今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

守國山 吉祥院(山形県山形市大字千手堂509)

2024年03月25日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年10月11日

守國山(しゅこくざん) 吉祥院(きちじょういん)
前夜は土砂降りの中、道の駅「寒河江」に到着、朝まで雨が降り続いていた
近くの慈恩寺は何度も訪れているので、この日は一度も訪れたことのない場所を選んでみた



重要文化財の「木造千手観世音菩薩立像」を拝観したいと思い訪れた
石柱には「國寶 千手観世音菩薩」とある



境内では落ち葉などの清掃作業をしている男女の老人がいた
地域の檀家さんと思い「お疲れさまです」と挨拶をしたが、後に住職だということがわかった



カメラを縦にして少し離れてやっと高い木が画角に収まった



参道の正面に観音堂
創建から1280有余年の歴史を刻む天台宗寺院である



延命曼荼羅塔復元建立趣旨



門の額には「抜苦殿」



五輪塔



抜苦(ばっく)」は、仏教の用語で、衆生の苦しみを除くことを意味する












観音堂(山形市指定文化財)
奈良時代の天平9年(737年)出羽国にひどい悪病が流行蔓延し万民塗炭の苦しみに喘いでいた
聖武天皇は「行基」を遣わしてその悪役の消除と庶民の救済にあたらせた折、開山したと伝えられている



案内板



延文5年(1360年)斯波兼頼が本堂を再建
天文12年(1542年)最上義守によって寺が再建されたという



本堂右側の額には「観音堂」



中央の額には「出羽一佛」



左側の額には「抜苦殿」



この後に秘仏の「木造観世音菩薩立像(重要文化財)」を拝観した際に、「出羽一佛」の「出」の字について説明を受けた
山が二つで「出」という字が成り立つが、山と山が離れていて出羽(秋田県・山形県)の2つの山を……(後の記憶がない)



堂内に入ると外観の様子とは一変する



奉納額が所狭しと掲げられている



このような額は初めて観た(拡大)
明治時代で宮川鐵太郎の銘がある









「千手観世音御霊験縁起」とある



これまで、たくさんの奉納額を観てきたが、記憶に残るものとなった
感性も理解力も乏しい私にも、この絵は理解できる(ような気がする)



観音堂中央には「千手観世音菩薩」



私が拝観を希望していたのは重要文化財の木造の方で堂内に拝観できるとの記載があった



「不動明王」



本堂の天井を飾る巨大な画



若い頃は何も感じなかったと思われるこのような画も、年齢を増すと真剣に観てしまう



現世でも十分満足しているが、来世もこうだと楽しいだろうなと思う



この後、奥の院宮殿にて秘仏の木造観世音菩薩立像を拝観(有料)する
寺巡りをしても住職とお話しする機会などほとんどなく、貴重な時間を過ごすことができた

(下記 吉祥院HPにて宮殿内仏像写真等を公開)
秘仏参拝/一乗院 | 山形市にある天台宗のお寺・吉祥院

千手稲荷大明神



鐘楼



参道の曼珠沙華



撮影 令和5年10月11日
コメント
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