帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの『金玉集』 秋(二十六) 大弐高遠

2012-11-12 00:05:22 | 古典

    



             帯とけの金玉集



 紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。


 公任の撰した金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が選ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。



 金玉集 秋
(二十六) 大弐高遠

 あふさかの関の岩かどふみならし 山たちいづるきり原の駒

 (逢坂の関の岩角、踏みならし、山を出で来る桐原産の駒……合う坂の難関の、岩門、踏み平らげて、山ば出で絶つ、限り原の股ま)。


 言の戯れと言の心

 「あふさか…逢坂…相坂…合坂…和合の山坂…越えれば宮こ又は合う身」「関…関所…難関」「いはかど…岩角…岩門…井は門…女」「ふみならし…踏み均し…踏み平らげ」「山たちいづる…逢坂山より出てくる…山ば絶ち出でる」「きりはら…桐原…所の名…名は戯れる、霧原、限り原、果ての原」「はら…原…山ばではないところ…ひら原」「こま…駒…股間…おとこ」。


 拾遺集の詞書少将に侍るとき駒むかへにまかりて」。

 歌の清げな姿は、秋、都へ送られて来た若駒のはつらつとした姿。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、合うべき山坂越え絶ち、ひら原へ出た、限界ぎりぎりのこまのありさま。



 「いはかど」という言葉は、岩角の他に岩門、女という意味を孕んでいた。これを論理で実証することはできない。言葉の意味は、その文脈での使用のされ方にあるという、そうとしか言いようがないものらしい。拾遺集と同時代の人、紫式部の歌で「いはかど」の使用のされ方を見てみましょう。


 紫式部は宮仕え前に夫を亡くした。その喪中でしょう、言い寄った男を門前払いした。その男の恨み歌に対する返歌。紫式部集より。

 かへりては思ひ知りぬやいはかどに 浮きて寄りける岸のあだ波

 (寄せては返って、思い知ったか、岩角に浮かれて言い寄り来た、あだな男波よ……はね返っては、思い知ったか、岩門に浮かれ寄り来し、あだな汝身だと)。


 「いはかど…岩角…岩門…岩の門…井は門…女」「岩…井は…女」「かど…角…門…身の門…女」「きし…岸…来し…来た」「あだ…徒…もろい…はかない…いいかげん…無用の」「なみ…波…男波…汝身…おとこ…並み…ありふれた…体言止めに余情がある。なみだとよ、なみだったと」。


 この文脈では、もとより「いはかど」には女という言の心があった。「なみ」は「汝身…並み…おとこ」などと戯れていた。そのように心得れば、紫式部が現実に詠んだ歌の「心におかしきところ」が聞こえ、殻に包まれていた生の心がよみがえる。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。