サキさんの介護日記     (若年性認知症の妻との記憶)

若年性認知症の妻。今までの介護の記憶と、現在の様子を気分のままに書いていきます。

今日は面会に行かなかった

2016年09月22日 21時15分42秒 | 私の日記
今日はサキさんの面会に行かなかった

行こうと思えば行く時間は十分にあったのだけど。
昨日までは、「明日は、講演会の手伝いが終わってから、サキさんの面会に行こう」と思っていたはずなのだが。

講演会の終了が3時半。そこから会場の片づけ。片づけと言ってもイスの整頓と、忘れ物の確認ぐらいで。
そんな中、カサの忘れ物がありました。すぐさま大声で「傘の忘れ物がありますよ」叫びまわりました。もともと声量はあるほうなので、こんなことならお役に立てそうです。他ではあまり役に立ちそうもありませんが・・。

4時ごろ会場を後にして、車にガソリンを入れ、ついでに買い物(ほとんど冷凍食品)を済ませ、帰宅しました。時間は5時少し前です。今からなら十分サキさんの夕食に間に合う時間です。
でも、行きませんでした。
ま、昨日も行ったし、イイか。とすぐに楽なほうを選んでしまいます。

夕食介助の回数を増やそうかな・・などと簡単に昨日のブログに書いたばかりですが。なかなか思うように体と気持ちが一体になってくれません。
特に、芯の弱い、根性(根気)の無い、いい加減な私は、すぐに簡単な、楽なほうに流されてしまいます。すごく簡単に流されてしまいます。

でも、変なんですよね。会いたいんです。サキさんに。
でも会うのが怖い時もあるんです。何もしてあげられない自分が嫌になる時も。
ザードの歌ではないですが、揺れる想い なのです。

家族の会の活動や、つどいもそうです。
もっともっと積極的に何でも協力してやっていきたいと思う反面、嫌になる時、めんどくさくなる時、行っても、参加していても孤独感を感じることもあるのです。ここに自分がいてもいいのかな?そんな気持ちになることもあります。

私は、とても人間として欠けている部分が多く、人付き合いも上手ではありません。久しぶりにお会いした方にも、何と話せばよいのかわからず、挨拶もそこそこに、その場を離れてしまうこともあります。なんかうまく溶け込めない時もあります。自分から飛び込もうとしていないからだとは思いますが。

結局、何を書こうとしているのかもよく分からなくなってきました。どうしたいのかも。本当にそうしたいのかも。
ただ一つはっきりと言えること。それは・・・

サキさん、お父ちゃんは頑張るでね、サキさんのため、子供たちのため、そして自分のために

本当は、サキさんのために生きるでね、って書こうと思ったけど、それでは今日の松本先生の講演を聞いた意味が無くなりますもんね。

自分の気持ちに素直に、あまり無理せず、でも頑張って行こうとは思っています。


松本一生先生の講演会

2016年09月22日 17時42分26秒 | 介護日記
世界アルツハイマーデーの記念講演会が、岐阜でも開かれました。

認知症ケアを頑張りすぎない 自分との出会い方
というテーマで、自らも奥様を介護してみえる 松本一生 医師の講演会です。


医師として、そして介護者として、自身の体験を交えながら、分かりやすく双方の立場からの解説をして頂きました。本当にありがとうございました。
時に生真面目に頑張りすぎる介護者の危うさを説いてくださいました。

私の人生は〇〇の介護に捧げる

これが、介護家族の危険なサインである。この部分が一番心に残りました。
今まで受けた、サキさんの恩に報いるため、感謝するため、残された人生を、サキさんのためにすべて捧げる。という考えに私もよくなります。それが逆に介護家族を追い詰めるということです。熱心さゆえに自分を追い込んでしまう。
まあ、根が不真面目で、根気の無い私なので、そこまで追い込まれはしませんが、他の真面目な男性介護者の方はお気を付けください。自分の時間、ストレスをためない工夫をして下さい。

松本先生、本当にありがとうございました
これからも専門医として、そして介護家族として、私たちを導いてください。お願いいたします。