http://voicee.jp/2015030610824
心配が募っていく……
「自分の意見を言えるようになろう」
小学4年生の娘のMがもらってきた通知表を見て、私はがっかりしました。2年生ごろから、毎回のように同じことを書かれていたのです。
娘の趣味は読書。本を読んでばかりいる姿を見るとますます内向的になってしまわないかと心配になります。自分の子供の頃を振り返ると、もっと外で遊んだり、運動したりしたものでした。
ついきつい口調で言ってしまいます。
「M、もっと外で遊んだら?」
「はーい」
素直に返事はするものの、何事もなかったかのように読書に戻るM。
私は「この先、本当にこのままで大丈夫かな……」と不安になるのです。
Mのほかにも2人子供がいますが、私は子供たちのことで何か気になると、すぐ心配になり、悲観的な未来を想像していました。「そんなの考えすぎだって」と支部のママ友に言われるほどで、心配のあまり、イライラして子どもを怒鳴ったり、口出ししたりすることもこともよくありました。
育ての母親と私の関係
私のこの性格は、育ての母の影響かもしれないと、うすうす感じていました。
実の母は、私を産んですぐ亡くなったので、親戚である養母が私を赤ん坊のときから育ててくれました。その養母も、かなり心配性の人でした。
そんな養母に、10代の頃の私はよく思っていなかったはずなのに、今、同じ事をしていました。「この性格を何とか変えたい」と思いながらも、日々の生活に追われ、何もできないでいたのです。
その年の10月、私は大分県にある湯布院正心館に泊まりがけで行くことになりました。
主人が家で子どもたちを見てくれるおかげで、私は子どものことを心配せずに、久々に自分をじっくり見つめることができそうな予感がしていました。
そして、大川隆法総裁の法話「子どもたちの試練と自立について」を聴きました。それは、総裁自身の経験をふまえた、家庭における人生修行についてのお話でした。
法話を聴き終えた私は、以前から気になっていた養母との関係についてゆっくり振り返ってみました。
養母は、同居する家族との折り合いがよくなかったためか、よく「あなただけが生きがいよ」と私に言い、なにかと干渉してきました。私はそんな養母をうっとうしく感じながらも、何も言えませんでした。
進路についても、家が薬局を営んでいたため、私は養母に期待されるままに、薬剤師を目指すようになりました。本当は理数系は苦手で、逃げ出したい気持ちだったのに──。
親の言うとおりにしなければ危ないという思いこみ
改めて思い返すと、当時の私は、養母の実の子ではないという負い目から、「いい子でいないと、この家にいられなくなる」という不安につき動かされていたのではないかと気づきました。
本心を押し殺して、養母の思う「あるべき姿」に、無理やり合わせようとし続けてきた私は、「親の言うとおりにしないと、何か悪いことが起きる」という思いこみを今も持ち続けていました。
それが子育てにも表れ、子どもに悪いことが起きないように、「こうでないといけない」と考えがちになっていたのです。そのため、Mの個性を無視して枠にはめようとしてしまい、枠から外れると不安になるのでした。
しかし、仏法真理には、「一人ひとりに仏性があり、その輝き方はそれぞれ違う」という教えがあります。私は、娘の個性を尊重していなかった自分に気づいて、この日から考えを改める決意をしました。
養母の立場になって考えることができた
それから、養母のことも考えてみました。
子どもの頃、琉球舞踊の稽古に、養母が毎週ついてきてくれていたこと、発表会の時も私のお化粧を一生懸命してくれて、舞台裏で見守ってくれたこと、それに私が出産した時、「Cが子を産んだ」と喜んで、足が悪いのにタクシーで1人で病院まで駆けつけてくれたこと――。
そうしたことが次々と思い出され、養母なりに私を精一杯愛してくれていたんだとわかりました。
すると、養母へのわだかまりがすっととけてゆき、感謝の気持ちが湧いてきたのです。
「子育てしたことのないお養母さんが、私を引き取ったんだもの。手探りで、不安だっただろうに、よくやってくれたな。ありがたいなあ……」
以前は他の人より大変だと思っていた自分の家庭環境が、それほどでもないものに見えてき、過剰に思われた養母の心配も私をいとおしく思っていたがゆえだったと認めることができました。
そして「まったく問題のない家庭などない」という教えが思い出されました。そして育った家庭の影響から脱していく道を教えてくださったのだから、私も仏法真理を学んで努力すれば、きっと変われるはずだと、前向きな気持ちがわき上がってきたのです。
「今の、幼子のような屈託のない心を忘れないでいたいなあ。これからは、もっと子どもたちの明るい未来を信じていこう。そして、大きな愛で包み込めるような母親になっていこう──」
すっかり穏やかになった心で、私は決意しました。
おとなしい娘が学芸会の主役に
早速私は、子どもを心配するクセを変える努力を始めました。
それから毎日、子どもたちが学校へ行った後、「子どもたちがそれぞれ持っている素晴らしさを発揮できますように」と御本尊の前でお祈りをしました。
すると徐々に3人の子どもたちが、笑顔で生き生きしている様子を、はっきりとイメージできるようになっていきました。
子どもについて悲観的なことを考える事はかなり減りました。ときどき不安がよぎって、つい「無理だ」「だめだ」と否定的な言葉が出そうになることもありましたが、そんなときは、ぐっとこらえるようにしました。
そして、穏やかな心をとり戻す努力を続けました。
3カ月ほど経ったある日のこと。学校から帰ってきたMが、淡々と私に言いました。
「今度の学芸会で『青い鳥』をやるんだ。チルチルとミチルの『ミチル』役に決まったよ」
驚きました。つい「えー、うそー! おとなしいMが主役? 本当にできるの?」と言いそうになったところで、言葉をのみ込みました。
「そうなの。立候補したの?」
「ううん、推薦された。みんなが『Mはミチルに似てる』って」
「へえー。よかったねー」
夜になって、私は主人と話しました。
「担任の先生も応援してくれているし、まあ、大丈夫だろう。家でも応援してやろうよ。」
私も話を聞いた時は動揺しましたが、ここが正念場だと思い、Mの力を信じようと、自分に言い聞かせました。
「あなたはやれば何でもできる」
それから本番までの1カ月間、私はMの成功を信じ、祈り続けました。
Mが劇のセリフの練習を始めると、私もなるべく家事の手を止めて聞くようにしました。
「うまくなったねえ。よかったよ!」
心からほめると、Mは照れながらも、いっそう練習に励みます。
そして、ついに本番――。私は、堂々と主役を務めるMの姿に、胸が熱くなりました。内向的だとばかり思っていたけれど、こんなに前向きで強い子だったとわかり、本当に嬉しかったのです。
1カ月後の学期末、Mの通知表には、先生から次の言葉が添えられていました。
「学芸会で新しい自分を発見したと思います。あなたはやれば何でもできるのですから、色々なことにチャレンジしてください」
そうほめられても、マイペースで飄々(ひょうひょう)としているMですが、私はそんな娘のありのままの姿を受け入れられるようになりました。
子どもを愛するということは、心配することではなく、子どもの可能性を信じて、その成長を支援していくことなのだと、今、実感しています。
これからも仏法真理を学びながら、心の平静を保ち、子どもの個性の輝きを見出す努力を続けて、愛あふれる子育てをしていこうと思います。