575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

4月句会の投句がまとまりました。  遅足

2008年04月16日 | Weblog
今回の題詠は「風船」です。

①濡れ縁に毒消し売りと紙風船
②小さな手ゆれて風船放れけり
③風船やまた下の名で呼べるなら
④思索する風船ひとり青き空
⑤嬉々として風船回す車椅子
⑥風船を買わなくなる日青が散る
⑦風船を引き止めてゐる梢かな
⑧ゴム風船ねじる数(かず)ごとひろがる輪
⑨あくる朝大事な風船しぼみけり
⑩ワンパンチ幼子空振り紙風船
⑪抽出しに折り目正しき紙風船
⑫風船をひとつ自由にして帰る

    
自由題

①鳥曇抜き菜両手にあまるほど
②掘割りの鯉のうのうと花の下
③その不幸買いますという花の闇
④一本のチューリップ咲く空き屋かな
⑤使者として桜の中を帰りけり
⑥書きかけの絵に入り日さし桜降る
⑦ホームレス雀卓囲み花吹雪
⑧蹲の龍居眠りて花筏
⑨春嵐つり鐘少し揺れてをり
⑩身のうちに湧き立つものや花吹雪
⑪ダンロップシューズ暁天の朧月

  (写真は長野県の蓼科山です。まだまだ山は雪でした。)



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花筏いっとき   鳥野

2008年04月15日 | Weblog
朝刊の”櫻だより”が「落花盛ん」になるころ、住まいに近い堀川に、ひととき見事な花筏が現れます。
海からは10キロ余りも入っているのに、潮の干満を受けて、筏は上ったり、下がったり。風情を添えてくれます。

花のいのちは短くて・・というけれど、櫻の楽しみの長いこと。芽吹き、蕾ふくらむ、ちらほら、から始まって散り果て、まで。

やがて残花、蕊降る、そして夏の葉櫻へと、季語も移っていきます。

  ・ 添ひゆくもやがて遅るる花筏  雨宮きぬよ

  ・ 花筏水に遅れて曲がりけり  ながさく清江

  ・ ゆるやかに橋潜りをり花筏  石塚友二

      風が来て心もとなき花筏 しるべなす線引きてやりたし
                          
                             鳥野
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俳句の中で立ったまま死んだ男         愚足

2008年04月14日 | Weblog
先日中日の俳句月評に鈴木六林男について書かれてあった。
 彼の全句集が出たことを機会に宗田安正氏がその足跡をたどっている。

 十七歳で 蛇を知らぬ青年とゐて風の中 の句が出発点。
 戦中は 水あれば飲み敵あれば射ち戦死せり
 戦後は 全病むと個の立ちつくす天の川
     遠くまで青信号の開戦日
     視つめられ二十世紀の腐りゆく
 老いては
     寺々の山門寺門夏柳
     花ユッカ湖のマタイ伝第五章
 などの日常詠が多くなったと言う。

 「俳句の中で立ったまま死にたい」と言っていたそうだが、そんな一途な彼の
 句集を是非読みたいと思った。
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能郷の猿楽    遅足

2008年04月13日 | Weblog
今日、突然思い立って、岐阜県本巣市にある
能郷神社の春祭に行ってきました。
昔の根尾村、ここの祭は、毎年4月13日。
国の重要無形文化財に指定されている
能・狂言が演じらます。

500年以上も昔から伝わっているもので、
本当は猿楽といい、現在の能・狂言のもととなったと
されています。

谷間の神社には、能郷の出身で町へ降りていった人たちや、
私のような観光客、カメラマン、バスをしたてたツアー客の姿も。
午後1時に開演。
演目は三番叟、百姓狂言、高砂など。
最近では、継承者不足から演目も減ってきているそうです。

謡を習っているので、能とどの位違うのか?
そんなところも関心がありました。

高砂は、肥後の国の神主が播州・高砂の浦で
人品卑しからぬ老夫婦に出会う話で、
老夫婦は、高砂と住江の松の精であると名乗って
姿を消すという展開を見せます。

能では登場人物は3人、神主と老夫婦。
能郷の猿楽では神主が一人という時間も短く
簡単なものでした。

世阿弥たちは、新たに2人の役を考えだし、
現在の高砂を創ったことが分かった面白い一日でした。










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菜の花や木曽三川の注ぐ海  江本絵悶

2008年04月13日 | Weblog
先日の塔句会での句です。
句会では、良いという人と、そうだろうか?
という人に二分されました。
否定的な意見は、当たり前のことを詠んだだけではないのか?
というもの。
一方、評価する方は、菜の花と三川の大きさとが対比された
大きな景色が伝わってくるというもの。

私は迷いました。
結局、採ったのですが・・・
大きな風景とは思いますが、絵葉書のような気もします。

当日は下五の注ぐ海が、良いと言いました。
下五で、句がくっきりと立ち上がってくるような気もするのですが、
今も選句に自信はありません。

                     遅足


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雌猫に化けてこの世を呪う声    朱露

2008年04月12日 | Weblog

     人間の女もあの声を出した方がいい。
     気の弱い男はビビって側へ寄らない。
     結果気の強い子供達が生まれるのだ。
     日本の明日を託せる青年男女たちよ。

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蕗の花

2008年04月11日 | Weblog
 4月の始め 海上の森の小高い崖にフキの花が一本だけ咲きかけていた。キク科フキ属の多年草。トリタガリ屋さんが多数来てすっかり採り尽くし今はほとんど見かけない。そんな状況でよくぞ残ったと感心するばかりである。
 食べるためにも調べるためにも採集はしないというのが私たちの信条なのだが、今回はフキは雌雄異株という知識が本当かを確かめるために、沢山の花頭(小さい花の集合)のうちの一つだけを貰った。
 その蕗の薹の状態から少し成長した時の蕗の花は、先が二股に分かれ白くて細い棒状のものが沢山あり、その他全く違う形のものが四・五個あった。そしてそのどちらにも花粉はなかったので、結局フキの雌雄は分からず宿題となった。
 帰って調べてみると、私たちが頭を捻った小花は雌花で白い棒状のものから雌蕊が出てくる。そして全く形の違う物は不念性(花粉をつけることが出来ない)雄蕊であった。さらに調べてみると、不捻性の雄花のみを着ける雄株があり、我が県が誇る早生ブキがこれにあたり、成長が早く柔らかいので食用に向いている。
 一説にふっくらしているのが雌花で、ほっそりしているのが雄花だというのもあるが、蕗の薹を食べるときにはどらか分からずに食べてしまう。
 同じように「ほうれん草(アカザ科)」も雌雄異株であるが、雌雄を気にして食べることはない。
 食欲の前にはそんなこと関係ないか?
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花疲れ   麗

2008年04月10日 | Weblog
名古屋の桜は散り果てという感じですね。
でも今年は長く楽しめ、お花見にあちこち出かけた方も多いのでは?
花見に歩いて疲れる「花疲れ」とはよく言ったもの。
今日の雨はあの花見独特の喧噪を忘れさせてくれますね。

      花疲れ癒す雨はしっとりと  麗
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荻原俳句教室始まる   遅足

2008年04月10日 | Weblog
昨日から俳句教室が始まりました。
学生は6人。(ひとり欠席でした)

俳句とはという入門編。
散文と韻文という違いで俳句を考えると?
と質問しました。

 俳句は、現代詩、短歌と同じ韻文。
 散文との大きな違いは、その「音楽性」に。

たしかに、意味より音楽性を重視した俳句もあります。

 また、意味を持たないという意味の句も。

   

阿部完市の句

 栃木にいろいろ雨のたましいもいたり

などは、ある意味、見事な韻文かなあ?
と思ったりしました。

宿題は「四月」「朧」でした。

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句会近づく   遅足

2008年04月09日 | Weblog
4月の句会が近づいてきました。
今回の題詠は「風船」です。

真っ青な空高く飛んでいく真っ赤な風船。
だんだん小さく・・・
見えなくなるまで、一生懸命見ている子供。
風船といえば、そんなイメージが浮かんできます。

 風船の消えし辺りや空の果

   

子供の頃の思い出は、紙風船。
年一回、家にやってきて富山の薬屋さん。
使った薬の代金を回収、新しい薬を補充していきました。
この時のオマケが紙風船。
三日月形に折りたためば、コンパクトに持ち運びできます。
薬屋さんにとっては大変重宝なオマケだったのでしょう。
数日もすると穴が開いて・・・

折り紙で、紙風船をつくった記憶もあります。
息を吹き込んで、ちゃんと膨らんでくれるのか?
恐る恐る息を吹き入れます。
四角い風船になってしまいました。

 紙風船息吹き入れてかへしやる  西村和子

五色の蝋紙でつくった紙風船は明治時代に登場。
春祭には、子供相手の風船売りが現れたそうです。
そんなことから春の季語になったのでしょうか。
あの軽やかさは春の気分にピッタリです。




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可憐な胴吹き    鳥野

2008年04月08日 | Weblog
辺りはサクラだらけ、というこの時季、外出の帰り道に頂戴してくるものがあります。
それは、老木の幹に吹き出している一房。開いた花に蕾や小さな葉まで添えられて、まるで花簪の美しさです。

愛用していた切り子のグラスに挿せば、なによりの供華。ささやかな毎年の贈り物です。

遅ればせに、それを「胴吹き」ということを知りました。園芸用語、とくに盆栽では姿を整える手法の一つとか。

自然界では、エネルギーを失った木の幹に、よく出るそうですが、その可憐さ。
手の届く高さに「どうぞ、お持ち帰りを」と揺れているようで、うれしい春の景物です。
えっ、「はな盗人」。犯罪ですね。ゴメンナサイ。

・ やはやはと幹噴き出でし櫻かな  加藤国彦

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ローンチェアに105個の風船をつけ、300km飛行する      愚足

2008年04月07日 | Weblog
★gigazine.netにこんな楽しい記事がありました。

 オレゴン州で、芝生の上に置いて寝そべったりするときにつかうローンチェアに105個も風船をつけ、193マイル(約300km)もの距離を移動したというニュース。風船で空を飛ぶというのはみんな思いつくことなのか、試した話はたまに耳にしますが、無事に成功したというのは珍しい気がします。

 この大冒険が行われたのは先週末。Kent Couchさんはローンチェアに105個のヘリウムをつめた風船とパラシュート、それに軽食を乗せてオレゴン州Bendから飛び立ちました。彼は約9時間後、アイダホ州まであとわずかというunionという町の農場に着陸。移動距離は193マイル(約300km)にもなったそうです。

Couchさんは昨年9月に6時間ほどのフライトを行っていて、今回が2回目のチャレンジ。フライトは時折かなり揺られたものの、おおむね静かで穏やかなものだったと語っています。

  風船やオレゴンの夢まどろみて
  
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塔句会の句集②    遅足

2008年04月06日 | Weblog
東海三県の民放OBでつくる塔句会。
はじめての句集をつくりました。
前回、桜の句を紹介しました。
今回は、桜以外の春の句です。


 柴又の土手のたんぽぽ犬駆ける   石田等
 早や十日斜の日差し福寿草     清水宏基
 お多福の皆こちら向く芙蓉かな   寺井実穂子
 ハーモニカ昭和を語る春彼岸    中野寂音

この句集は、発足の時に長良さんとの約束でした。
長良さんの新しい句がないのが残念です。

庭の山吹。満開です。      遅足

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しばらくは桜の底に集ひけり   荻原裕幸

2008年04月05日 | Weblog
東西句会での荻原先生の句です。

  春日和なんでも壜につめる母
  さへづりや父の名義の二百坪
  些細なる誤植見つかる花曇
  しばらくは桜の底に集ひけり
  ぶらんこの大きく揺れて無人なり

私は、しばらくは桜の底に集ひけり、が好きです。

名古屋城の周辺を散歩してきましたが、
あちらこちらで、酒宴が始まろうとしていました。
それぞれのグループは、桜の下で、
自分たちの世界をつくっています。
それは桜の底に集まっているようにも思えます。

また、そんな賑やかな風景とは、まったく違って、
底という言葉からは、亡き人と、桜の下に集まって
しばらく一緒にいたと読むことも出来ます。

いずれにせよ、「しばらくは」、ですから
やがて、底から這い出ることになるわけですが、
どちらに解釈しても、「しばらく」は、大切な時間でしょうね。

                   遅足









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花衣器材人材酔いつぶれ   朱露

2008年04月05日 | Weblog


  花衣は桜の花が散りかかった衣服、
  または花見に着る晴れ着のことだ。
  器材・木材・人材の共通点は何か。
  派遣と覇権の相違点を明確にせよ。
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