帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの『金玉集』 春(十七) 大伴家持

2012-11-02 00:01:23 | 古典


    




             帯とけの金玉集



 紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。


 公任の撰した金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が選ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。


 金玉集 春
(十七)詠み人しらず

 春の野にあさるきゞすの妻恋に おのが在りかを人にしれつゝ

 (春の野で餌を捜す雉が、妻恋に鳴く声のため、己が在処を人に知られながら……春情のひら野に朽ち果てる、ききすのような妻乞いに、己が在りどころを、ひとに知れ、筒)。


 言の戯れと言の心

 「春の野…季節の春の野…春情のひら野…山ばでないところ」「あさる…餌を捜し取る…あざる…腐る…朽ちる…よれよれになる」「きゞす…雉…響き渡る声で鳴く鳥…効き素…効き目平凡」「の…の…のような…比喩を表す」「妻恋…妻乞い…妻求め」「に…のために…によって」「おのがありか…己が在処…己が居場所…己が居るひら野」「人にしれ…人々に知られ…ひとに知られ…妻に感知され」「つつ…継続している…管…筒…中空…充実していない…空しい」。


 歌の清げな姿は、響き渡る雉の妻恋の声。歌は唯それだけではない。

歌の心におかしきところは、はかないおとこのさが。

 

 
 万葉集にある本歌を聞きましょう。


 巻第八 春雑歌 大伴宿祢家持春雉歌一首

 春野に あさる雉の妻恋に 己が當りを 人に知れ管


 和歌は一筋縄ではない。本歌にも、清げな姿あり、心におかしきところもある。

 
 深い心は寓意に表されてある。それは聞く耳によって異なるものの、あえて記せば、流されゆく或る人物が、行く先々で都に残した妻を恋う歌を詠む、思い萎えているが心に響く歌だけが空しくも都に帰って来る情況。その歌は「…短夜も独りし寝れば明かしかねつも」「…あさ霧に島かくれゆく舟をしぞ思ふ」「…ながながし夜を独りかも寝む」など。



 伝授 清原のおうな

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。