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帯とけの金玉集
紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。
公任の撰した金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が選ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。
金玉集 秋(二十六) 大弐高遠
あふさかの関の岩かどふみならし 山たちいづるきり原の駒
(逢坂の関の岩角、踏みならし、山を出で来る桐原産の駒……合う坂の難関の、岩門、踏み平らげて、山ば出で絶つ、限り原の股ま)。
言の戯れと言の心
「あふさか…逢坂…相坂…合坂…和合の山坂…越えれば宮こ又は合う身」「関…関所…難関」「いはかど…岩角…岩門…井は門…女」「ふみならし…踏み均し…踏み平らげ」「山たちいづる…逢坂山より出てくる…山ば絶ち出でる」「きりはら…桐原…所の名…名は戯れる、霧原、限り原、果ての原」「はら…原…山ばではないところ…ひら原」「こま…駒…股間…おとこ」。
拾遺集の詞書「少将に侍るとき駒むかへにまかりて」。
歌の清げな姿は、秋、都へ送られて来た若駒のはつらつとした姿。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、合うべき山坂越え絶ち、ひら原へ出た、限界ぎりぎりのこまのありさま。
「いはかど」という言葉は、岩角の他に岩門、女という意味を孕んでいた。これを論理で実証することはできない。言葉の意味は、その文脈での使用のされ方にあるという、そうとしか言いようがないものらしい。拾遺集と同時代の人、紫式部の歌で「いはかど」の使用のされ方を見てみましょう。
紫式部は宮仕え前に夫を亡くした。その喪中でしょう、言い寄った男を門前払いした。その男の恨み歌に対する返歌。紫式部集より。
かへりては思ひ知りぬやいはかどに 浮きて寄りける岸のあだ波
(寄せては返って、思い知ったか、岩角に浮かれて言い寄り来た、あだな男波よ……はね返っては、思い知ったか、岩門に浮かれ寄り来し、あだな汝身だと)。
「いはかど…岩角…岩門…岩の門…井は門…女」「岩…井は…女」「かど…角…門…身の門…女」「きし…岸…来し…来た」「あだ…徒…もろい…はかない…いいかげん…無用の」「なみ…波…男波…汝身…おとこ…並み…ありふれた…体言止めに余情がある。なみだとよ、なみだったと」。
この文脈では、もとより「いはかど」には女という言の心があった。「なみ」は「汝身…並み…おとこ」などと戯れていた。そのように心得れば、紫式部が現実に詠んだ歌の「心におかしきところ」が聞こえ、殻に包まれていた生の心がよみがえる。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。