帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの『金玉集』 恋(四十) よみ人しらず

2012-11-28 00:49:50 | 古典

    



             帯とけの金玉集



  紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。


  公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。

 

 金玉集 恋(四十) よみ人しらず

 我が恋はむなしき空に満ちぬらし 思ひやれども行く方もなし

 (我が恋は空虚な空に、きっと充満したのだろう、思い晴らすけれど、思いの行き先もない……我が乞いは空虚なひとにきっと満ちただろう、同情すれども、もう逝く手立てもなし)。


 言の戯れと言の心

 「恋…乞い…求め」「むなしき空…空虚な空…宇宙…空しき天…空しきあま」「空…天…あま…あめ…女」「らし…確信を以て推定する意を表す」「思ひやる…思いを晴らす…くるしい思いを何処かへ遣る…同情する…気を遣う」「行く方…行く方向…行き先…逝く方法…逝く手立て」。


 歌の清げな姿は、我が恋は宇宙に充満しただろう、苦しさを晴らすにも、もう遣り場も無いという、どうしょうもない男の恋心。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、我が乞い求めは、むなしいというあまに、きっと満ちただろう、同情するが、これ以上、逝きばも手だてもないという、おとこのはかない乞い心。

 
 古今和歌集 恋歌一。題しらず、よみ人しらず。男歌として聞く。


 上の歌は、次の二首の女歌に挟まれてある。

  ちはやぶる賀茂の社のゆふだすき 一日も君をかけぬ日はなし

 するがなる田子の浦浪たたぬ日は あれども君を恋ぬ日はなし


 この二首の、女の強い思いや強い恋(乞い)心は、男歌のおかしさを増す。そのような効果があるように並べられてある。



 伝授 清原のおうな

 
  鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
 
聞書 かき人しらず


  『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。