帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの『金玉集』 夏(二十三) 源公忠朝臣

2012-11-08 00:09:26 | 古典


    




             帯とけの金玉集



 紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。


 公任の撰した金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が選ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。


 金玉集 夏
(二十三) 源公忠朝臣


 ゆきやらで山路くらしつほとゝぎす いま一声の聞かまほしさに

 (行き過ぎられなくて、山路で日暮れとなった、ほとゝぎす、いま一声が聞きたいために……逝き尽くことなく、山ばの途中、果てた、且つ乞う、いまひと声が聞きたくて)。


 言の戯れと言の心

 「ゆきやらで…行き遣らず…行き至らず…越えてゆけず」「で…ず…打消しの意を表す」「山路…山道…山ばへの路…絶頂への路」「くらしつ…暮らした…日暮れを迎えた…ことが果てた」「ほとゝぎす…郭公…かっこうと鳴く鳥の名…名は戯れる、ほと伽す、且つ乞う、なおもと乞う女」「鳥…女」「ひとこえ…一声…ひと声…女声」「まほし…たい…話し手の希望の意を表す」「さ…接尾語」「に…ので…ために…原因・理由を表す」。


 歌の清げな姿は、山越えの途中日暮れとなってしまった旅人の事情。歌は唯それだけではない。

歌の心におかしきところは、山ば越える途中で果ててしまったおとこの事情。

 

この歌は、拾遺集 巻二 夏にある。今では、歌の「清げな姿」しか解き明かされていない。その一義な解釈は、近世の国学から現代の国文学まで久しく変わっていない。その解釈に疑問の余地は、ほんとうにないのだろうか。
 旅日記の一節のような一義な歌を優れた歌として、藤原公任が撰ぶはずがないのでは、という疑問ぐらいは持つべきである。
 「心深い」かどうかはともかくとして、言葉の戯れや「言の心」の用い方は絶妙で、「心におかしきところ」がある。

 


 歌の「心におかしきところ」は、歌人では藤原定家以降、為政者の武士では源実朝以降、次第に埋もれ木のようになって、「古今伝授」の口伝となって消えたのである。文字として残る「古今伝授」は秘密の木の名や鳥の名があるなどと、一見、荒唐無稽としか思えない事ばかりである。近世の国学者たちは、論理実証的に歌の解釈を始めた。その方法は近代を経て現代の国文学も変わらない。近代人には誰もが納得できるこの方法は、ほんとうの和歌の意味に近づくことが出来ているのだろうか。

歌は、定家の父俊成のいうように「浮言綺語の戯れ」で作られ其処に趣旨が顕れる。「言の戯れ」は、論理的思考の適う相手ではないことなど、二十世紀の西洋の哲人たちの言語に論理で立ちむ向かった玉砕ぶりに学べばわかるでしょう。

 

 和歌が「古今伝授」になる以前の、平安時代の歌論や言語観に返りましょう。なぜか、国文学は、貫之、公任、清少納言、俊成の歌論や言語観を曲解するか無視して来た。「帯とけの――」は、彼らの時代の文脈に返って、一義な解釈に凝り固まった和歌や歌物語などを、ときほぐそうとしている。数百年にわたって凝り固まったものをほぐすのは容易なことではなさそうだ。解き明かすことは色好みなので、誤解に基づく排斥、排除とも戦わねばならないようだ。

 

  伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず

   『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。