湘南文芸TAK

逗子でフツーに暮らし詩を書いています。オリジナルの詩と地域と文学についてほぼ毎日アップ。現代詩を書くメンバー募集中。

後書きの良さ

2018-10-01 19:16:30 | 文学
先日の湘南句会(兼題「図書館」)で点が入った作品をご紹介。
 手にすればわずかにぬくし手沢本
 秋寒の列に一礼開館す
 難解の書はなさぬ友逝きて晩秋
 一章をめくり終わって秋夕焼
 名訳者あとがきも良し涼新た

最後の句は、この2冊についてまとめて付けられた訳者解題が読み応えありだったことから生まれました。

カーヴァーはまるで告白するように、小声でうちあけるように、我々の前に過去の風景を描き出す。物語性の枠組み(約束、と言ってもいい)が排除され、後退させられることによって、そこに置かれているひとつひとつの言葉の比重が増し、作者の心のありようはある場合にはこちらが冷や冷やするくらい危ういところまでさらけ出される。
 しかしそこには深い悔悟はあっても、自己憐憫というものは不思議なくらい見あたらない。あるいはまたそれが過度にセンチメンタルに流れることもない。そこには自らを罪ありとしながらも、それでも精いっぱい生きて行かなくてはならないという、死線を越えた強靭な哲学のようなものがあるからだろう。そしてそれを助けるように、貴重な温かいユーモアがあり、深い愛情がある。
 ここに描かれた過去のエピソードのどこまでが実際に起こったことなのか、僕にはもちろんわからない。本当に起こったこともあるだろうし、「起こったかもしれない」ことも、「起こってもおかしくなかった」こともあるだろう。でもそれはどちらでもいいんじゃないかと僕は思う。作家というものは多かれ少なかれ、「事実」と「真実」をシャッフルするものだからだ。言い換えれば本当のリアリティーというのは、事実であるかどうかを超えたところに存在するものなのだ。だからそれがレイモンド・カーヴァーという作家の心的な真実を伝えているなら、それが事実であれいささかの作り事を交えたものであれ、そんなことはどちらでもいいということになるだろう。
(村上春樹「ウルトラマリン」解題より)

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