蜻蛉日記 下巻(196) 2017.6.7
「あくれば五日のあか月に、せうとなる人ほかより来て、『いづら、今日の菖蒲は、などか遅うはつかうまつる。夜しつるこそよけれ』などいふにおどろきて、菖蒲葺くなれば、みな人も起きて格子はなちなどすれば、『しばし格子はなまゐりそ。たゆくかまへてせん。御覧ぜんもとてなりけり』など言へど、みな起きはてぬれば、事おこなひて葺かす。昨日の雲かへす風うち吹きたれば、あやめの香、はやうかかえていとをかし。」
◆◆夜が明けると五月五日、その夜が明ける前に、兄弟(ここでは弟)にあたる人が来て、「どうしたのだ、今日の菖蒲は、なぜまだ葺いてあげないのだ。夜のうちにしておくのが良いのだ。」などと言って、菖蒲を葺いているような物音がするので、侍女たちも起きて、格子を上げたりなどすると、「しばらく格子は上げないでおきなさい。ゆっくり工夫して葺きましょう。ご覧になるのにもそのほうがよいと思われますから」などというけれども、みな起きてしまったので、決まりごとに従った葺かせました。昨日の雲を吹き返す風が吹いているので、あやめの香りがすぐに部屋に漂ってきて、風情があります。◆◆
「簀子に助と二人ゐて天下の木草を取り集めて、『めづらかなる薬玉せん』など言ひて、そそくりゐたるほどに、このごろはめづらしげなう、ほととぎすの群鳥くそふくにおりゐた
るなど、言ひののしる声なれど、空をうちかけて二声三声聞こえたるは、身にしみてをかしうおぼえたれば、「山ほととぎす今日とてや」などいはぬ人なうぞ、うち遊ぶめる。」
◆◆私は助と一緒に簀子に座って、ありとあらゆる木や草を取り集めて、「ちょっと変わった薬玉を作りましょう」などと言って、せっせと手を動かしているときに、この頃では別に珍しくはいけれど、ほととぎすが群れをなして厠の屋根にとまっているよ、などと人々ががやがや言っているけれど、それでも空を飛びながら二声三声聞こえてきたのは、やはり身に染みておもしろく感じていると、「山ほととぎす今日とてや…」などという歌を、だれもかれもが口にして楽しんでいるようでした。◆◆
「すこし日たけて、頭の君『手つがひにものしたまはば、もろともに』とあり。『さぶらはん』と言ひつるを、しきりに『遅し』など言ひて人来れば、ものしぬ。」
◆◆少し日が高くなってきて、右馬頭が「手番の見物に出かけるなら、ご一緒に」と言ってきました。助が「ご一緒いたします」と言っているのに、しきりに「早く」「遅い」などと人が言って来るので、助は出かけて行きました。◆◆
■せうとなる人=かつて作者と同居していた弟、長能。
■くそふくに=厠の意という。ほととぎすが群れるのは怪異とされた。
■「山ほととぎす今日とてや」=古今集「あしひきの山よととぎす今日とてやあやめの草のねにたててなく」
■手番(てつがひ)=騎射(うまゆみ)、射礼(じゃらい)、賭弓(のりゆみ)の式日の前にする練習。ここは五月五日のの左近馬場の見物であろう。
【解説】 蜻蛉日記 下巻 上村悦子著より
王朝貴族がほととぎすの声を愛聴したことは我々現代人の想像できないくらいである。(中略)他に心をとらえる娯楽や趣味も少なかった時代であったことにも原因があろうし、当時の恋愛や結婚風習によって寝ざめがちな人たちが多かったことにもよるであろう。
「あくれば五日のあか月に、せうとなる人ほかより来て、『いづら、今日の菖蒲は、などか遅うはつかうまつる。夜しつるこそよけれ』などいふにおどろきて、菖蒲葺くなれば、みな人も起きて格子はなちなどすれば、『しばし格子はなまゐりそ。たゆくかまへてせん。御覧ぜんもとてなりけり』など言へど、みな起きはてぬれば、事おこなひて葺かす。昨日の雲かへす風うち吹きたれば、あやめの香、はやうかかえていとをかし。」
◆◆夜が明けると五月五日、その夜が明ける前に、兄弟(ここでは弟)にあたる人が来て、「どうしたのだ、今日の菖蒲は、なぜまだ葺いてあげないのだ。夜のうちにしておくのが良いのだ。」などと言って、菖蒲を葺いているような物音がするので、侍女たちも起きて、格子を上げたりなどすると、「しばらく格子は上げないでおきなさい。ゆっくり工夫して葺きましょう。ご覧になるのにもそのほうがよいと思われますから」などというけれども、みな起きてしまったので、決まりごとに従った葺かせました。昨日の雲を吹き返す風が吹いているので、あやめの香りがすぐに部屋に漂ってきて、風情があります。◆◆
「簀子に助と二人ゐて天下の木草を取り集めて、『めづらかなる薬玉せん』など言ひて、そそくりゐたるほどに、このごろはめづらしげなう、ほととぎすの群鳥くそふくにおりゐた
るなど、言ひののしる声なれど、空をうちかけて二声三声聞こえたるは、身にしみてをかしうおぼえたれば、「山ほととぎす今日とてや」などいはぬ人なうぞ、うち遊ぶめる。」
◆◆私は助と一緒に簀子に座って、ありとあらゆる木や草を取り集めて、「ちょっと変わった薬玉を作りましょう」などと言って、せっせと手を動かしているときに、この頃では別に珍しくはいけれど、ほととぎすが群れをなして厠の屋根にとまっているよ、などと人々ががやがや言っているけれど、それでも空を飛びながら二声三声聞こえてきたのは、やはり身に染みておもしろく感じていると、「山ほととぎす今日とてや…」などという歌を、だれもかれもが口にして楽しんでいるようでした。◆◆
「すこし日たけて、頭の君『手つがひにものしたまはば、もろともに』とあり。『さぶらはん』と言ひつるを、しきりに『遅し』など言ひて人来れば、ものしぬ。」
◆◆少し日が高くなってきて、右馬頭が「手番の見物に出かけるなら、ご一緒に」と言ってきました。助が「ご一緒いたします」と言っているのに、しきりに「早く」「遅い」などと人が言って来るので、助は出かけて行きました。◆◆
■せうとなる人=かつて作者と同居していた弟、長能。
■くそふくに=厠の意という。ほととぎすが群れるのは怪異とされた。
■「山ほととぎす今日とてや」=古今集「あしひきの山よととぎす今日とてやあやめの草のねにたててなく」
■手番(てつがひ)=騎射(うまゆみ)、射礼(じゃらい)、賭弓(のりゆみ)の式日の前にする練習。ここは五月五日のの左近馬場の見物であろう。
【解説】 蜻蛉日記 下巻 上村悦子著より
王朝貴族がほととぎすの声を愛聴したことは我々現代人の想像できないくらいである。(中略)他に心をとらえる娯楽や趣味も少なかった時代であったことにも原因があろうし、当時の恋愛や結婚風習によって寝ざめがちな人たちが多かったことにもよるであろう。