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帯とけの金玉集
紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。
公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。
金玉集 恋(四十) よみ人しらず
我が恋はむなしき空に満ちぬらし 思ひやれども行く方もなし
(我が恋は空虚な空に、きっと充満したのだろう、思い晴らすけれど、思いの行き先もない……我が乞いは空虚なひとにきっと満ちただろう、同情すれども、もう逝く手立てもなし)。
言の戯れと言の心
「恋…乞い…求め」「むなしき空…空虚な空…宇宙…空しき天…空しきあま」「空…天…あま…あめ…女」「らし…確信を以て推定する意を表す」「思ひやる…思いを晴らす…くるしい思いを何処かへ遣る…同情する…気を遣う」「行く方…行く方向…行き先…逝く方法…逝く手立て」。
歌の清げな姿は、我が恋は宇宙に充満しただろう、苦しさを晴らすにも、もう遣り場も無いという、どうしょうもない男の恋心。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、我が乞い求めは、むなしいというあまに、きっと満ちただろう、同情するが、これ以上、逝きばも手だてもないという、おとこのはかない乞い心。
古今和歌集 恋歌一。題しらず、よみ人しらず。男歌として聞く。
上の歌は、次の二首の女歌に挟まれてある。
ちはやぶる賀茂の社のゆふだすき 一日も君をかけぬ日はなし
するがなる田子の浦浪たたぬ日は あれども君を恋ぬ日はなし
この二首の、女の強い思いや強い恋(乞い)心は、男歌のおかしさを増す。そのような効果があるように並べられてある。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。