元幸福の科学の会員で1987年より三十数年間、在籍し、活動をしてきました。その間を振りかえります。

最初は勉強会だったのに大川隆法氏は1991年に突然に自分は地球神・エルカンターレだと宣言し、宗教法人となった。

日露戦争がすごい理由【海軍編】 パーフェクト・ゲームで勝利した連合艦隊

2015-12-19 19:40:42 | 日記

日露戦争がすごい理由【海軍編】 パーフェクト・ゲームで勝利した連合艦隊
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9263

 

今から111年前の1904年2月、日露戦争が勃発。そこでいかに日本陸軍が活躍したかについては、以前本欄で紹介しました。日露戦争は、白人優越主義を破った世界史上初の出来事でしたが、今回は、日本海軍の活躍に注目します。 

「東洋のネルソン」の活躍

日本海軍が、世界一と謳われたロシア艦隊(いわゆる「バルチック艦隊」)に勝利した要因は様々あります。特に、東郷平八郎提督がとった、敵艦隊の目の前で船首の向きを変え、一斉に砲撃を行った「T字戦法」は有名です。独創的な戦法は見事にはまり、ロシア側は21隻が沈没し、6隻が捕獲される一方、日本側は小型艦艇の沈没などわずかな被害で、大勝利を収めました。 

東郷提督は、当時、世界中でナポレオンを打ち破ったイギリス海軍の指揮官であるネルソンにちなみ、「東洋のネルソン」ともてはやされました。興味深いことに、ネルソン提督は、フランス艦隊の横っ腹に突撃して勝利しましたが、逆に東郷は、敵側に艦隊の横っ腹を見せる形で砲撃したという意味では、真逆と言えます。 

 

日本海軍は新技術と新手法を取り入れて勝利

「T字戦法」の他にも、勝因があります。 

日本海軍は、砲弾を爆発させる火薬として、新しく発明した「下瀬火薬」を導入しました。これは海軍の技術士官であった下瀬雅允(しもせ・まさちか)が発明したものですが、従来の砲弾よりも何倍もの爆風を生み出し、3千度に上る高熱のガスを発するなど、まさに驚異的な火薬でした。

 攻撃を受けたロシア側は、多数の死傷者が出て、経験したこともない爆風と熱に恐怖したと言います。「下瀬火薬」は、現在も使用されている「TNT爆薬」のベースにもなっています。

 

また、日本海軍は砲撃をする際、一斉に射撃する方式(斉射)を取り入れました。それまでの砲撃は、各主砲が独自のタイミングで発射していたので、バラバラで発射されており、どの主砲から発射された砲弾がどこに着弾したのかが分かりにくい状態でした。

 

そこで日本海軍は、一斉に発射をすることで、着弾位置の誤差を修正でき、火力を集中させることができたのです。実際、ロシア側では、雨のように砲弾が飛んできたと言われています。 

日本海海戦の大勝利は「大艦巨砲時代」を開く

日本海軍がロシア艦隊を撃滅したことに衝撃を受けた諸外国は、重武装の戦艦建造を急いだことで、「大艦巨砲時代」が開けました。5つの主砲を装備したイギリス戦艦「ドレッドノート」はその先駆けであり、これ以降の大型鑑は「ド級戦艦」「超ド級戦艦」と呼ばれるようになります。その後、速力も飛躍的に向上した戦艦は、海軍の中心として活躍していきます。

 

しかし、「大艦巨砲時代」を終わらせたのも、また日本海軍でした。 

1941年12月の真珠湾攻撃の直後のマレー沖海戦(シンガポール沖)では、日本軍は空母から飛び立った航空機によって、イギリス海軍の浮沈戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」や「レパルス」を撃沈させました。

この世界初の空母による機動艦隊戦は、再び世界を驚かせたのです。それまでの航空機は偵察などがメインであり、戦艦を沈めた過去はごく一部しかありませんでした。

 

これを受け、アメリカ軍は戦闘機と空母を重視する戦いに変えたものの、日本軍は自ら航空機の優位性を証明したにもかかわらず、「戦艦による艦隊決戦」の思考を改められずに敗北しました。

 

戦後、戦艦の建造は急速に減ると同時に、大陸間弾道ミサイルを装備する潜水艦や、ミサイル防衛を主眼とする「イージス艦」の登場など、「戦艦の時代」は幕を下ろしました。

 

しかし、日本海軍が証明した戦艦の力やロシア艦隊に勝利した事実は、少しもその意義が損われることはありません。島国の日本としては、これからも海軍力に注力しなければならないでしょう。一方、70年以上たった今も、中国は空母艦隊の本格運用はできていません。当時の日本海軍がいかにすごかったかがよく分かります。(山本慧)

 

【関連記事】

2015年2月7日付本欄 日露戦争がすごい理由【陸軍編】 世界史上の奇跡と評される日本軍の活躍

http://the-liberty.com/article.php?item_id=9174

 

2015年2月18日付本欄 なぜ日本軍は太平洋戦争で負けたのか 戦後70年で振り返るべきは「敗戦した原因」

http://the-liberty.com/article.php?item_id=9209

 

2015年1月25日付本欄 明治政府の国防戦略 なぜ日本は朝鮮に介入した?

http://the-liberty.com/article.php?item_id=9125

 

2015年1月19日付本欄 大河「花燃ゆ」のあの人は誰? 杉梅太郎、毛利敬親、久坂玄瑞【3分で学ぶ世界の教養】

http://the-liberty.com/article.php?item_id=9067



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なぜ日本軍は太平洋戦争で負けたのか 戦後70年で振り返るべきは

2015-12-19 19:39:58 | 日記

なぜ日本軍は太平洋戦争で負けたのか 戦後70年で振り返るべきは「敗戦した理由」
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9209

戦後70年を迎えた今年、先の大戦への反省を求める声が相次いでいます。

 

しかし、日本が戦った先の大戦は、侵略戦争ではなく自存自衛の戦いでした。南京大虐殺や従軍慰安婦などのウソの歴史に対して、反省をしても意味はありません。

逆に反省するのであれば、「なぜ日本は負けたのか」を考えるべきでしょう。

 

 

日本軍は兵站を軽視した

何人かの識者が指摘していることですが、日本軍が太平洋戦争で負けた最大の要因の一つは、兵站の確保が十分でなかった点です。

 

一言で要約すれば、兵站とは、戦場に部隊を移動させる際に発生する軍事業務のことです。例えば、物資の配給や整備、兵員の展開などが挙げられます。

 

具体的に言えば、太平洋戦争に突入した日本軍は、南方作戦(東南アジア)で次々と勝利を収め、大規模な支配領域を得ます。広大な地域を守り続けるには、それだけの海上輸送が必要。ところが、アメリカは日本の輸送船を沈めることを優先した結果、アメリカと戦う前に餓死してしまう日本軍の部隊が相次ぎました。

 

補給線を断たれたガタルカナル島では、2~3万人の日本兵がいましたが、実際に戦える人数は8千人に過ぎなかったと言われます。多数の餓死者を出たことから、同島は餓島(がとう)と呼ばれたほどです。

 

そもそも、日本軍は対米戦争を短期決戦で済ませようとしたため、兵站を軽視した部分もあります。実際、開戦前の1941年、近衛文麿首相から対米戦争の見通しについて聞かれた山本五十六・連合艦隊司令長官は次のように答えました。

 

「ぜひ私にやれと言われれば、1年や1年半は存分に暴れてごらんにいれます。しかし、その先のことは全く保証できません」

 

このような意見は誰もが考えていました。そうであるならば、日本は和平交渉で有利な条件を引き出すために、アメリカの反攻作戦をできるだけ引き伸ばす必要があります。

 

ところが、日本軍は、真珠湾を攻撃した際、戦闘艦のみに攻撃を仕掛け、兵站の一つである石油の備蓄庫を攻撃しませんでした。大量に残された石油は、アメリカ機動艦隊のガソリンとなり、反攻作戦を遅らせることはできませんでした。日本軍を敗北に追い詰めた原因は、すでに開戦初日にあったのです。

 

 

「兵站軽視思想」は自衛隊にも言える

しかし、兵站を軽視する考え方は、今の自衛隊にも言えることです。

 

2011年当時、海上自衛隊は大型輸送艦3隻を保有していましたが、東日本大震災が起きた時、その輸送艦がまったく使えず、後方支援の問題点を浮き彫りにさせました。

 

震災が起きた3月11日、輸送艦の1隻は修理中で使用不可。もう1隻は災害訓練に参加するためにインドネシア沖を航行中で、最後の1隻は広島の呉基地に停泊していました。「海上自衛隊の船は使えない」と判断した輸送室は、長距離フェリーを運営する5社に船の借り上げを要請。大量の車両と人員の輸送は民間業者が請負いました。

 

こうした事態が起きた背景には防衛費の削減が要因です。ただ、国内で起きた有事にもかかわらず、必要な物資や人員を緊急で運べなかったことで、自衛隊が致命的な欠点をさらけ出した点は否めません。

 

ちなみに、兵站を得意とした歴史上の人物を挙げるとすれば、戦国武将の石田三成が挙げられます。三成が仕えていた豊臣秀吉は、九州平定や朝鮮出兵などで10~20万人規模を大動員しましたが、その兵站を支えたのが三成でした。当時の技術や前例のない動員数などを考えれば、驚異的なことです。

 

イスラエルの軍事学者であるマーチン・ファン・クレフェルトによれば、「戦争という仕事の10分の9までは兵站だ」と言います。戦後70年を迎えた今年、先の大戦から教訓を得ることの方が重要ではないでしょうか。(山本慧)

 

【関連記事】

2015年3月号記事 日中戦争では残虐だったのか? - 日本軍は世界一人道的だった - 「永遠の0」も描かなかった真実

http://the-liberty.com/article.php?item_id=9098

 

2015年2月7日付本欄 日露戦争がすごい理由【陸軍編】 世界史上の奇跡と評される日本軍の活躍

http://the-liberty.com/article.php?item_id=9174

 

2015年1月25日付本欄 明治政府の国防戦略 なぜ日本は朝鮮に介入した?

http://the-liberty.com/article.php?item_id=9125



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終戦後の食料危機を救われた昭和天皇

2015-12-19 19:34:27 | 日記

終戦後の食料危機を救われた昭和天皇[HRPニュースファイル1484]

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 ◆終戦後の食料危機

前回、マッカーサーと昭和天皇の会見の話を紹介しました。

「昭和天皇とマッカーサーの会見秘話」

http://hrp-newsfile.jp/2015/2369/

戦争は終わったものの、昭和20年、終戦の年もくれる12月になると日本は極度な食料難に陥っていました。年が変わり21年になると「1000万人の餓死が出るのではないか」とささやかれました。

米国占領軍によって獄中から釈放された共産主義者が呼びかけ、昭和21年5月19日には、赤旗を掲げた「米よこせデモ」が皇居の中にまで押し寄せました。

「米よこせデモ」のプラカードには、以下のような昭和天皇を侮辱するような言葉もありました。

〈朕(チン)はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね〉

 ◆国民の飢餓を救った昭和天皇

しかし昭和天皇は、「米よこせデモ」の半年前の昭和20年12月、鳩山一郎内閣の文相である松村謙三氏に、次のように言われています。(「三代回顧録」松村 謙三著) 

『食料の悪化は、このまま推移すれば多数の餓死者をだすようになるというが、戦争に塗炭の苦しみをした国民に、このうえさらに多数の餓死者をだすようなことはどうしても自分にはたえがたいことである。』

『政府ではアメリカにたいして食料の提供を要請しているが、アメリカはこれに応諾を与えてくれぬそうであるけれども、考えてみると当方からは食料の代償として提供すべき何物もないのだからいたしかたない。』

『それで、聞けば皇室の御物の中には、国際的価値のあるものが相当あるとのことである。よって帝国博物館の館長に命じて調査させ、その目録を作成させたのがここにある。』

『これを代償としてアメリカに渡し、食糧にかえて国民の飢餓を一日でもしのぐようにしたい。そのように取りはからうに。』 

マッカーサー元帥に、昭和天皇の心持ちを伝え御物の目録を差し出すと、すでに最初の訪問で「自分の身はどうなっても国民を助けてほしい」という言葉に感動を覚えていた元帥は、こう言いました。

「天皇の考えられることは、まことによく分かるが、自分としてもアメリカとしても、せっかくの懇請であるけれども、皇室の御物を取りあげて、その代償に食糧を提供するなどのことは面目にかけてもできない。」

「この目録は陛下にお返しされたい。しかし国民のことを思う天皇の心持ちは十分に了解される。自分が現在の任務についている以上は、断じて日本国民の中に餓死者を出すようなことはさせぬ。かならず食糧を本国から移入する方法を講ずる。陛下に御安心なさるように申し上げてもらいたい。」 

これまで首相、外務大臣が何度も「食糧支援」を懇請していましたが、決して承諾しなかったマッカーサー元帥は、昭和天皇の国民を思うお心に打たれて、即刻アメリカからの食料物資を手配しました。

このように昭和天皇のお心は、〈朕(チン)はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね〉とは、まったく違ったものでした。

 ◆今、私たちがこの世に生がある理由

米国から日本に大量の食糧物資が届かなければ、戦後の日本は多数の餓死者が出てもおかしくない状況だったのです。

当時、大量の餓死者が出て、その中にもし祖父母、父母が入っていたら、私たちはこの世に存在していないかもしれません。 

歴史とは過去からつながっているものであり、現在の私たちがこの世に生を受けることができたのは、昭和天皇を始め多くの先人方の努力があったからです。

このような先人方の努力に対する感謝を忘れてしまったのが戦後の日本人です。

本当の歴史を取り戻すためには、こうした先人方への感謝から始まるのではないでしょうか。

 文/幸福実現党・政務調査会 佐々木勝浩


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20年以上前に離婚した夫を介護して

2015-12-19 19:33:55 | 日記

20年以上前に離婚した夫を介護して

http://voicee.jp/201310197033

突然の知らせ

「お母さん、親父が心筋梗塞で倒れてICUに入っちょるんよ。糖尿病で、足の指も2本もげて、太腿に腫瘍もできちょって……」

そう長男から電話があったのは、2011年10月のことでした。
主人とは、もう20年以上も前に離婚していましたが、病院から連絡を受けたという長男の話を聞いて、「かわいそうに……。一人でタクシーの運転手して、借金返して……」と、涙が出ました。
主人は、仕事上のトラブルで多額の借金をつくり、家屋敷も全部担保に取られて失職。
「お母さんを大切にしちゃってくれぇの」と子供たちに言い残して、家を出ていったのです。

その後、3人の子供も独立し、私は、生まれ育った山口県で、平穏に一人暮らしをしていました。
長男の運転する車で1時間以上。
私がICUに主人を見舞うと、主人は、「すまん、すまん」と手を合わせました。
ほどなく主人は心臓の手術を受けましたが、タクシーの運転手を続けるのは無理だと言われ、会社の寮も引き払うことになりました。


施設に入るお金もなく、主人は退院しても、行くあてもありません。

「本人に責任あるんじゃけ、のたれ死んでも、どうなっても、それはしょうがない。お母さんの血圧も心配だしの」

長男は私を気遣って、そう言ってくれました。
いろいろな思いもあったのでしょう。


けれども、私は、もともと主人のことが嫌いで離婚したわけではありません。
主人を引き取るべきか、とても迷いました。

血のつながりを超えて

人に優しくすること、見返りを求めずに愛を与えること――。
これは私が学んでいる幸福の科学の一番大切な教えです。


私は1992年に幸福の科学の信者となり、以来ずっと、教えを学び実践してきました。
実は私は、10年ほど前にも、義父を引き取り最期を看取った経験がありました。


義母に先立たれ、80歳を超えた義父を、独りにしておくのは忍びなかったのです。
もちろん、主人と離婚したあとのことです。


まわりからは、「お人好しすぎる」と言われましたが、幸福の科学で、「人は何度も何度も生まれ変わり、転生輪廻(てんしょうりんね)を繰り返している。


夫婦や親子の縁も、決して偶然ではなく、過去世からのご縁である」と学んでいましたので、義父とも、血のつながりはなくても魂では深いご縁があると思ったのです。


私は、お世話になったご恩返しにと、「お義父さんも、信じてください」と幸福の科学の信仰を勧めると、義父は、入会をしました。


仏教系の学校を出ていた義父は、信者が拝受する『正心法語(しょうしんほうご)』の経文(きょうもん)を読むと、「これは本物のお釈迦様の教えじゃ。ありがたいのう」と、涙を流して喜びました。


義父は、『正心法語』を胸に、安らかに帰天したのです。

「心の針」を仏様に向けて

「今の私は、もし主人を引き取っても、神仏のみ心にかなうような慈悲の心でもって、主人に接することができるじゃろか……」

私は主人を引き取る自信がなく、幸福の科学の本を読んで答えをさがしました。
すると、『無我なる愛』という書籍に、「迷ったときには、自らに厳しい道を選びなさい」と書かれていました。

「一度は夫婦になったのも、天上界で約束したご縁。引き取らないで後悔するよりも、引き取って後悔したほうがいい……」

私は、主人を引き取る覚悟を決めました。


2012年1月。
退院して私の家にやってきた主人は、私がつくる食事は、「おいしい、おいしい」と言って何でも食べてくれ、体調が良い日には、杖をついて近所のスーパーで買い物もしてくれました。


4月には、年金を受け取りに、二人でいっしょに銀行に出かけました。

「毎年、桜がきれいな季節には、仲良く年金もらいに行こうね」

20年のブランクなど、まるで無かったかのように、私たちの間には、穏やかで幸福な時が流れていきました。
ただ、たびたび送られてくる、主人宛ての税金などの滞納通知書を目にすると、私の心は揺れ、責める思いが込み上げてきました。

「また、あんたは……。催促が来ても、どうせ放っておいたんじゃろ!」

私が鬼のような顔をして怒っても、主人はまるで仏様のように穏やかな表情で黙っています。
もともと主人はとても心優しい人なのです。

「いけん、いけん。これも修行じゃ。何があっても『心の針』は仏様のほうに向けておかんと……。それが幸福の科学の信者の証明じゃ」

私は、ハッとして反省し、すぐに心を治めました。

やっぱり、夫婦っていいもんじゃね

8月、太腿の腫瘍が悪化し、主人は再び入院しました。


足の指の傷や、腫瘍の手当をしてあげると、主人は、「ありがたい、ありがたい」と、むせぶように泣いて感謝してくれました。

「痛いとも、つらいとも言わんと、よう辛抱して……。あんたには何でも話せるし、やっぱり夫婦っていいもんじゃね」

 

主人を引き取って7カ月。
私たちは書類上も再び夫婦になりました。


主人の借金も何もかも、私が背負うことになるので不安はありましたが、入院や様々な手続きが面倒でしたし、いろいろな書類に「内縁の妻」と書くのにも抵抗があって、籍を戻したのです。

家族になった人間どうし

主人はいったん退院し、11月、再入院しました。


腫瘍は悪性でしたが、糖尿病や心臓病もあるため、手術はできないということでした。
12月の終わりごろ、甘いもの好きの主人が、ポツリと言いました。

「あん餅の焼いたのが食べたいのう」

年が明けた1月2日に、駅前に回転焼き屋が出ていたので、主人に買って持っていきました。

「あんたが食べるところが見たい。食べて見せてくれ」 

言われるままに、私が半分食べて、残りを主人の口に入れてあげました。
主人は、おいしそうに食べました。


そして1月4日、主人の容体が急変。


夕方には、子供も孫も呼び寄せられ、家族が見守るなか、主人は静かに息を引き取ったのです。


20年間、いっしょに暮らすこともなかった子供たちでしたが、意外にも、長男が声をあげて泣き出しました。


すると、主人の目から、ツーッと一筋の涙が……。

縁あって、今世、家族になった人間どうし、やはり深いところで、いろいろな思いが行き交います。


仏法真理(ぶっぽうしんり)を学んで介護を経験し、それをしっかりとかみしめることができ、私は深い幸せを感じています。

葬儀の日、白い着物の胸に『正心法語』を入れて、穏やかな顔で棺に納まった主人に向かって、私は心のなかで語りかけました。


お父さん。私のところに戻ってくれてありがとね。
最後の1年間、お父さんと暮らせて、本当に幸せでした――

 

自宅の食堂の椅子に、主人が座っていた座布団がそのままあるのを見ると、「もう少し一緒に暮らしたかった」と、さびしい気持ちにもなります。


けれど、私は「あの世はある」と信じています。
私は毎日、主人の写真に手を合わせ、「お父さん、ちゃんと天国に還ってね」と語りかけ、主人のために『正心法語』を読んで聞かせています。


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出世したい!――今の部署で成果を上げて道が開けた

2015-12-19 19:33:34 | 日記

出世したい!――今の部署で成果を上げて道が開けた

http://voicee.jp/2015032010866

 

昇進した途端に仕事で挫折

私は、専門学校を卒業後、公務員となりました。就職して間もなくのころ、幸福の科学の信者になった私は、仕事を通じて社会に貢献したいという情熱を持って、懸命に仕事に取り組んでいました。

そうした仕事への熱意と実績が認められ、当時の上司から「幹部候補生選抜の試験があるから受けてみないか」と勧められました。

仕事の合間に勉強を続けた結果、数十倍の難関を突破して試験に合格。研修期間を経て、総務部の配属に。私はやる気満々で新しい仕事にかかりました。

ところが、今までいた部署とは全く違う仕事に戸惑うばかり。おまけに、選抜試験合格者ということで、周りも私に厳しく接し、「仕事のやり方は自分で調べるのが基本」と突き放されます。できないことをただ指摘され、怒られ続けました。

「あの仕事はどこまで進んでいる?どうしてやってないんだ!」

上司の容赦ない叱責が飛んできます。

新しい部署に移ってからというもの、毎日毎日、上司に怒られない日はありません。

私の仕事が滞ると他部署の仕事も遅れ、苦情もどんどん増えていきます。「お前が来て、総務部は悪くなる一方だ」と面と向かって言われたこともあります。毎日が苦痛で、「元の部署に戻してください」という言葉が何度出かかったか分かりません。

そんな逆境の中でも、私は、より昇進の道が開ける内部試験を受け続けていました。

分不相応な欲が失敗のパターンだった

ある日、上司に呼び出されました。私の作成した報告書の資料が、上下逆になっていたのです。

「お前は一体どういうつもりで昇進を目指しているんだ!上を目指せば、もっと仕事が厳しくなるんだぞ。今の仕事がまともに出来ないのに、何を考えているんだ!」

私はハッとしました。

新しい部署に異動してからというもの、上司から毎日叱られて、劣等感と惨めさで一杯でした。その傷を、分不相応な昇進を目指すことで埋めようとしていたことに気がついたからです。昇進することで、自分の力を示し、叱責した上司たちを見返してやろうと思っていたのです。

私は、過去にも同じような失敗をしたことを思い出しました。

高校時代、体調を崩したため、思うように勉強できず、成績は学年で最下位を争うまでに下がりました。その惨めさを埋めようと、自分の成績とはかけ離れた一流大学を目指して二年の浪人生活を送りましたが、結局失敗に終わったのです。

成功のパターンを学んで実践しはじめた

失敗のパターンを繰り返していることに気づいた私は、分不相応な出世欲を捨て、今の部署で成果を上げる努力をしようと決意しました。

『奇跡の法』第1章「運命を逆転させる法」に説かれている「『人生を変えたい』と思うならば、積極的に努力して、自分と違う考え方や行動のパターンを身に着ける必要があります」という教えを、徹底的に実践しようと思いました。

まず、以前から「仕事ができるな」と思っていた上司や先輩を理想像としました。そして、自分の仕事の進め方と何が違うのか、考え方や行動のパターンを徹底的に研究しました。

すると、仕事のできる方は例外なく、今日やること、数日後までにやることを、スケジュール帳に書き込んで管理していることに気づきました。それに比べて私は毎朝、机に山積みにされている書類を見ながら「今日は何をしたらいいのだろうか」と呆然としていました。

そこで「この仕事は、いつまでにやらなくてはいけないのか」「どの仕事を優先的に行うべきか」をはっきりさせ、段取りよく進めていくようにしました。

また私は、仕事の中心概念を掴んでおらず、自分の担当の仕事に関して、上司から質問されても答えられませんでした。そこで、仕事に関係する法律や規則を学び、仕事のポイントを明らかにするようにしました。

こうして、一つひとつ丁寧に真似をしていきました。

心を入れ替えて、努力を始めてから約半年ほど経ったあるとき、先輩の急な異動で、2人分の仕事を任されることになりました。以前の自分であれば、とてもこなせなかった量です。それを何とかやり切れたことに、自分でも驚きました。

「一人減っても仕事が回るのは、君のおかげだ。君は部署の要だ」

上司から今までとは正反対の評価をいただくようになりました。

職場や社会の発展に貢献していこうと決意

自信がついてくるにつれて異常なまでの出世欲は消え、代わりに部署の成果に貢献したいという気持ちが出てきました。すると不思議なことに、今までは仕事を教えてくれなかった周りの人が、サポートしてくれるようになったのです。

そして1年後。役職者として部下の指導を任される立場になりました。

「認められたい」とあがいていたころは、決して逆境から抜け出すことはできませんでした。しかし、欲を捨て、与えられた環境で精一杯努力をしようという思いに切り換えた時、道が開けてきたのです。

私は今、実感しています。仏の念いによってつくられた世界にあって、逆境ばかりが現れるのは、仏の念いとは一致しない願いを持っているからだと。自分の利益のことばかりを考えていては、決して逆境から抜け出せないことを。

逆境は確かに苦しいものでした。しかし、その中で私は心の過ちと向きあい、心の糧を得ることができたのです。この学びを大切にして、これからも職場や社会の発展に貢献していこうと決意しています。


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北朝鮮楽団の帰国、原因はミサイル映像 中国側が難色

2015-12-19 11:51:11 | 日記

 北朝鮮の楽団が北京公演を直前で中止した裏で、公演で上映される長距離弾道ミサイル発射実験の映像に、中国側が難色を示していたことが、北朝鮮関係筋の話でわかった。

 北朝鮮の女性グループ「モランボン楽団」と男声合唱団「功勲国家合唱団」は11日に北京でリハーサルを実施。背景の映像に、2012年12月に北朝鮮が行った長距離弾道ミサイルの発射実験の様子が含まれていた。

 中国は13年1月、発射実験を受けた国連安全保障理事会制裁決議に賛成している。そうした立場から、映像の削除を求めた。当初、削除しなければ、楽団が宿泊するホテルと公演会場を結ぶ送迎バスの提供を中止すると通告した。

だが、北朝鮮側は要請を無視。交渉は12日午後まで続いた。

 中国側が最後に「削除しなければ、習近平(シーチンピン)国家主席ら指導部は観覧しない」と伝えた。交渉が決裂し、北朝鮮側は帰国した。

朝日新聞社


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「日本製はバカ高ですよ!」 習近平が鉄道受注を奪った手法

2015-12-19 10:05:01 | 日記

NEWSポストセブン  日本は高い技術力で、海外貢献を成し遂げてきた。しかし近年、中国は日本ではあり得ない手法で割り込み、プロジェクトを受注している。経済ジャーナリストの町田徹氏が解説する。

  * * *
「もう技術的な優位性はないのに、途上国の人々が納めた税金を担保にとって、バカ高い社会インフラを売りつけるのが日本式です。それよりファイナンスでの面倒見もよく、コストパフォーマンスに優れた中国製がいいですよ」

 こんな調子で日本に対するネガティブキャンペーンを展開しているのが、習近平国家主席が陣頭指揮をとる中国のインフラ輸出だ。その脅威の一端を紹介しよう。

「極めて遺憾である」

 菅義偉官房長官は9月29日の記者会見で、怒りをあらわにした。直前に、インドネシアのソフヤン国家開発企画庁長官が来訪、鉄道建設プロジェクトで日本に入札の機会すら与えず、中国製の導入を決めたと通告したのが原因だ。

 菅長官が怒るのも無理はない。問題の鉄道は首都ジャカルタと中堅都市バンドンの間の約140kmを結ぶものだ。当初は新幹線のような高速を目指したが、日中両案とも建設費が予算を上回ったため、計画を時速約200kmの中速にグレードダウンして改めて国際入札をすることになっていた。ところが、1か月も経たずに方針を転換して中国に軍配をあげてしまったのである。

 インドネシアは、日本が最大の対外援助を供与してきた国だ。親日国でもある。今回のプロジェクトは官民を挙げて日本が提案したものだった。

 日本は受注に向けて手を尽くした。2015年春、ジョコ大統領が来日した際には国賓として手厚くもてなし、天皇、皇后両陛下が皇居で大統領夫妻に昼食をふるまった。さらに、安倍首相が1400億円の円借款の供与を表明。大統領に新幹線試乗を楽しんで貰うことも忘れなかった。

◆日本は巻き返せる

 では、なぜ、中国に出し抜かれたのか。答えは、習主席が先頭に立って、リスクに目を瞑り、豊富な外貨を投入する中国の「戦略」にある。日本のODAは血税が原資で、回収に万全を期すため相手国政府の保証が条件になる。だが、インドネシアは財政赤字を抱え、保証を含む政府債務を増やしたくない。そこで習主席は、資金回収が危うくなるのを承知で、豊富な外貨を民間企業に貸す決断をした。これが決め手になったのだ。

「安さ」も中国の強みだ。その一例は、製鉄所で鉄鋼会社が使う「コークス乾式消火設備」である。石炭を蒸し焼きにして作ったコークスを搬送できる温度に下げる設備だが、その過程で回収した熱を発電に再利用するための省エネ設備でもある。中国は1980年代から日本製を積極的に輸入した後、2000年代に入ると国内用にコピーした設備を量産。最近は、コピーを輸出に回しているというのだ。

 技術力を侮れない分野も出てきた。鉄道や鉄鋼と同様、模倣からスタートした通信機器だ。1987年設立の華為技術(ファーウェイ)は17万人の従業員を抱える大企業に成長、携帯電話の基地局で日本市場をも席巻している。原発先進国・英国に原子炉を輸出する快挙も実現。習主席は10月の訪英時、商談の成功に「中英関係は黄金時代を迎えた」と大はしゃぎだった。

 だが驕る平家は久しからず。原発や鉄道輸出を支える豊富な外貨が中国から逃避し始める日はそれほど遠くないだろう。引き金は、深刻化する中国バブルの崩壊と、2015年内実施とみられる米国の利上げ。その混乱を突けば、日本がインフラ輸出で巻き返す余地はいくらでもあるはずだ。

【プロフィール】町田徹(まちだてつ):1960年大阪府生まれ。新聞記者、雑誌編集者を経て独立。著書に『電力と震災 東北「復興」電力物語』(日経BP社)など。

※SAPIO2016年1月号


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マザー・テレサの二番目の奇跡、法王が認定 列聖に弾み

2015-12-19 08:56:14 | 日記
 

【AFP=時事】ローマ・カトリック教会のフランシスコ(Francis)法王が、故マザー・テレサ(Mother Teresa)による二番目の奇跡を承認したと、カトリック系日刊紙「アべニーレ(Avvenire)」が18日に報じた。来年の「聖人」認定へ向けた地ならしだとしている。


 バチカン情勢に詳しい同紙のステファニア・ファラスカ(Stefania Falasca)氏によると、フランシスコ法王は来年9月4日、「聖年(Jubilee Year)」の慈悲の一環として、人々から愛された修道女マザー・テレサを列聖する見通しだという。

 これに先立ち、列聖省(Congregation for the Causes of Saints)が3日前に専門家の委員会を招集し、複数の脳腫瘍に苦しむブラジル人男性が回復した事例についてマザー・テレサの奇跡によるものと認定したと、同紙は伝えている。

、不治の脳疾患患者の家族がマザーに祈ったところ、マザーによる神へのとりなしで治癒したというもので、医師らは治癒の経緯を説明できなかったとされる

 アルバニア人の両親のもと現在のマケドニアの首都スコピエ(Skopje)で生まれたマザー・テレサは、インド東部コルカタ(Kolkata)のスラムで病気や死にひんした貧しい人々のために働くことに生涯をささげ、「神の愛の宣教者会(Missionaries of Charity)」を創立したことで世界的に知られる。

1979年にノーベル平和賞(Nobel Peace Prize)を受賞。1997年に87歳で死去した。【翻訳編集】 AFPBB News


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産経前支局長無罪 「言論後進国の汚名招いた」「顔色うかがい起訴に鉄槌」韓国紙、検察を批判

2015-12-19 06:28:39 | 日記

産経ニュース

 【ソウル=名村隆寛】朴槿恵大統領に対する名誉毀損(きそん)の罪に問われた産経新聞の加藤達也前ソウル支局長(49)に対し、ソウル中央地裁が無罪判決を下したことを受け、18日付の韓国各紙の多くは加藤前支局長を起訴した検察や朴政権のこれまでの対応を批判的に報じた。

一方で、産経新聞や加藤前支局長を批判する報道が、相変わらず一部で展開されている。

 京郷新聞は1面と2面に記事を載せたほか、「加藤前支局長の無罪判決、朴大統領は言論統制を反省するのか」と題した社説を掲載した。

社説は無罪判決について、「いくら大統領の名誉が大事だからといって、民主主義の基本である言論と表現の自由よりも優先できないことを確認させたことに意味がある」と評価した。

■“言論後進国”の汚名を招いた

 また、「加藤氏が韓国国内だけでなく海外でまでも追い詰められた記者のイメージとして映り、逆に韓国政府が攻撃を受けるようになったことは、大統領と検察の過ちだ。

大統領が直接出てきて『侮辱的な発言は度を超している』と公に不満を表し、検察が無理に起訴したことが禍根となった」と断じた。

 さらに、「韓国は自国の大統領を批判する海外メディアの記者を裁判に送る“言論後進国”だ-という汚名と外交的孤立を検察が自ら招いた」と起訴に踏み切った検察を批判。

また、判決を前に韓国の外務省が法相らに加藤前支局長への善処を求める趣旨を伝えたことについては「事実であれば朴大統領の失策を認めることであり、司法の独立を否定することだ」とも主張した。

 また、ハンギョレ紙は社説で「裁判所が検察の“大統領の顔色うかがい”による無理な起訴に鉄槌(てっつい)を加えた」と指摘。

「検察の無理な起訴が内外で言論の自由弾圧という激しい批判を招き、韓日関係にも悪影響を及ぼした。この点を考えれば、いたずらに問題を起こした検察に重い責任を問うのが当然」と検察を非難した。

■判決、軽くないメッセージ投げかけた

 同社説は「名誉毀損(きそん)罪が、当事者が処罰を望まなければ起訴できない『反意思不罰罪』であることを考慮すると、意思に反すると表明しなかった朴大統領にも相当の責任がある」と大統領側の対応を批判した。

 一方、中央日報の社説は、「判決は言論の自由と責任という2つの価値に、軽くはないメッセージを投げかけている」とし、「今回の判決で政府と検察は過剰対応をしたという指摘を避けづらくなった」と指摘した。

 さらに、「政府や公職者がからむ報道に対して訴訟と検察の起訴が乱発されれば、言論の自由と批判機能が萎縮する。

今からでも政府と検察は言論の自由が持つ意味を銘記しなければならない」と強調。その半面で、「加藤前支局長の報道が倫理的免罪符まで受けたわけではない」ともクギを刺した。

 東亜日報の社説は、「検察の起訴にはやはり無理があった」と一方で、「言論の自由が無制限ではないという裁判所の警告を、極右性向の産経新聞も肝に銘じなければならない」と産経新聞に注文をつけた。

■検察の責任に無批判

 朝鮮日報は朴大統領の噂を伝えたコラムを掲載し、加藤前支局長がこのコラムを引用した新聞だが、「加藤氏は虚偽報道をした」と批判し、検察の責任にも触れなかった。さらに、同紙が「噂」を伝えたことにも言及していない。

 18日付の同紙は「産経記者」と題したコラムを掲載した。コラムは次のように始めている。「記者が特ダネ報道で名をはせたケースは多いが、虚偽の報道で有名になるのはあまり見たことがない。そうした事例として例に挙げるべきが産経新聞の加藤氏だ」

 また、同コラムは「検察の捜査で彼は日本で一躍スターダムにのし上がった。(中略) 安倍(晋三)首相は(4月に出国禁止が解けて日本に帰国した)彼を官邸に呼び、いたわりさえした」とし、ひざまずく加藤前支局長の頭を安倍首相が優しくなでている様子を描いたイラストも掲載した。

■産経は韓国が「言論弾圧国だ」と繰り返した

 コラムは「記事の事実無根が明らかになったのにもかかわらず、産経新聞は訂正報道どころか、謝罪もしていない」とし、「それどころか紙面を通じ、『韓国は言論弾圧国だ』という主張ばかり繰り返した」「記者にとって誤報は致命的なのにもかかわらず、恥とも思っていない」などと感情的に産経新聞を非難している。

 コラムは一方で、「検察がこの問題を起訴まで引っ張っていったことで口実を与えた面もある。単なる名誉毀損ではなく、言論の自由や外交の問題に飛び火する素地が多分にあった」と検察の対応を問題視した。

その上で「予想通り、虚偽報道自体より、加藤処罰(原文のまま)や韓日対立だけが話題となった。得たものはなく、失ったものばかりが多い“バカな起訴”だった」と問題を振り返った。

 無罪判決が日韓関係に及ぼす影響については、「韓日関係の大きな悪材料が除去されたことは幸い」(ハンギョレ)、「韓日関係に肯定的な影響を及ぼすなら幸い」(東亜日報)などと、各紙はおおむね肯定的に受け止めてはいる


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中韓、米利上げショック 人民元10日続落 資金流出や債務拡大懸念も

2015-12-19 06:24:53 | 日記

夕刊フジ

米国の利上げの影響が新興国に広がり始めている。17日の市場で中国の人民元が対ドルで10営業日続落と過去最長の下げを記録。約4年半ぶりの安値水準となった。資本流出の拡大や借金の増大といった懸念が韓国を含む新興国経済に暗い影を落としている。

 17日の上海市場で人民元は0・16%安の1ドル=6・4837元だった。

 中国国営の新華社は14日の評論記事で、米利上げの影響について、十分な外貨準備の「弾薬」があり、元相場が大きく動けば「甘い対応はしない」と指摘。買い介入をにおわせたが、人民元安と投資マネーの流出は止まらない。

 急成長で膨らんだ巨額債務や過剰設備などの矛盾が露呈したことが背景にある。李克強首相は「時代遅れとなった生産設備を削減し『ゾンビ企業』を退出させる」と指示したが、中国政府高官は「今後5年間は構造転換の苦しい過程になる」と厳しさを認める。

 国際通貨基金(IMF)によると、主要な新興国の企業が抱える借金は14年時点で約18兆ドル(2200兆円)に達し、10年前の4・5倍に急増。米国の利上げをきっかけに新興国の金利も上昇すれば、家計や企業が重い借金を抱えた韓国にとっては大打撃となる。

 聯合ニュースによると、韓国貿易協会の研究員は17日、「米国の金利引き上げと中国の景気不安が複合的に作用すると、新興国景気が深刻な低迷に陥り、韓国の輸出が悪い影響を受けることが避けられない」と警戒する。

 17日の株式市場では、東京市場の日経平均が1・6%上昇、上海の総合指数も1・8%上伸したが、韓国の総合株価指数(KOSPI)はわずか0・4%高にとどまった。米利上げショックが始まるのはこれからだ。


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日本のインド支援に、中国が“負け惜しみ”の偏向報道「共謀して核攻撃するつもりか!?」

2015-12-19 06:14:53 | 日記

日刊サイゾー

こんにちは、中国人漫画家の孫向文です。

 12月12日に行われた日印首脳会談において、インド政府は自国の高速鉄道と原子力発電所の開発に対し、日本側の技術提供を受けることを決定しました10月にインドネシアで中国の高速鉄道方式が採用されたこともあり、日本の皆さんは胸のすくような思いをされたかもしれませんね。

この件は中国でも大きな話題を呼んでいます。

 2015年末から本格的に業務開始する予定だったAIIB(アジアインフラ投資銀行)は、主宰国である中国の財政難などを理由に、いまだに始動する気配はありません。

もともと中国側は「新シルクロード計画」という野望を抱き、それがゆえにAIIBを発足させ、アジア・中東・ヨーロッパにまたがる巨大経済圏を作ろうとしていたのです。


その一環として、中国が開発した鉄道網をユーラシア大陸中に張りめぐらす計画があったのですが、インドが日本の鉄道方式を採用したことにより、その計画は破綻しました。

中国国民の反応をネットで見てみると、やはり「一帯一路(中国政府が提唱した経済圏構想)に支障を来す」といった反応が大勢を占めていました。

 それ以外にも「これから日本製品をボイコットしよう!」と、日本に対して怒りを向けてくる声。

はたまた、日中の技術レベルの差は中国国民たちの間でも周知の事実だったこともあって、「日本の鉄道は高品質かつ低コストで開発可能」「中国政府は発狂しないように」と、インド側の選択を当然だという反応も見られました。

僕としては、これまで中国が世界中に粗悪品を売りつけていた報いだと思います。

 さて、今回、インド政府が採用したのは、日本の高速鉄道と原子力発電所でしたが、この原子力発電所に関しては、中国国内において作為的な偏向報道が繰り返されています。


 南沙諸島問題などを理由に、現在、中国とインドの関係性は決して好ましくありません。

インド側も日本、アメリカと合同軍事演習を行うなど、中国側を牽制するような活動を繰り返しています。

中国はこうした事実を快く思っていないため、今回、機関メディアを利用し「日本はインドの核兵器開発を支援している」と、故意に原発開発と核開発を混同した報道を行っているのです。

中国国民もこうした作為的な報道に存分に煽られています。

「これから日本とインドが手を組み、中国を核攻撃するつもりだ!」などと陰謀論めいた説を唱えると同時に、「日本には憲法9条があるのに、安倍晋三は核開発を推奨している」「安倍は福島の人々と平和活動家の声を無視している」と、猛烈な安倍首相批判をネットに書き連ねているのです。

国民の反日感情を煽りたい中国政府の思惑通りといったところでしょう。

 高い技術力は、日本の大きな利点です。


今後も日本が自国の技術を各国に提供し続ければ、諸外国との友好関係を深める結果となり、日本側にとっては大きな利益につながるという一石二鳥の効果があるはずです。

日本の優れた技術は、中国の粗悪なものよりもはるかに大きな満足感を世界中に与えることでしょう。安倍首相が行った今回の日印首脳会談は、「技術大国・日本」を発展させるための大きな礎になったと思います。

●そん・こうぶん
中華人民共和国浙江省杭州市出身の31歳。中国の表現規制に反発するために執筆活動を続けるプロ漫画家。著書に、『中国のヤバい正体』『中国のもっとヤバい正体』(大洋図書)、『中国人による反中共論』(青林堂)がある。
https://twitter.com/sun_koubun



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軍備増強するベトナム、南シナ海で中国との衝突も視野

2015-12-19 06:11:48 | 日記

[スアンマイ(ベトナム) 17日 ロイター] - 軍の近代化を加速させるベトナムは、南シナ海の領有権問題をめぐり中国との武力衝突を覚悟しているようだ。10年にわたる軍の近代化は、ベトナム戦争が最も激しかった時代以降で最大規模の軍備増強となっている。

南シナ海で緊張が高まるなか、ベトナムの与党共産党の目標は中国の抑止にあるが、もしそれが失敗に終われば、全面的に自国を防衛できるようにすることだと、高官や彼らに近い人物はロイターに語った。

ベトナムの戦略は危機管理計画の域を超えている。主要な部隊は急襲回避の戦闘に備えた厳戒態勢をとっており、そのなかには山岳地の北部を守るベトナム陸軍最精鋭の「第308機械化歩兵師団」も含まれている。

ベトナムと中国は、南シナ海の南沙(英語名スプラトリー)諸島と西沙(同パラセル)諸島で領有権を争っている。

「われわれは中国との衝突は望まないし、外交政策を信頼すべきだが、最悪の事態に備えなければいけないことも承知している」と、あるベトナム政府幹部は匿名を条件に話した。

だが、ベトナムがロシアからキロ型潜水艦6隻を購入し、ほぼゼロから海軍の抑止力を構築していることには大きな意味があるだろう。

この数カ月で、ロシアから購入した潜水艦の第一弾が南シナ海で哨戒活動を開始したと、ベトナムと他国の軍関係者は明らかにしている。


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産経前支局長を起訴した検察の姿勢批判…韓国紙

2015-12-19 06:07:32 | 日記

読売新聞【ソウル=井上宗典】韓国の朴槿恵(パククネ)大統領の名誉を傷つけたとして名誉毀損(きそん)罪に問われた産経新聞の加藤達也・前ソウル支局長(49)が無罪判決を受けたことに対し、18日付の韓国紙は、加藤氏を起訴した検察の姿勢を一斉に批判した。

検察側の姿勢を批判してきた左派系のハンギョレ新聞は社説で、加藤氏のコラムは事実誤認の「不良製品」としながらも、「裁判所は大統領の顔色をうかがった検察の無理な起訴に対し、鉄ついを下した」と指摘。「検察に重い責任を問うべきだ」と強調した。

韓国政府は、加藤氏が朴大統領と元側近の密会説をコラムで紹介した昨年8月、「民事・刑事上の責任を最後まで追及する」と表明。この意向を受け、検察は加藤氏の在宅起訴に踏み切ったとの見方が強い。


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