今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

日高神社(岩手県奥州市水沢字日高小路13)

2024年03月15日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年10月6日

日高神社
本殿が重要文化財に指定されているということで訪れた



社号標
創建は弘仁元年(810年)に第52代嵯峨天皇の勅命によりこの地に勧請した事が始まりとされる



征夷大将軍 源頼義・義家父子が前九年と後三年両度の役で戦勝祈願に訪れた
嘉応2年(1170年)に藤原秀衡が再造させている
慶長年間(16世紀末)には伊達政宗が再興させ、社領の寄進と社殿の造営を行い、参拝の記録も残る



狛犬1






姥杉(奥州市指定文化財)
別名「義家杉」
前九年の役で安倍一族を征討した事を祝す宴が開かれた際に、源義家が使った杉の箸を地面に刺したものが根付いて巨木になったという伝説



留守宗利公
留守 宗利(るす むねとし)は、陸奥国仙台藩一門第三席・水沢伊達家2代(留守氏19代)当主
父・政景は小田原征伐に参陣しなかったため領地を没収され、以降は実家の伊達家に戻って甥の伊達政宗に仕えた
宗利は元服前の文禄元年(1593年)に伊達姓を拝領しているため、実際に留守宗利と名乗った期間はない
明治2年(1869年)に水沢伊達家は留守氏へと復姓
これに伴い昭和49年(1974年)に日高神社に建立された宗利銅像の銘板では「留守宗利公」と標記している



宗利は伊達政宗の許しを得て水沢城を修築し、留守氏の旧本拠地であった岩切城や、利府城周辺に残してきた同氏ゆかりの寺社を水沢に移転させた
水沢城下の整備に努めたほか、寛永2年(1625年)から飛地の名取郡飯田で最上氏旧臣・小野常信(継室・多与の弟)に新田開発をさせるなど、所領の発展に力を尽くした
寛永15年(1638年)8月15日死去。享年49



手水舎



神門



狛犬2






拝殿
本殿、拝殿、幣殿から成るが、現在の拝殿、幣殿は昭和24年に完成したものである



「火防祭(ひぶせまつり)の日高囃子」は岩手県指定無形民俗文化財



拝殿の扁額には「日高宮」



拝殿の足もとに置かれていた額には「日高神社」






本殿(重要文化財)
寛永9年(1632年)初代水沢城主留守宗利(伊達宗利)が改築
三間社流造銅板葺(もと茅葺)



祭神:天之御中主神ほか7柱






針塚



氏子宮



瑞山神社鳥居



瑞山神社 (岩手県指定文化財)
留守氏代々の祖霊社で歴代の当主ほかを祀る






瑞山神社と十一人の殉死者
殉死は戦国時代から江戸時代初期にかけては、盛んに行われていた
主君宗利 寛永15年(1638年)8月15日死去後、殉死した家臣8名も合祀されている
他国にいた3名も追殉死した
寛文3 (1663))年5月 江戸幕府は「殉死」を禁止している



五輪塔



天神社



おみくじ掛け






撮影 令和5年10月6日
コメント
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