サキさんの介護日記     (若年性認知症の妻との記憶)

若年性認知症の妻。今までの介護の記憶と、現在の様子を気分のままに書いていきます。

サキさん60歳

2016年04月19日 17時06分47秒 | サキさんの動画
朝、ブログを更新してから洗濯と布団を干し、サキさんの面会へ。
今日4月19日はサキさんの60回目の誕生日。還暦です。ケーキでも買っていこうと途中のコンビニでに寄るが、ケーキは無かったのでロールケーキとシュークリーム(これは私用)と缶コーヒーを買ってからサキさんの特養へ。

サキさんは少し機嫌が悪そうな感じ。
「サキさん、お誕生日おめでとう。今日で60歳だよ、還暦だよ。」
少しずつ表情はほぐれだしてきた。
サキさんに(私の)兄ちゃんが亡くなったことを伝えるが反応は無い(仕方ない)

お昼ご飯の前だったけど、買ってきたロールケーキを食べる。

2016年4月19日サキさん60歳


スポンジもクリームもおいしそうに食べてくれた。食べることは今のところ何も問題ないように思える。反応は今一だがそれでもテレサテンの歌で
「息を止めてそばにいて」を
「息を止めたら死んでまう
と歌詞を変えて歌ったら笑ってくれた。
額のシワを触りながら
「シワシワ、シワだらけになっちゃうよ」
このシワという言葉にも大きく反応して笑ってくれた。
そして昼食も完食。あれだけロールケーキ食べたのに。


また、昼食の前に、特養のスタッフの皆さん、利用者さんがサキさんの為に「ハッピーバースデー」を歌ってくれた。このときのサキさんは本当に素敵な笑顔で皆さんに応えていました。
うれしい気持ち、楽しい気持ちが表情に現れたのだと思います

スタッフの皆さん、ご一緒している利用者の皆さん、還暦を迎えたサキさんをこれからもよろしくお願いいたします

兄ちゃん、ありがとう

2016年04月19日 09時22分39秒 | 介護日記
私が西尾から岐阜に来たのは、今から40年前の昭和51年(1976年)

3月、大学入試のため、岐阜に向かおうと西尾から名鉄電車に乗った。しばらくして
受験票 忘れた
真っ青になった。普段から忘れ物の多かった私は、この受験票だけは忘れてはいけないと仏壇にしまっておいた。そして見事に忘れた。カバンの中にちゃんと入れておけばよかったのに・・。
西尾線から名古屋本線の乗り換え駅である新安城駅で、西尾の実家へ電話した。平日の早朝で、たぶん普段ならもう市場へ行っていただろう兄ちゃんが家に居てくれ電話に出てくれた。
「受験票忘れた。仏壇のとこにあるで」
何しとるだ。馬鹿か。今から持ってったるで、待っとれ」
駅員さんにお願いして、改札を出て外で待っていた。30分くらい(不確かな記憶)で兄ちゃん到着。3月なのに雪の舞う寒い日でした。
「ほれ」と渡された受験票をもって、また駅に戻りました。
岐阜に着くまで、何度も何度も受験票を確認しては、馬鹿な自分を嘆いていました。

兄ちゃんのおかげで試験に間に合い、無事合格することができました。それから40年間、岐阜に住み続けています。そして、サキさんにも巡り合うことができました。
あの時、兄ちゃんが家に居なかったら、市場に出かけた後だったら、今みたいに携帯はないので連絡はつきませんでした。そしたら、もちろん今の自分はありません。サキさんとの出会いもありません。その意味でも兄は私にとっての恩人です。
兄であり、父親であり、恩人であります

ちなみに、葬儀のあった17日は私とサキさんの結婚記念日。そして今日19日はサキさんの60回目の誕生日です。
会社に無理を言って、今日まで休みをもらっています。これからサキさんのところに行ってささやかに祝うつもりです。平日なので本当なら会いに行けない日なのですが、これも兄ちゃんの計らいかもしれません

兄ちゃん、ほんとにありがとう。
そして、ゆっくり休んでください。