元幸福の科学の会員で1987年より三十数年間、在籍し、活動をしてきました。その間を振りかえります。

最初は勉強会だったのに大川隆法氏は1991年に突然に自分は地球神・エルカンターレだと宣言し、宗教法人となった。

沖縄普天間基地周辺住民とプロ市民の実態

2015-12-05 17:26:05 | 日記

http://thefact.jp/2015/390/

普天間基地前で通勤中の米兵に罵声を浴びせかける反基地運動家

「勝手に写真を撮るな!」と憤る過激な反基地活動家

普天間基地前では、平日の朝6時から8時にヘイトスピーチが行われ、基地に通勤するアメリカ兵に向かって「MARINES OUT(海兵隊は出ていけ)」といった罵声を浴びせかける人々がいました。

ザ・ファクト取材班に気づくと、「おい!撮るな!」「勝手に写真を撮るな!」と憤りをあらわにします。彼らの行為について住民の方が迷惑していることを伝えると、ヘイトスピーチの責任者は、自分たちが住民の方に約束して対応していると反論します。

しかし、現場近くの住民の方々の意見は異なっていました。

近隣住民からは「オスプレイよりも迷惑」と苦情

近隣住民の男性は、「本当にうるさいんですよ。朝の6時からメガホンや拡声器を使ってワァワァやられたら本当にうるさいですよ」と困窮を訴えます。

この男性は、あなた方のほうがオスプレイよりうるさいですよという旨の苦情をすでに伝えたと言うのです。

近隣の女性から伝え聞いた、反基地活動家の裏事情

また近隣に住む女性は、「なぜか知らないんですけど、(彼らには)教員あがりが多くて。公務員とか。(彼らの活動には)報酬も出るらしくて。

全員じゃないらしいんですけど。幹部には毎朝日当が出るらしくて。(報酬の金額は)2000円という人もいれば5000円ぐらいある人もいるし。一緒に活動している人はお金をもらえているのを知らないらしくて」と話します。

 


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独議会、仏空爆支援へ 掃討作戦強化、最大1200人派兵 イスラム国

2015-12-05 17:18:36 | 日記

産経デジタル

ドイツ連邦議会(下院)は4日、シリアなどで過激派組織「イスラム国」掃討作戦を展開するフランス軍などの後方支援を目的に、偵察機や最大1200人規模の兵士派遣を可能にする政府提出議案を可決した。

シリア情勢は米英両国にフランス、ロシアなどを加えた主要国の同時軍事介入という新局面を迎える。

 国連や北大西洋条約機構(NATO)枠外での実戦支援となり、紛争介入に慎重だったドイツの政策転換。日本の安全保障議論に一石を投じる可能性もある。

 ドイツの派兵は国連とNATOの枠組みが原則。アフガニスタンには昨年10月時点で約1700人を派遣していたが、NATO指揮権下の国際治安支援部隊(ISAF)の一部。

メルケル氏はイスラム国掃討作戦への参加にも慎重で、イラク北部のクルド人治安部隊を支援する武器供与や、訓練要員の派遣に限定してきた。(共同)


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カリフォルニア銃撃 結婚後に過激化したパキスタン系夫婦 自宅は「爆弾製造工場のようだった」

2015-12-05 17:17:12 | 日記

 【ロサンゼルス=中村将】米カリフォルニア州の銃乱射事件で、警察に射殺された容疑者夫婦は大量殺人を周到に準備し、犯行に及んでいた。

動機ははっきりしないが、夫婦は結婚生活を送る過程で銃や爆弾で武装するまでに過激化していったようだ。

 AP通信によると、ファルーク容疑者と妻のマリク容疑者は2014年8月、カリフォルニア州リバーサイド郡の自治体に婚姻届を提出した。

いずれの両親もパキスタン人だが、ファルーク容疑者は米国籍、マリク容疑者はパキスタン国籍とみられ、永住ビザを取得した。

 ファルーク容疑者は14年にサウジアラビアを訪問し、現地に住んでいたマリク容疑者と面会。

サウジアラビアではイスラム教の聖地メッカなどを訪れたという。マリク容疑者は婚約者ビザで米国に入国し、6カ月前に長女が生まれた。

 ファルーク容疑者は、周囲には温厚でシャイな性格と受け止められていた。車好きで、ガレージで夜遅くまで車をいじる姿が近隣住民に目撃されていた。

 変化の兆しがみえたのは2年ほど前のこと。通っていたモスク(イスラム教礼拝所)に顔を出さなくなった。あごひげもはやしたという。

 捜査関係者によると、容疑者宅の捜索でガレージに入ると、そこは「まるで爆弾製造工場のようだった」といい、近隣住民も「最近やたらと多くの小包が届いていた」と米メディアに証言している。

 ファルーク容疑者は、事件現場となった福祉施設の会議室での会合に参加し、別の出席者と口論となり中座。目出し帽をかぶり、ライフルを持って夫婦で戻ってきて犯行に及んだ。

 一見、衝動的にみえるが、必ずしもそうとはいえない。

 6カ月になる娘を事前に親類に預けていた。逃走に使用した黒いスポーツ用多目的車(SUV)はレンタカーだった。

射殺後にSUVを捜索すると、1600発以上の銃弾が見つかった。夫婦が大量殺人の日時と場所を決めていた様子が浮かび上がっている。


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大川隆法・本日の格言  正語の反省 

2015-12-05 17:15:06 | 日記

一日をずっと振り返っていき、自分の考えたこと、言ったことを点検していくのです。

自分が口に出して言ったことを、ずっと追いかけていくと、

心の間違いがよくわかります。

心のなかだけで思ったことというのは、なかなか思い出せませんが

、他人との関わりにおいて何を話したかを見ると、間違いがよくわかるのです。

『信仰告白の時代』P.160



※幸福の科学出版
http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=163&utm_source=wordsJpn&utm_medium=email

※Amazon
http://amazon.co.jp/o/ASIN/487688269X/hsmai


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<安保法>3月29日施行へ 部隊行動基準見直

2015-12-05 16:07:55 | 日記

毎日新聞

 政府は4日、安全保障関連法を来年3月29日に施行する方針を固めた。施行後は自衛隊による集団的自衛権の行使や他国軍に対する後方支援の拡大などが実際に可能となる。

防衛省は施行に向け、武器使用方法などを定める部隊行動基準の見直しを進めている。

安保関連法は今年9月30日に公布されており、公布から半年以内に施行すると規定されている。施行日は年明けに閣議決定する予定。

来年3月31日の期限直前に設定されることになる。


 政府は施行を前に、平時や集団的自衛権行使の際にも米軍に弾薬などの物品提供ができるよう、日米物品役務相互提供協定(ACSA)の早期改定を目指し、米側と協議している。

改定は安保関連法で新たに可能になった日米協力を実施するために必要で、来年1月4日召集の次期通常国会での承認を目指す。

 施行で新たに可能となる自衛隊の任務は、集団的自衛権行使や、後方支援の活動範囲や支援メニューの拡大に加え、国連平和維持活動(PKO)などでの治安維持任務、離れた場所で武装勢力に襲われた他国軍を救助する「駆け付け警護」など多岐にわたる。

 ただ、政府は来夏の参院選前に世論の反発が再び高まることを警戒し、新たな任務を想定した訓練をまだ実施していない。

訓練を通じた自衛隊員の習熟には数カ月かかるとされ、南スーダンでのPKOに現在参加している陸上自衛隊部隊への駆け付け警護の任務の付与も来秋まで先送りする見通しだ。【村尾哲】


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余計なお世話の「軽減税率」 減税で経済と財政の立て直しを!

2015-12-05 14:10:13 | 日記

余計なお世話の「軽減税率」[HRPニュースファイル1504]

http://hrp-newsfile.jp/2015/2490/

 文/幸福実現党・富山県本部副代表 吉田かをる

 ◆主婦からみた「軽減税率」の問題点

2017年4月に消費税を10%に増税するにあたり、自民公明両党は「軽減税率」をもうそろそろ決めないと実施に間に合わない・・・この頃、「軽減税率」がマスコミにたびたび取り上げられています。

家計を預かる主婦として、とても疑問に思うことがいくつかあります。

(1)軽減税率は「ぜいたく品に税金をかける」というものですが、その人にとってそれが「ぜいたく品」かどうかはその人の価値判断です。

政府国家や役人に決めてもらうことではありません。余計なお世話です。

(2)そもそも「10%に消費増税」が「もう決まった事」とされ、恩着せがましく「食料品には軽減税率!」などとサラリと言われても、これで「皆様の負担を軽くする」と言われても何か釈然としません。

今晩は家族の記念日、外食にするか、手作りにするかを税金がかかるかどうかで左右されるのは、余計なお世話で迷惑なことです。

(3)何が「軽減適用」でどれが「標準課税品」かで、今晩のおかずの材料を考えてしまう状況になることは、余計なお世話を超えて、自由の侵害です。

(4)どれを軽減の対象にするかで予想される税収が違うので線引きが難しい・・などという議論は国民のためではなく、政府国家とお役人の都合でしかありません。

国民にとっては「税金は安くて単純な方がいい」のです。

何かと忙しい主婦にとって、買い物でいろいろと考えなければならないことが増え、不便になることは明らかです。

「そのうちに慣れるからいいのだ」などと国民を「ゆでガエル」と同じレベルに貶めるのは、国民をないがしろにしているとしか思えません。

口先だけの「国民のため」は余計なお世話を通り越し、問題のすり替えです。

(5)そもそも、8%に消費増税して景気がよくなっていないのに増税するの?というのが国民の本心です。

「増税分は福祉に、社会保障にあてる」などと、老後を担保に取られているようで、思いきって本音を言えない状況です。

老後の備えは国に頼らなくても、自分で計画して十分に貯蓄することができれば、お仕着せの老後ではない「マイ老後」を過ごせるのに・・・税金で取られて自分の老後が自由にできないなんて、余計なお世話です。

(6)何を軽減対象にするかは、いろいろな「しがらみ」で業界議員、族議員の駆け引きや政党間の政治的思惑、お役所お役人の力関係などが関係し、すんなりと決まらないのは目に見えています。

こんなことを決めるのに議論して時間をかけるのは、国民の利益にはなりません。それよりも、景気を良くするためにはどうするかを真剣に議論してほしいです。

よく考えれば国民の幸せにならない議論を、いかにもそれらしく続け、恩を売られるのは、余計なお世話です。

(7)食料品でも税率が違うとその処理に膨大な労力がかかりますが、メリットは少ないのです。

間違いも出てくるでしょう。店先で「どうしてこれは税金が安くて、こっちは高いのか?」といったお客様からの問い合わせに、お店の人がかかりっきりになるのは明らかです。

お店や会社の余計な事務仕事、手間を増やすばかりです。本当に余計なお世話で、愚策といえます。

(8)処理のためにIT産業の仕事が増え景気が良くなるといわれますが、増税で国民が幸せになることはありません。

IT関連の人も食品の買い物をします。国民全員のお給料が増えるような景気回復の方が先です。

国民を豊かにしてから税金を「頂いて」欲しいものです。IT産業は政府国家のお世話にならなくても、料金などで自由競争を規制しない限りこれからも発展します。妙な肩入れは余計なお世話です。

(9)消費増税は所得の少ない層にとってダメージが大きい「逆進性」があります。エンゲル係数は所得の少ない層ほど高くなります。だからそれを軽減します!といっても、買い物は食品だけではありません。

マイナンバー制で所得の高い層からはしっかり税金を取りますから!というのでは、「税金地獄日本」という評判がたち、国家衰退のもととなります。

少子高齢化が緊急の課題なのに、出産もままなりません。自由な人生計画を奪い、国をつぶす増税は国民にとっては「大きな迷惑、余計なお世話」です。

まだまだ不信感や疑問は山ほどあります。

 ◆減税で経済と財政の立て直しを!

軽減税率は外国でも取り入れられていますが、理屈の合わない冗談かと思うほどの区別があります。

財政赤字は、政府とお役人の国家運営の失敗です。国民はもうすでに十分な税金を払っています。今年度の国民負担率(租税負担+社会保険負担率)の見通しは43.4%です。収入の約半分を国家に納めているのです。

2009年から幸福実現党は訴えています。「財政赤字は、健全な経済成長と好景気での自然な税収増加で解決できる。そのキーワードは『減税』。消費税を5%に戻し、ゆくゆくはゼロ%に。所得税・法人税は10%のフラットタックスにする」ことです。

いまの日本の抱える問題の多くは「減税」で解決します。お役人は「減税と10%のフラットタックス」はとても怖いらしいのですが、あのロシアが「フラットタックス」導入で経済と財政を立て直した事例をよい手本としたいものです


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安倍政権の法人税議論 なぜ増税論者が経済ブレーンなのか

2015-12-05 14:06:35 | 日記


安倍政権の法人税議論 なぜ増税論者が経済ブレーンなのか
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10471

安倍政権が、法人税減税の前倒しを検討している。

現在、32.11%である法人税の実効税率は、来年度に31.33%以下に下げることが決まっている。しかし安倍晋三首相は、この税率を早期に、20%台にまで引き下げると表明した。


◎増税論者の経済ブレーン

先の会議の議事要旨によれば、首相の経済ブレーンの一人である伊藤元重・東京大学大学院教授が、「16年度中に20%台に引き下げるような努力が必要だと思うし、そのための財源をどうするのかという議論に当然なると思う」と述べたという。

この発言を見て、「減税論者」が、安倍首相を支えていると思いきや、そうではない。

実は伊藤氏は「増税論者」として有名だ。同氏はかつて、社会保障の立て直し策として、このような案を出している。

「医療へのアクセスを制限したり、死亡消費税を導入して高齢者医療費に活用したりするというような手法は、国民の同意を得られるかどうか分からないが、実現したら医療の財政には大きな負担軽減効果をもたらす。

こうした多様な戦術を列挙し、それをどのような手順で出していくのか、そして国民の合意を獲得するのか考えることが、社会保障改革の戦略となるはずだ」(2013年4月24日付『日経MJ』)


◎「死亡消費税」の恐ろしさ

この中で言及された「死亡消費税」とは、すべての故人の財産に対し、課税するというもの。現在、導入されている相続税とは、一定の財産を残した一部の人たちだけが課税対象である点が異なる。言わば、死んでも税金を徴収するという政策だ。

実際、伊藤氏は、13年6月に首相官邸で開かれた『社会保障制度改革国民会議』の中で、この政策を提案している。

これほど社会主義色が強い政策を提唱する人物が、安倍首相の経済ブレーンであることから、安倍政権の本質がかいま見える。つまり、安倍政権は、新たな増税を持ち出してくる可能性があるのだ。

法人税の引き下げは、経済を活性化させるうえで重要な政策だ。しかし、その先に待ち受けているものが、2017年春の消費税10%への引き上げであり、新しい税金の導入であれば、日本経済の衰退は免れない。

安倍政権は、景気の回復を本当に考えている経済学者を経済ブレーンにすえるべきだ。そうすれば、増税する必要もないことが分かるだろう。(山本慧)

【関連記事】
2015年11月16日付本欄 「GDPマイナス成長」隠し? 都合のいい数字を"つくる"財務省
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10466

2015年11月5日付本欄 経済界が中国に「朝貢」 経団連の「行動憲章」に違反していないか
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10426

2015年11月3日付本欄 VW ポルシェやアウディにも不正ソフト搭載か ドイツ一国に依存するEU経済の危うさ
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10418


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食物アレルギーの娘――必要な栄養は親の愛だった

2015-12-05 13:06:42 | 日記

すべての体験を魂の栄養として受け入れる

生きているとつらい事や悲しいことは必ず体験しますが、しかし、これを心の栄養、教訓として受けとめると、人格の向上になります。

 

食物アレルギーの長女

http://voicee.jp/2015090111342

長女のMが生後半年の頃。それまでの母乳から、初めて粉ミルクを与えた直後のことです。

ミルクを吐き出し、私の腕の中で息も絶え絶えな愛娘の様子に、すぐさま病院に駆け込みました。

幸い大事には至らず、ほっと胸をなでおろした私は、医師の言葉に、さらにショックを受けることに――。

「娘さんは、食物アレルギーのようですね」

私達夫婦はアトピー性皮膚炎を患っていて、Mも生まれた時から肌の弱い子でした。でも、まさか食べ物にまでアレルギーが出るとは思ってもいませんでした。

しかも食物アレルギーを引き起こすと言われる、三大アレルゲン(卵・牛乳・大豆)のすべてに反応すると言うのです。

以来、我が家の食に対するスタンスはガラリと変わりました。ミルクをアレルギー疾患用に代え、離乳食の食材も成分表示を見て、慎重に選びます。それでも、一度大丈夫だった食材からもじんましんや湿疹が出てしまうことがあり、安心できません。

食事の30分前には、アレルギーを抑える薬を欠かさず飲ませなくてはなりません。食べ物に敏感なのか、偏食も多く「たった一口、二口のために、ここまでしないといけないの?」と思うほど手をかけても、吐き出してしまうことが度々あります。

主人は出張で家にいないことが多く、頼ることができませんでした。Mにとっては、口にするものすべてが命に関わるため、いつもプレッシャーが重くのしかかっていました。

食事をめぐり、毎日気の休まる時がないのです。先の見えない不安でいっぱいになりながら、一方で、他の子と同じように食べたり飲んだりするという、当たり前のことができないMが、かわいそうでなりませんでした。

アレルギーが治った後も偏食が続いた

Mが3歳になると、ようやく医師から「もういいですよ」と、食材の制約が取れました。

私は嬉しくてたまりませんでした。

ちょっと遅れたけど、これからMには、心身共に健康になって、人の役に立って欲しい!と思いました。

そんな期待に反し、食卓に初めて出す料理にMは手をつけようともしませんでした。食も細く、幼稚園の小さなお弁当も、いつも残してきます。

この頃は、生まれたばかりの妹のKの面倒をみながら、Mの食事にも気を遣い、正直、数倍手間も時間もかかりました。

「Mちゃん、残さないで食べなさい!」

食卓はいつも叱咤激励の場。

どんなに一生懸命時間をかけて食べやすいように工夫しても、食べてくれないMを見ていると、ただのワガママに思えてくるのです。

「お姉ちゃんなんだから、しっかりしてよ。もうアレルギーを気にしないで、何でも食べられるはずなのに、何で食べないのよ!」

「病気しないだけでもありがたいわよね」

Kが幼稚園に上がり、時間ができた私は、以前から信仰していた幸福の科学の支部に顔を出すようになりました。

ある日、幸福の科学の友人にMのことを話してみました。

「うちの子、食物アレルギーは大丈夫だと言われたのに、偏食で、いつも同じものしか食べないのよ」

「それは心配ね。Mちゃんは体が弱いの?」

「ううん。普通に元気かな」

「あら、それは良かったじゃない!元気だったら、少しくらい食べなくても、病気しないだけでもありがたいわよね」

ドキッとしました。とても大事なことを言われた気がしたのです。

食べないのはワガママだと思っていた

それからは、お祈りや買い物、食事の用意をしながらも、事あるごとにMのことを考えました。

「Mはもう何を食べても平気なはずなのに、どうして食べようとしないの?食べたことがない料理だからではなく何か他の理由があるの?」と考え続けていると、ある時、こんな光景を思い出しました。

いつものようにお弁当を残してきたことで注意をしたら、「ママは、Kちゃんばっかり!」と、目を真っ赤にして、部屋を飛び出していったMの姿でした。

この時、Mの「寂しい!」という気持ちが私の胸にダイレクトに伝わってきたのです。そういえばこれまでにも「もしかして、Mは寂しいのかな?」と思う瞬間がありました。

「お料理に手をつけなかったのも、Mなりのサインだったのかもしれない。やっぱり寂しかったんだ……」

食べないのはMのワガママだと思っていました。けれど、本当は愛して欲しいことを上手に表せなかったために、私に気持ちを向けて欲しいというサインとして、症状が出ていたのかもしれません。

そして、もう一つ気づいたことがありました。

私は、医師からOKが出たとたんに、遅れた分を取り戻そうと「あれも食べなさい」「これも食べなさい」と急かせていました。それが子どもへの愛だと思っていたのです。

私はアレルギー反応を出さない料理を用意することに必死で、Mがどう感じているのか、考えてもいませんでした。無理をさせてまで思い通りにしようとするのは、親のエゴでしかなかったのです。

「Mの中ではまだOKではなかったんだ。Mは、私が手間ひまかけて料理に気を遣うより、側にいて抱きしめて欲しかったんだ。もっともっと愛して欲しかったんだね……」

Mの気持ちが伝わってきて、申し訳ない気持ちがあふれてきました。

愛は栄養源

私は、Mにきちんと向き合い、愛していることをしっかり表現していこうと思いました。

「Mちゃん、すごいね。今日はいつもより多く食べたのね。がんばったね」

そう口に出して褒めてあげるようにすると、「ママ見て!」と嬉しそうに空のお皿を見せにきてくれるようになりました。

スキンシップを多くすると、Mの表情がハツラツとしてきて、短期間のうちに、みるみる変化が現れてきたのです。

それからは食欲も出てきて、1年生の1学期は給食を残すことも多かったMが、3学期にはほとんど全部食べられるようになったのです。

ある晩、主人が言いました。

「最近、Mの肌のカサカサ、なくなってきたんじゃないか?」

「あっ、本当だ。そういえば、この冬は全然皮膚科にお世話になっていなかったわ」

皮膚症状もどんどん良くなり、時々、唇が腫れることはありますが、激しい症状が現れることはなくなりました。

心をこめてMを愛そうと決意しただけなのにこの変化。親の影響力はすごいものだとつくづく感じます。

幸福の科学には「生きていくための大きな力。それを励ましとして、自分自身が内なるエネルギーをつくって前進していけるもの。それが愛ではないでしょうか。」という教えがあります。

Mを見ていると、「子どもは親の愛情をエネルギーとして生きているんだ」と本当に思います。

私は、時間をかけ食事に配慮することで、一生懸命に愛を与えていたつもりでしたが、子どもの気持ちを受け止め思いやってあげてこそ、本当の愛なのだとわかりました。

子どもたちには、深い関心と細やかさを忘れないで、これからも、心をこめてたっぷりと愛を与えていきたいと思います。


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母の介護を通してつかんだもの

2015-12-05 13:01:57 | 日記

http://voicee.jp/201310196973

 

「さぁ、好きなことしよう!」

今から十数年前、私が58歳の頃のことです。
当時、外資系企業の人事担当だった私は、オーストラリア人の上司に呼ばれました。

「悦子。私はあなたに定年までいてもらいたいが、もし高齢のお母さんが心配なら、早期退職を希望するかい?」

そのとき、私の母は95歳。
私と同じマンションの別棟に一人で暮らしていました。


実際は私にお弁当を作ってくれるほど元気でしたが、間もなく100歳になることを思えば、心配がない訳ではありません。

「はい! そうさせていただきます」

その場で、上司に即答しました。
母はまだ元気だから、気楽に自分の趣味や旅行も楽しめる。
私は退職後の楽しい生活を、あれこれと思い描いていました。


思いがけない、母のケガ

退職後は計画通り、歌や書などの趣味に勤しみ、旧友との交際を楽しんでいました。
外出先から戻ると母の家に顔を出し、夕飯を食べて自分の部屋に帰る。
そんなふうに、リタイヤ後の生活を満喫しながら、1年ほど経ったある日のことです。
いつものように母の家に寄ると、母が床にうずくまっていました。

「お母さん! どうしたの?」
「痛い痛い……」

椅子から落ちて転んでしまったようです。
急いで救急車を呼びました。


診察の結果は、背骨の圧迫骨折。
お医者様によると、入院しても治療ができるわけではなく、治るまで安静にしているしかないとのことでした。

「じゃあ私、家に連れて帰ります」

以前、父が病気になったときには、母と私で、自宅で父の介護をしました。
その経験から、母にも住み慣れた自分の家で療養させてあげたいと思ったのです。

「お母さん大丈夫? 安静にしていれば治るからね」
「そうね。今はものすごく痛いけど、きっと明日には良くなるわよ」

明るい性格の母は、激痛に耐えながら、気丈にもそう言っていました。
そのときは母も私も、骨折さえ治れば、元の生活に戻れると思っていたのです。


突然、始まった介護

最初の1週間、母は激しい痛みと闘っていました。
痛み止めの座薬を入れてあげたくても、足を上げることはおろか、体を横に向けることさえできません。


お互いに苦労して座薬を入れ、痛みが治まるのを待ってから、体をそっと傾けながら全身を拭き、新しい肌着に着替えさせます。

「悪いねー、こんなことしてもらって……」
「何言ってんのよ。子供なんだから当たり前じゃない」

母は介護されることに恐縮してか、体が痛いときは「痛い」と言いますが、それ以外の愚痴や泣きごとは一切言いません。

「お母さんは偉いわ。お母さんが少しでも快適に過ごせるように、私もがんばろう」

半月、1カ月と経つうちに、母の痛みは和らいでいきましたが、体を左右に傾けられるようになるには、2カ月以上かかりました。

母は小柄なうえに、病気で胃や子宮を摘出しており、体重は30キロそこそこ。
介護する側としては、楽だったと思います。


けれども、清拭(せいしき)やおむつ替えなど、一つひとつの動作が重労働であることに変わりありません。


介護認定を受け、週に一度、ヘルパーさんに来てもらうことになりました。


自分の時間がない

母が骨折した日から、私は身の回りの物を母の家に運び入れ、住み込みで介護にあたりました。


前日までの気ままな生活から一転して、24時間の介護生活が始まったのです。

朝はまず、リンゴをすります。
母を起こし、リンゴを食べてもらっている間に、朝食の準備。


そして、母と一緒に朝食を食べながら洗濯機を回して、食べ終わると食事の片付け、洗濯物干し。


介護中は洗濯物が多く出るので、干すのも取り入れるのも大仕事です。
それが済むと、母に10時のお茶を淹れて、昼食の支度。


昼食が終わると後片付けをして、買い物、掃除。
すぐに3時のおやつ……。


その間にも、トイレに連れていったり、蒸しタオルで体を拭いたり、床ずれ予防のシートを貼ったり。


あっという間に窓の外が暗くなり、慌てて夕食の支度に取りかかります。

その他にも、看護師さんに提出するために、薬を使った時間、症状の変化、食事やおやつの時間とメニューなど、細かく記録をつけていきます。


食べた物がきちんと排泄されているかどうかを確認するために、おむつを使ったときには重さを測って尿の量を計算し、便の状態も記録しなければいけません。

「どうしてこんなに時間がないんだろう?」

あるとき、朝から晩までにこなしている仕事を、ノートに書き出して見ました。


すると、本当に一日中仕事が途切れず、5分の隙間もなく働いていることがよく分かりました。

「介護って本当に大変だわ」

思わずため息がこぼれました。


なんで私ばっかり

そのうちに、姉に対する不満が湧いてきました。
姉の住まいは電車で数駅先です。


姉の夫は早くに亡くなり、子供たちは自立しているので、自由な時間はたくさんあるはず。


なのに、月に一度くらいしか顔を出しません。
かなり腹を立てていても、直接は何も言わず、心のなかに不満を溜め続けていました。


そんなとき、友達が気分転換にと、1泊旅行に誘ってくれました。
たった1泊、旅行に行ってリフレッシュすることは、私にも母にもいい事だと思いました。
そこで、思い切って姉に相談すると……。

「1泊旅行? 次の日は何時に帰るの?」
「そうね、夕方、3時には……」
「そんなに遅い時間?」

そっけない姉の返事。
姉への不満は募るばかりです。


そのうえ、母が熱を出したり、尿の量が少なかったり、便秘が続いたりすると、母の容体が心配で、眠ろうとしても眠れない日が続きました。
心労と、疲れと、寝不足。


その上、一人で介護の負担を背負っている重圧。
この生活、いつまで続くんだろう……そんな思いが心をよぎることもありました。

 

運命のダイレクトメール

介護が始まって2年が経った頃。
一通のダイレクトメールが届きました。

「何かしら? シニア・プラン21?」

それは、幸福の科学のシニア会員向けに開かれた、生涯反省を通して心の修行を行う教室の案内でした。


私は、そのかなり以前に、幸福の科学に入会していました。
けれども、当時は仕事と習い事で忙しく、幸福の科学の勉強も活動もしていなかったのです。


でも、その日届いたダイレクトメールの、「徹底的な生涯反省を通しての再生・新生」という言葉に、強く心を惹かれました。


思い切って母をヘルパーさんに頼み、説明会に行ってみました。
しかし残念なことに、基礎コースの曜日がヘルパーさんの都合と合わず、私はがっかりして帰ろうとしました。


するとそのとき、女性講師が私の肩をポンッと叩いて、こう言ってくれたのです。

「お母さんのためにも、受けなきゃだめよ!」

その言葉を聞いた途端、なぜか胸が熱くなって、涙があふれてきました。
帰宅して、母とヘルパーさんに事情を話すと、何と、ヘルパーさんが曜日を合わせてくれることになったのです。


不思議な力に導かれるように、私は毎週1回、学びと反省の機会を与えられることになりました。


自分の生い立ちを振り返る

シニア・プラン21では、大川隆法総裁先生が説かれる心の教え「仏法真理(ぶっぽうしんり)」を学びながら、自分の人生を年代ごとに区切って、家族や友人、職場での人間関係などを見つめ直す「生涯反省」を行います。


ガイダンスの後、講師のお話がありました。

「人間は両親を選び、自分の魂修行にふさわしい環境を選んで生まれてきます。しかし、成長の過程で周りの人々からたくさんの愛を与えられていることに気づかず、自分中心に考えて、人生に不満を抱いてしまうのです」

「え? 親を選んで生まれてくる?」

驚きました。


自分で親を選んで生まれてくるなんて。
私は中学生の頃、母に向かって「勝手に産んだくせに!」と言ってしまったことを思い出しました。


「では、親に与えられたことを中心に、0歳から6歳までを振り返ってください」

講師の誘導に従って目を閉じると、幼い頃の情景が、心の中に蘇ってきました。


家族の愛に包まれていた私

私が生まれたのは、戦争が始まった昭和16(1941)年です。


家族は、編集者だった父と、専業主婦の母、姉、兄、私の5人。
空襲や疎開、食料の配給など、大変な時代だったのに、あたたかく幸せな家族の思い出ばかりが浮かんできます。


父と母と、9つ上の姉、7つ上の兄にかわいがられて、素直にのんびりと過ごしていた幼い私。


鮮やかに蘇るさまざまな場面はどれも、家族みんなが、幼い私に辛い思いをさせないようにと心を配って、一生懸命に守ってくれていた様子が映し出されていました。


「特にお母さんは、末っ子の私をかわいがってくれた。でも私は、親不孝だった……」

涙が次から次へとあふれました。
帰宅して母の顔を見ると、私は今までの自分を謝らずにはいられませんでした。

「お母さん、ごめんなさい。私、今まで間違ってたわ……」
「あら、どうしたの?」

母にシニア・プラン21で学んだ仏法真理や、反省で気づいたことを伝えると、とても喜んでくれました。

「それはありがたい教えだねぇ」

ヘルパーさんも、「私にもまた教えてください。丸山さん親子はいいわね」と、週に1度の外出を応援してくれました。


姉との関係

次の週のシニア・プラン21で、7歳から12歳までの小学生時代を振り返りました。
目を閉じて真っ先に浮かんだことは、”布団(ふとん)”のことでした。

「そういえば私、小学生、中学生の頃、自分の布団を上げたことがなかったわ」
「そうだ。同じ部屋に寝ていたお姉さんが、毎日私の布団まで上げてくれてたんだ」

記憶をたどると、女学生だった姉が、私の布団を上げている姿が見えてきたのです。


すると次々と、姉が助けてくれたことや、姉の優しい人柄が浮かんできました。
姉は昔から、人の悪口や愚痴、不平不満を言わない、心のきれいな人だったことを思い出しました。


私は幼い頃から、姉に手を差し伸べてもらうのが当然だと思っていたから、姉が介護を手伝ってくれないことへの不満が、止まらなかったのです。


「お姉さんは、もう充分与えてくれた。お母さんの介護は、私がするべき仕事なんだ」

そう思えたとき、姉への不満はすっかり消えて、急に心が軽くなりました。

お母さんの気持ち

年代ごとの反省が一通り終わると、次は両親や職場の人など、個別の人間関係を反省していきます。


私は改めて、母との関係を深く見つめていきました。


思い返してみると、私は長年、母の愛情を「うっとうしい」と感じていました。
母に束縛されているような気がして、「一人になりたい」「せいせいしたい」と思っていたのです。

父と母の不仲にも、うんざりしていました。
父は仕事に一途な人で、部屋の雨漏りがひどくても、布団をずらして寝てしまうほど、家のことには無頓着。


そんな父に、母は毎日文句を言い、口喧嘩が絶えませんでした。
私は長ずるにつれて「こんな家、早く出たい」と思うようになりました。


大学卒業後、外資系企業に就職した私は、仕事とお稽古事で家を空けてばかり。
家事もあまり手伝いませんでした。
35歳でマンションを買い実家を出ると、自由気ままな生活を満喫していました。

そんな私に、母は毎晩電話をかけてきました。
そして、「今日、お父さんがああ言ったこう言った」と愚痴を言い、挙句の果てには「早く寝なさいよ!」と余計なことまで言って電話を切るのです。


また、私が留守の間に部屋に来て、手作りのお惣菜を置いていきました。
そして後から、「大きい肉の塊が冷凍庫にあったけど、あんなの体に悪い」などと、いちいち文句を言うのです。


「うるさいわねー。私の勝手じゃない」――内心、そう思っていました。

しかし、仏法真理の視点で見つめ直すと、まったく違う母の姿が見えてきたのです。


毎日、父に文句を言っていた母の姿を見つめていくと、「お父さんは仕事に熱中し過ぎて体を壊すんじゃないか。もっと休んでほしい」と心配している、母の本当の気持ちが伝わってきました。


私に毎晩電話をくれたり、お惣菜を運んでくれた母の姿を思い出すと、単に愚痴を聞かせようとか、娘を縛ろうと思っていたのではなく、自由奔放な私をただただ心配して、健康に幸せに暮らせるようにと願ってくれてのことだったと、初めて気づきました。

「全部、お母さんの愛情だったんだ。なのに私は、全部曲がって受け取っていた……」

父が病気になったとき、母は自宅で父を看病して、献身的に尽くしていました。

「私はこの歳まで、お母さんの本当の気持ちを考えたこともなかった。なんて自分勝手で、感謝のない人間だったんだろう……」

今までの自分が申し訳なくて、ブラウスがぐっしょり濡れるほど、泣けて泣けて仕方がありませんでした。


介護ができる喜び

シニア・プラン21で仏法真理を学び、朝晩お祈りする習慣ができてからは、天上界のあたたかい光を実感して、心身の疲れも早く回復できるようになりました。


そして母の介護をさせていただけることが、私にとって、大きな喜びになっていったのです。


母が眠っているときに、テレビや本で、介護食や介助方法について学びました。
一番心掛けていたことは、介護を受ける母の心の負担を軽くすることです。


そこで、手指の運動も兼ねて、モロヘイヤの筋取りやソラマメの皮剥きなど、簡単な手作業を担当してもらうことにしました。

「これやってくれると助かるのよねー。お母さん、ありがとう」
「こちらこそ。お安い御用よ」

母はにっこりとほほ笑んで、小さなお手伝いを楽しんでいるようでした。
また、少しでも気分転換になるように、お茶の時間はベッドで済まさずに、母を車椅子に乗せてお茶の間に移動させてあげました。


仕事は限りなくありましたが、母の好きな歌舞伎のテレビがあるときは、仕事の手を休めて、母と一緒に観るように心がけました。


母は以前にも増して、私や周りの方々に、感謝の気持ちを表すようになりました。


入浴サービスの方がお風呂に入れてくださるときは、「ありがたい、ありがたい」と、終始、合掌した手をほどかないのです。


ヘルパーさんたちの間でも、「Mさんみたいな人はいないね」と、評判になっていました。

しかし、身体機能の衰えには逆らえず、自然な排便が難しくなり、看護師さんに摘便をしてもらうことも度々ありました。

「そうだ、お母さん。歌でも歌いましょうか」

処置してもらう間は、母の気が紛れるようにと、一緒に文部省唱歌を歌いました。
母は2番3番までよく覚えていて、辛い処置の間も楽しそうに歌って、終わると看護師さんにお礼を言っていました。


母との絆

ある秋の夜、満月がとても美しく夜空を照らしていました。
私はその月をどうしても母に見せてあげたくて、ベッドを窓辺に持って行こうと四苦八苦していました。


すると、母が言いました。

「満月よりもね、私に月を見せてくれようとする、あなたの心の方がずっと美しいわ」

その言葉が、私の心に深く沁みわたっていきました。
私をこの世に生み出してから、一日も絶えることなく愛し続けてくれたお母さん。


人生の終わりが近づいている今もなお、ベッドに横たわりながら、こうして私に愛を与え続けようとしてくれている……。

「お母さん、私はあなたの子供に生まれて、本当に幸せです。お母さんは、世界一のお母さんよ」

私はこみあげる涙を抑えられずに、ぼろぼろと泣きながら、やせ細った母の手を、夜が更けるまでさすっていました。


ひとときの別れ

介護の期間が4年半を過ぎた、2006年6月25日。

「ああ、天井から床まできれいなお花でいっぱいねぇ」
「女の人がたくさん来てるわね」

そうつぶやいたあと、母は安らかに旅立っていきました。
101歳の大往生でした。

「遠慮しないで、泣いたらいいよ」

シニア・プラン21に通う友達に慰められて、思い切り泣きました。
母はあの世に行っただけで、いずれまた会えると分かっていても、母の姿が見えなくなってしまったことが、悲しくて悲しくて仕方がありませんでした。

「若い頃はお母さんから逃れたいと思っていたのに……。本当はずっと、お母さんの存在に支えられていたんだ」

今になって、母の気持ちが分かったことがあります。
母のお気に入りの布で、小さな枕を縫ってあげたときのこと。


母はその枕を抱いて、こう言ったのです。

「うれしい、うれしい。あの世に行ったらお母さんに見せてあげる」

そのときは、「こんなに年を取っても、母親に会いたいものなのかしら」と不思議に思いましたが、今は、自分の母親を慕っていた母の気持ちが、痛いほど分かります。

「お母さんが私を愛してくれたように、今度は私が、他の人を愛して支えられるようになろう。そして、いつも見守ってくださる仏に、感謝して生きていこう」

本当の幸せに気づいて

以前の私は、死ぬことを恐れていました。
でも、幸福の科学の信仰を持った今は、何の心配もありません。

「苦しみのなかに、実は人生の砥石があるのです。
悲しみのなかに、他者への愛が芽生えるきっかけがあるのです。


人生にはいろいろな事件がありますが、そこに仏の巧妙なる仕組みがあるということを、みなさんは知らねばなりません。」(書籍『幸福の原点』より)


私は、自分に介護の役割が与えられた意味が、はっきりと分かりました。


「お母さんの介護がなかったら、私はきっと自分勝手な人生を生きて、人に愛を与えるということも知らずに終わってしまった。介護のおかげで、本当の幸せは愛を与えることだと気づかせてもらったんだ!」


介護は、突然降りかかった不幸ではなく、そこには、深い深い仏の慈悲がありました。
お母さん、私も残りの人生を、悔いのないよう、がんばって生きていきます。
天国で会ったとき、ほめてもらえるように。

お母さん。
お母さん。
お母さんに会える日を、心から楽しみにしています。

 

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父への恐怖心をなくしたら、理想の相手と出会えた

2015-12-05 12:35:26 | 日記

http://voicee.jp/201404309419

父への嫌悪感や恐怖心

結婚したいと思いつつも、内心では結婚に対してあまり夢を持っておらず、どこか消極的な思いがあった私。

それは、父に愛されてこなかったという思いがあり、嫌悪感や恐怖心を持っていたからです。

しかし、幸福の科学のお祈りや教学といった信仰生活を続けるうちに、「この恐怖心がなくなれば相手が現れる」というインスピレーションをいただきました。

そこで、この恐怖心から自由になるべく、研修や思慧を重ねていきました。すると、家族に厳しかった父が、実は私に優しくしてくれていたことや、愛してくれていた姿が見えてきたのです。

すでに故人となった父への感謝が湧いてきて、「結婚するなら父のような優しい人がいいな」と思えるようになりました。

初めてのデートでプロポーズ!

その数日後、入会していた幸福の科学の結婚相談所から、ある男性を紹介していただくことになりました。

あまり期待していなかったにも関わらず、1回目の電話から意気投合し、すぐに会う約束をしました。

彼の自然な優しさに、私は話をするたびに惹かれていき、「この人が結婚相手だったらいいな」と思うようになりました。

結果的に、なんと1回目のデートでプロポーズをしていただき、心から嬉しかったです。

気づいてみれば、彼は、ずっと前からなんとなく思っていた「10歳年上で尊敬できて優しく、どこかかわいい人」という私の理想にぴったりの人でした。

これからふたりで歩んでいける喜びと、独りではない安心感から、これまでのいろんな事が全部、黄金の経験に変わったような気がします。

これからは、ふたりで、お返しの人生を歩んでいけるようになりたいです。


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ロシアが北方領土で軍備増強 軋む「辺境」支配、経済圧迫は確実

2015-12-05 12:09:05 | 日記

産経新聞

【モスクワ=遠藤良介】ロシアのプーチン政権が択捉、国後両島での軍事施設建設を加速させるなど、北方領土の実効支配を内外に誇示している。

背景には、広大な「領土」や「外敵」の存在を強調する以外に、国民の結束や政権への支持が得られなくなっている実情がある。

昨年3月に併合を宣言したウクライナ南部クリミア半島と並び、「辺境」を維持するための支出が経済をいっそう疲弊させることは確実だ。

 ショイグ露国防相は1日の軍幹部との会合で、択捉、国後両島の新駐屯地には計392の軍関連施設が計画されており、冬季も休みなく工事を進めると語った。

ロシアは2020年までの長期的な軍備刷新計画を進めており、北方領土やクリミア、北極圏に重点が置かれている。

 露政府が7月に承認した「クリール諸島(千島列島と北方領土)発展計画」は、16〜25年に700億ルーブル(約1287億円)を投じてインフラ整備を進めることを明記。

政府は、極東への移住促進策として土地を国民に無償分与する法案を策定し、北方領土にも適用する方針だ。

 プーチン大統領の支持率はクリミア併合後に8割、シリアでの空爆開始後は9割近くとなった。

欧米やウクライナ、トルコといった「敵」に対して団結を呼びかける、強力なプロパガンダ(政治宣伝)によるところが大きい。経済低迷が深刻化するにもかかわらず、来年の軍事費は国家支出の2割を占める見通しだ。


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米の銃乱射「テロ事件として捜査」 海外組織に触発か

2015-12-05 11:01:02 | 日記

朝日新聞デジタル

 米カリフォルニア州サンバーナディノで14人が殺害され、21人が負傷した銃乱射事件で、米連邦捜査局(FBI)は4日、「テロ事件として捜査している」と表明した。

2日の発生以来、米当局がテロ事件と明確に位置づけたのは初めて。米国内で起きた大規模なテロ事件としては、3人が死亡した2013年のボストン・マラソンでの爆弾テロ事件以来となる。

 FBIのコミー長官もリンチ司法長官と記者会見し、警察との銃撃戦で死亡した2人の容疑者について「過激になり、海外のテロ組織に触発された可能性がある」と述べた。

具体的な組織の名前は挙げなかったが、過激派組織「イスラム国」(IS)との関連などを調べているとみられる。ただ、2人が大きな組織の一員である形跡はないという。

 また、事件前にはFBIが2人を把握していた記録はないという。コミー氏は、米社会に対して過剰に不安にならないよう呼びかけた。

朝日新聞社


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アジアで「イスラム国」テロ懸念 シンガポール専門家が指摘「クリスマス標的」

2015-12-05 10:41:20 | 日記

産経新聞 欧州や北アフリカで相次ぐ「イスラム国」のテロ。テロ問題研究の権威で「政治的暴力・テロリズム研究国際センター」(ICPVTR、シンガポール)のロハン・グナラトナ所長が産経新聞の取材に応じ、アジアの戦闘員が中東から母国に帰還して活動を活発化する恐れがあるとし、アジアでのテロ発生に懸念を示した。

宣伝効果が高いクリスマスの期間を狙ったテロ計画の危険性も指摘した。(シンガポール 吉村英輝)

 グナラトナ所長は、イスラム国が先週、世界の支持者にイラクやシリアでの戦闘支援から方針を転換するよう伝達し、自らの国で、クリスマス期間中に攻撃や暴力行為を遂行するよう命令したとの情報があると語った。

 アジアでは、イスラム国の無差別テロ拡散を示唆する動きが続いている。

 タイ・バンコク中心部で8月、約160人が死傷した爆弾テロでは、中国新疆ウイグル自治区出身の男らが起訴された。

所長は、800人以上のウイグル族がトルコの偽造旅券などを使い、タイなどを経由地としてイラクやシリアに渡って戦闘に参加しているとし、イスラム国の「北東アジアルート」の存在を指摘。爆弾の製造技術はシリアの戦闘で開発されたと説明した上で、戦闘員の一部は中国に戻り始めており、「中国で大規模テロが発生する危険がある」と話した。

 また、フィリピンのミンダナオ島で先月26日、国軍との交戦で殺害された武装集団側のインドネシア人について、「爆発物製造のエキスパートで、イスラム国に忠誠を誓うインドネシアのイスラム過激派『東インドネシアのムジャヒディン(MIT)』の構成員だった」と指摘。

フィリピン南部のイスラム過激派アブサヤフの一派とマレーシアの過激派が組み、MITなどの支援で東南アジアのイスラム国勢力の統合を進めていると分析した。

 インドネシアの中部スラウェシ州では昨年9月、ウイグル族4人が逮捕されたが、4人は同州ポソを拠点とするMITで軍事訓練を受ける目的だったことが判明。

所長は北東アジアと東南アジアのイスラム国支持勢力が連携しているとの見方を示し、関係国によるテロ対策連携の重要性が増していると訴えた。また、米国主導の有志連合を支持する日本もイスラム国の「テロの標的だ」と警告した。


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大川隆法・本日の格言 心の主となる 

2015-12-05 10:41:12 | 日記

すべては心より生じ、幸福も不幸も心より生まれてきます。

「心に支配されることなく、心を支配せよ。

心を主とすることなく、心の主となるべし」、

これが大事なのです。どうか、「敵は自分の内にあり」という言葉を、

常に肝に銘じておいていただきたいと思います。

『大悟の法』P.71

※幸福の科学出版
http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=142&utm_source=wordsJpn&utm_medium=email

※Amazon
http://amazon.co.jp/o/ASIN/4876883610/hsmail-22/


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IS掃討時間の問題か 同時多発テロは悪あがき 追いつめるクルド人部隊

2015-12-05 10:33:39 | 日記

 欧米各国による過激派組織「イスラム国」(IS)の掃討作戦が本格化している。シリア沖に原子力空母「シャルル・ドゴール」を展開するフランスやロシアが空爆の規模を拡大させるなか、地上ではクルド人部隊が各地の戦闘でISを追い詰めている。

今年1月にはシリア北部の要衝アインアラブ(クルド名・コバニ)を奪還し、ISが「首都」とする北部ラッカへの進軍も始めた。

専門家は「パリで起きた同時多発テロは追い詰められたISの悪あがきの一面もある」とみている。

 「ISはクルド人武装勢力との戦いで、敗走を続けている。やつらが劣勢に立たされているのは間違いない」

 中東情勢に詳しい公安関係者はこう語る。

 特定の国家を持たない民族であるクルド人は、トルコやシリア、イラクなど中東各地に定住する。

なかでもISの勢力圏が広がるシリア、イラクのクルド人は、ISの戦闘員に居住区が襲撃されるなど、脅威にさらされてきた。

そして、その凶暴なテロ集団との戦いの最前線に立ってきたのもクルド人だ。

 「シリアでISと戦っているクルド勢力は、人民防衛部隊(YPG)とその女性部隊であるYPJで、仲間の兄弟もYPGの兵士としてISと戦い、亡くなった」

 数年前に難民として訪日したトルコ系クルド人の男性はこう明かす。

 YPG、YPJはシリア最大のクルド人政党、民主連合党(PYD)傘下の民兵部隊だ

昨年7月には、クルド人が住民の大多数を占め、PYDが事実上の自治区を形成していたシリア北部アインアラブの攻防をめぐり、ISと激戦を繰り広げた。

ISの攻勢によって、トルコ国境に近いこの要衝は一時、陥落寸前に追い込まれたものの、今年1月に有志国連合の空爆支援を受けて形勢は逆転。

ISを撃退させ、重要拠点の奪還に成功したという。

 PYDの一員で、戦闘に参加する前線から日々の戦況を伝え聞く先のクルド人は、こう語る。

 「YPGとYPJは最後の最後まであきらめずに戦い、ISに勝利した。他の戦場でも勝利を重ね、やつらが『首都』と称する(シリア北部)ラッカに進軍している」

 先の公安関係者によると、ISとの戦いには、イラク北部のクルド人自治政府傘下にある軍事組織ペシュメルガも参戦。

「死に向かう者」の異名を持つこの組織は、約22万人の兵力を抱え、その中にはYPJのような女性部隊も含まれる。有志国連合を主導する米国などから軍事支援を受けて各地で攻勢を強めているという.

中東情勢に詳しい軍事ジャーナリストの世良光弘氏は「ペシュメルガは10月、最重要拠点のラッカとトルコ国境近くのシリア北部アレッポを結ぶ補給地点を制圧した。

ISは補給路を断たれて兵糧攻めに遭っているような状況だ」と指摘する。

 「年明け早々にはラッカが陥落する可能性もあり、ISは瀬戸際まで追い詰められている。

遠く離れたパリでテロを起こしたのも、戦局を打開するための悪あがきだった側面もある。今後、米軍がトルコやヨルダンで軍事訓練をしているアラブ系の武装勢力も戦闘に投入される見込みで、ISはますます劣勢に立たされるだろう」(世良氏)

 有志国連合は本格化させた空爆によって、シリア領内のIS支配地域で司令施設のほか、資金源とする石油施設を次々と破壊している。空と陸から迫りくる波状攻撃で狂信者たちの命運もいよいよ尽きようとしている。


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