湘南文芸TAK

逗子でフツーに暮らし詩を書いています。オリジナルの詩と地域と文学についてほぼ毎日アップ。現代詩を書くメンバー募集中。

都市の詩パート7~11

2016-02-04 00:55:17 | オリジナル
 昨日、亀岡八幡宮で。
豆まきの後市民交流センターに行ったら、折り紙達人の小林芳江さんがカウンター前に飾る折り紙作品を鬼からお雛様に展示替えするところでした。


1月7日の「猿の詩パート5」で掲載した三猿の折り紙も、小林さんの作品です。
では、共通テーマ「都市」でSが書いた詩を5篇まとめて投稿します。

   わたしのニューヨーク
ニューヨークが
ニューヨークらしかったころ(三十年前)
シンフォニーなら終楽章のころ 毎朝
ホテルを出て 一日 街を歩いた
ひとふで書きの 大きな街と見えたが
アルカポネやシナトラの時代の あとで
それでも古き良き時代の ジャズの店があり
最期のすがたは この眼で
しかと見たんだ!
思い出の中でわたしが叫んでいる


   わたしのローマ
むかし 小説をひとつ書いた
ローマを舞台にして
伯爵夫人の午後 という題だ
小説にしたローマの街が
わたしのローマになってしまい
現実のローマの記憶は きれいに
消えてしまった
二つのローマ
二つの噴水
二つの猫のいる路地
二つの美しい青白いネオン という具合い
わたししか知らないわたしのローマ
発表しなかった小説
わたしと共に 焼かれるローマ


   死んだふりの街
Z市は
わたしには大きな町である 大きいが
大病院がない
むかし 引きこもっていて
久しぶりの駅前がサイケデリックにみえた
時間が流れ
トーフ屋 トケイ屋 タバコ屋などが
消えた
たくわんを珍しそうに買う
若い男たちのスカートに だれも
クレームをつけない
耳鳴りの激しい除夜に
除夜の鐘がきこえない
住人からクレームが
ついたとかつかないとか
G広場で焼いたサンマのケムリに
クレームが そんなことはどうでもよいとか
よくないとか
人を買いかぶった街は
死んだふりをしている

   それが 都市
地図の上に ある
有名な 大きな街
住んだことのある
 (バク死すればていねいにかいぼうされ)
あるいは 大きな切手のような
そこに 有名な寺があろうとなかろうと
似たりよったりだ
それが 都市だ


   どこに住めば
テレビはコマーシャルしか見ない
何せカネをかけているからという男
彼の弟子になれば
ちがう人間になれるかもしれない
良い番組がないからと
テレビを捨てたのを思い出す
都会がきらい 田舎がきらい
どこにも住めそうにない
わたしは人間ぎらいなのか
これまでどこに住んでいたのだろう
戦争中 母の田舎で
ボタモチの皮を捨て中身のアンコだけ
縁側で黙々と食べていた
人を咬む二歳児がニュースにならない都会
人生相談 孫が人を咬みますの
笑い方を知らないバカ笑いが
テレビにも街にも在って ペシミストの
わたしの耳につきささる
どこに住めば都?

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