帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの『金玉集』 冬(三十四) 紀 友則

2012-11-21 00:11:45 | 古典

    



             帯とけの金玉集



 紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。


 公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌
言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。

 

 金玉集 冬
(三十四) 紀 友則

 夕されば佐保の川原の川霧に ともまどはせる千鳥鳴くなり

 (夕方になれば、佐保の川原の川霧の中で、ともども友を惑わせる千鳥が頻りに鳴いている……果て方になれば、さほのか原の、か端限りのために、伴侶、惑わせるひと、頻りに泣いているようだ)。


 言の戯れと言の心

 「夕されば…夕方になれば…果て方になれば」「さほ…佐保…所の名…名は戯れる。早お、小お、おとこ」「さ…接頭語…早…小」「ほ…お」「かはら…川原…彼原…あの山ばのない」「かはぎり…川霧…彼端限…あの身の端の限度」「に…場所を示す…原因理由を示す」「とも…友…共…伴…伴侶…夫…男」「まどはせる…惑わせる…心を乱す…困惑させる」「千鳥…群れて頻りに鳴く小鳥の名…頻りに泣く女」「鳥…女」「鳴く…泣く」「なり…断定する意を表す…音・声の様子から推定する意を表す」。


 歌の清げな姿は、大和の佐保川の冬の景色。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、風物に寄せて表された、色情の果て方の女の気色。


 拾遺和歌集 冬に、題しらず、としてある。

 ついでながら、同じ拾遺集 秋の、忠岑の歌を聞きましょう。

 千鳥鳴く佐保の川霧たちぬらし 山の木の葉も色かはりゆく

 (千鳥鳴く佐保の川霧、立ったらしい、山の木の葉も、色変わりゆく……ひとが泣く、さほの彼端限り、絶ち濡らし、山ばのこの端も、色かわり逝く)。


 前の歌と同じ「言の戯れ」と同じ「言の心」で詠まれてある。
 「このは…木の葉…此の端…身の端」「色…色彩…色情」。

 
秋がきて木の葉も色増さり行く。又は、飽きの果てがきて色おとろえ逝くとも聞こえる。
  屏風歌。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。