帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第一 春歌上(40)月夜にはそれとも見えず梅花

2016-10-08 18:51:25 | 古典

               


                             帯とけの「古今和歌集」

                    ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


 
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、隠れていた歌の「心におかしきところ」が顕れる。それは、普通の言葉では述べ難いことなので、歌から直接心に伝わるよう紐解く。


 「古今和歌集」巻第一 春歌上
40


          月夜に梅花折りてと人の言ひければ、おるとてよめる

躬恒

月夜にはそれとも見えず梅花 香をたづねてぞしるべかりける

(月夜に、梅の花折ってよと、人が言ったので、折ると言って詠んだ・歌……尽きた夜に、おとこはな、折ってしまってと、女が、恨みごと・言ったので、降りると言って詠んだ・歌) 凡河内躬恒

(月の白夜には、それとも、見えない白梅の花、香りを尋ねて、それと知るべきだなあ……尽きた夜に、それとも、見得ず、わが・おとこ端、香りを尋ねてだ、汁るべきだなあ・降りる)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

詞書「月…月人壮士…万葉集以前から月の言の心は男…尽き」「梅花…木の花…言の心は男花…おとこ花…おとこ先端」「をりて…折ってよ…折ってしまって…おりて…降りてよ」「いひければ…(お願い口調で)言ったので…(恨みがましく)言ったので…(命令口調で)言ったので」「をる…折る…おる…下りる…降りる」。

歌「見えず…(白いので花と)見えない…(尽きたので)見得ず」「見…覯…媾…まぐあい」「しる…知る…汁…滲む液…濡れる」「べかり…べし…当然・適当の意を表す」「ける…けり…気付き・詠嘆の意を表す」。

 

月夜に、白梅の花折ってと言われても、よく見えない、香を尋ね探し当て折るべきだなあ。――躬恒の歌の「清げな姿」は、普段着での雑談のようである。

こと尽きた夜、はかないおとこの性(さが)に、香を残して降りる悲哀。――心におかしきところは、誰にも詠めない、誰も詠まない、おとこの性愛の微妙な境地。

 

「言の心」を心得ず「歌言葉の戯れの意味」も知らない人々には、歌の「清げな姿」しか見えないので、躬恒の歌はくだらない歌と聞こえるだろう、すばらしいなどと言う人は偽善者である。明治の正岡子規が躬恒の歌を酷評したのは正当である。しかし平安時代は、貫之と並び称せられたのである。
  江戸時代、既に、和歌の解釈を根本的に間違え、誰にも、歌の「心におかしきところ」が聞こえなくなった。近世・明治・現代にかけての、和歌の国文学的解釈は、平安時代の歌論と言語観を無視した、うわ
の空読みである。国文学的解釈の間違いに警鐘を鳴らし続ける。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)