訪問日 令和5年10月12日
長命山 幸徳院 笹野寺<笹野観音堂>
真言宗豊山派の寺院
坂上田村麿呂が国家鎮護を願って観音菩薩を勧請
弘仁元年(810年)、現在の地に観音堂が落成し観音菩薩と羽黒権現を祀り、会津の高僧「徳一上人」により入仏供養が行われた

仁王門
天保11年(1840年)に民家より出火して仁王門が焼失
明治6年(1873年)、米沢の豪商が南原の「常慶院」より金10両で買い受け移築して再建


健康や足が丈夫になるようにと願って、下駄やわらじなどの履き物が奉納されている

仁王像
仁王像の前には格子か柵状の木材、または金網などにより像が護られている
ここの仁王像は、格子の奥にさらに金網があり二重に護られている



境内一面に植えられたあじさいは七月中 咲き誇るという
紫陽花の名所として別名「あじさい寺」と呼ばれている


千体地蔵堂
嘉永3年(1850年)に「長厳寺」より釈迦堂が移築、焼失より28年後に再建された

中風除けの地蔵として信仰され、中風除けの箸を授与している
最近「中風」という言葉は使われなくなった
現在では脳血管障害の後遺症である半身不随、片麻痺、言語障害、手足の痺れや麻痺などを指す言葉として用いられている

本尊は「いびた地蔵」
「いびた」とは、米沢では長患いして寝込むことをいう
本尊の周囲には土人形の「相良人形」で造られた地蔵が祀られている

境内の石仏


芭蕉句碑①
「観音のいらか見やりつ花の雲」

芭蕉句碑②
「物言えば唇寒し秋の風」

漱口場

案内板

観音堂(米沢市指定文化財)
征夷大将軍の坂上田村磨呂が千手千眼観世音菩薩を安置
旅の僧が羽黒大権現を祀って、笹野山の山上に大悲閣と羽黒堂があったと伝えられている

歴代住職の第一世に会津の高僧「徳一(とくいつ)上人」の名がある
法相宗の僧で、最澄との間で交わされた「三一権実諍論」や、空海に対して密教についての疑義を提示したことなどでも知られている

天保4年(1833年)に火災に遭い焼失、現在の堂は同14年(1843年)に再建されたもの
大きな茅葺の屋根、精巧な彫刻などが特徴の建物

竜や鳳凰の彫物は、庄内地方の彫物師後藤藤吉・政吉の作





扁額の文字は「施無畏」と読めるが自信はない
観世音菩薩の異称

奉納額






内部の様子

本尊:千手千眼観世音菩薩





弘法大師堂
昭和59年(1984年)弘法大師の生誕1200年を記念して建立



みちびき観音


三重塔
宝暦7年(1757年)の建立 高さ5m

延命地蔵菩薩
天保3年(1832年)の建立

基礎及び台座は米沢の赤崩石、身体は上山の川流石で造られ、総高さ約5mの県南一の石像


再び観音堂

茅葺屋根は貴重で美しい


撮影 令和5年10月12日
長命山 幸徳院 笹野寺<笹野観音堂>
真言宗豊山派の寺院
坂上田村麿呂が国家鎮護を願って観音菩薩を勧請
弘仁元年(810年)、現在の地に観音堂が落成し観音菩薩と羽黒権現を祀り、会津の高僧「徳一上人」により入仏供養が行われた

仁王門
天保11年(1840年)に民家より出火して仁王門が焼失
明治6年(1873年)、米沢の豪商が南原の「常慶院」より金10両で買い受け移築して再建


健康や足が丈夫になるようにと願って、下駄やわらじなどの履き物が奉納されている

仁王像
仁王像の前には格子か柵状の木材、または金網などにより像が護られている
ここの仁王像は、格子の奥にさらに金網があり二重に護られている



境内一面に植えられたあじさいは七月中 咲き誇るという
紫陽花の名所として別名「あじさい寺」と呼ばれている


千体地蔵堂
嘉永3年(1850年)に「長厳寺」より釈迦堂が移築、焼失より28年後に再建された

中風除けの地蔵として信仰され、中風除けの箸を授与している
最近「中風」という言葉は使われなくなった
現在では脳血管障害の後遺症である半身不随、片麻痺、言語障害、手足の痺れや麻痺などを指す言葉として用いられている

本尊は「いびた地蔵」
「いびた」とは、米沢では長患いして寝込むことをいう
本尊の周囲には土人形の「相良人形」で造られた地蔵が祀られている

境内の石仏


芭蕉句碑①
「観音のいらか見やりつ花の雲」

芭蕉句碑②
「物言えば唇寒し秋の風」

漱口場

案内板

観音堂(米沢市指定文化財)
征夷大将軍の坂上田村磨呂が千手千眼観世音菩薩を安置
旅の僧が羽黒大権現を祀って、笹野山の山上に大悲閣と羽黒堂があったと伝えられている

歴代住職の第一世に会津の高僧「徳一(とくいつ)上人」の名がある
法相宗の僧で、最澄との間で交わされた「三一権実諍論」や、空海に対して密教についての疑義を提示したことなどでも知られている

天保4年(1833年)に火災に遭い焼失、現在の堂は同14年(1843年)に再建されたもの
大きな茅葺の屋根、精巧な彫刻などが特徴の建物

竜や鳳凰の彫物は、庄内地方の彫物師後藤藤吉・政吉の作





扁額の文字は「施無畏」と読めるが自信はない
観世音菩薩の異称

奉納額






内部の様子

本尊:千手千眼観世音菩薩





弘法大師堂
昭和59年(1984年)弘法大師の生誕1200年を記念して建立



みちびき観音


三重塔
宝暦7年(1757年)の建立 高さ5m

延命地蔵菩薩
天保3年(1832年)の建立

基礎及び台座は米沢の赤崩石、身体は上山の川流石で造られ、総高さ約5mの県南一の石像


再び観音堂

茅葺屋根は貴重で美しい


撮影 令和5年10月12日
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