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帯とけの金玉集
紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。
公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。
金玉集 冬(三十四) 紀 友則
夕されば佐保の川原の川霧に ともまどはせる千鳥鳴くなり
(夕方になれば、佐保の川原の川霧の中で、ともども友を惑わせる千鳥が頻りに鳴いている……果て方になれば、さほのか原の、か端限りのために、伴侶、惑わせるひと、頻りに泣いているようだ)。
言の戯れと言の心
「夕されば…夕方になれば…果て方になれば」「さほ…佐保…所の名…名は戯れる。早お、小お、おとこ」「さ…接頭語…早…小」「ほ…お」「かはら…川原…彼原…あの山ばのない」「かはぎり…川霧…彼端限…あの身の端の限度」「に…場所を示す…原因理由を示す」「とも…友…共…伴…伴侶…夫…男」「まどはせる…惑わせる…心を乱す…困惑させる」「千鳥…群れて頻りに鳴く小鳥の名…頻りに泣く女」「鳥…女」「鳴く…泣く」「なり…断定する意を表す…音・声の様子から推定する意を表す」。
歌の清げな姿は、大和の佐保川の冬の景色。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、風物に寄せて表された、色情の果て方の女の気色。
拾遺和歌集 冬に、題しらず、としてある。
ついでながら、同じ拾遺集 秋の、忠岑の歌を聞きましょう。
千鳥鳴く佐保の川霧たちぬらし 山の木の葉も色かはりゆく
(千鳥鳴く佐保の川霧、立ったらしい、山の木の葉も、色変わりゆく……ひとが泣く、さほの彼端限り、絶ち濡らし、山ばのこの端も、色かわり逝く)。
前の歌と同じ「言の戯れ」と同じ「言の心」で詠まれてある。
「このは…木の葉…此の端…身の端」「色…色彩…色情」。
秋がきて木の葉も色増さり行く。又は、飽きの果てがきて色おとろえ逝くとも聞こえる。
屏風歌。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。