帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの『金玉集』 冬(三十二) 凡河内躬恒

2012-11-19 00:01:34 | 古典

    



             帯とけの金玉集



 紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。


 公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌
言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。

 

 金玉集 冬
(三十二) みつね

 心あてに折らばや折らむ初霜の おきまどはせる白菊の花

 (心まかせに折ろうかな、折ろう、初霜がおりて惑わせる、白菊の花……心貴てなので、折ろうかどうしょう折ろう、初しもの置き惑わせる、清き草花のひと)。


 言の戯れと言の心

 「心あてに…当て推量に…心まかせに…心貴てなので…心上品なので」「に…手段方法を表す…原因理由を表す」「折る…(花を)折る…おとこを折る…逝く」「ばや…たいけれど…願望を控えめに表す…どうだろうか…仮定し疑問の意を表す」「む…意志を表す」「初霜…初しも…初めての白きもの」「おき…(霜など)おり…(贈り)置き」「まどはせる…戸惑いさせる…心を迷わせる」「白菊の花…清き草花…汚れなき女花…清楚な女」「草…草花…女…ぬえ草のめ、若草の妻と表現された『古事記』以前から、草の言の心は女」。


 歌の清げな姿は、初霜の降りた白菊の汚れなき美しさに折り採るのを惑う心。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、心が高貴で、汚れなき若草の妻に、しも贈り置き逝くのを惑う男心。


 古今和歌集 秋歌下、詞書は「白菊の花を詠める」とある。これも、字義通りにのみ読む必要はない。

 


 清少納言は『枕草子』で「木の花は」「花の木ならぬは」「草は」[草の花は]と分けて、名を挙げて説明を加え、「めでたし」「いうべくもあらず」「いみじうめでたき」「おかし」「いとめでたし」などと連発する。それぞれに「言の心」があるからである。また、それぞれ名は戯れるからである。


 枕草子(第六十三)の書き出しの一文を読みましょう。


 (原文) 草は、さうふ、こも、あふひ、いとおかし。

 (文字通りの読み) 草は、菖蒲、菰、葵、とっても風情がある。

 (言の心を心得たおとなの女たちの読み) 女は、想夫、来も、合う日、いとおかし。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。