへづと…井へづと…井辺へのおみやげ」「家…言の心は女」「い…ゐ…井…言の心はおんな」「せん…せむ…するだろう…しようよ…するのだろう」「む…意志を表す…勧誘の意を表す…推量を表す」。

 

桜の花見に仲間と遠出したとき、この美しい花の土産話だけではなく、手折ってお花を家への、おみやげにしよう。――歌の清げな姿。

桜の花を見物に山寺に来た女たちに、見ただけで人に語るのかな、そうではないだろう、すばらしいおとこはな、手折って井へのおみやげにするのだろう。――心におかしきところ。

 

からかい気味に、皮肉を込めて、法師として心に思う事を表現した。多情な女たちの心を和らげながら、法師の思いが伝わるはずである。


 和歌は人の心を慰めたり、和ませたりするものである。「男女の仲をも和らげ、猛き、もののふの(武人の・ものが生い繁る)心を慰むるは歌なり(仮名序)」。「もののふ…夫…男…臣…文武百官…ものが生え繁っている…諸々の感情が渦巻く」「ふ…夫…生える」。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)