蜻蛉日記 上巻 (65)の4 2015.9.3
「それより立ちて、行きもて行けば、なでふことなき道も、山深き心地すればいとあはれに、水の声も例に似ず霧は道まで立ちわたり、木の葉はいろいろに見えたり。水は石がちなる中より湧きかへりゆく。夕日の射したるさまなどを見るに、涙もとどまらず。道はことにをかしくもあらざりつ。もみぢもまだし、花もみな失せにたり、枯れたる薄ばかりぞ見えつる。」
◆◆そこから出立してどんどん進んで行きますと、何ほどという道でも、山深い感じがするので趣ぶかく、水の流れる音も身に沁みて、木の葉は色とりどりに色づいて見えています。水は石の多い初瀬川の川床から湧き出すように流れていきます。夕日が射しこんできる光景などを見ていますと、自然と涙が流れてとまらない。道中(川ではなく)は、格別景色も優れていませんでしたし、紅葉もしておらず、花という花もすっかり散ってしまっていて、枯れた薄ばかりが見えたのでした。◆◆
「ここはいと心ことに見ゆれば、簾まきあげて、下簾おしはさみて見れば、着なやしたる物の色も、あらぬやうに見ゆ。うすいろなる薄物の裳を引きかくれば、腰などちりひて、焦がれたる朽葉に合いたる心地も、いとをかしうおぼゆ。」
◆◆ここは(長谷寺)は、これまでの景色とは格別に違って趣があるので、簾をを巻き上げて、簾の内側に垂らした二枚の絹布の帷子(かたびら)を横に挟み込んで眺めてみると、道中着通しで萎えてしまった着物が夕日に映えて、別物のように美しく見えます。うすむらさき色の薄い絹布の裳を付けると、その裳の引き腰などが交差して、焦げ朽葉色の着物と調和した感じなのも、とても興味深く感じられます。◆◆
「乞児どもの坏、鍋など据ゑてをるもいとかなし。下衆近なる心地して、入り劣りしてぞおぼゆる。ねぶりもせられず、いそがしからねば、つくづくと聞けば、目も見えぬ者のいみじげにしもあらぬが、思ひけることどもを、人や聞くらんとも思はずののしり申すを聞くもあはれにて、ただ涙のみぞこぼるる。」
◆◆(長谷寺の門前には)乞食どもが食器や鍋などを地面に置いて座っているのも、いかにもあわれではあります。が、私は卑しい者の中に入ったような心持になって、境内に入ってからかえって、清浄、厳粛な気分がそこなわれて、がっかりしてしまいました。御堂に参籠してしる間は眠ることもできず、そうかといって忙しいお勤めでもないので、ぼんやりと聞いていると、盲人で、それほどみじめでもなさそうな者が、心に思っている願いのことを、周りで人が聞いているかも知れないのに、大声でお願い申し上げているのを聞くにつけ、しみじみと心を打たれ、私は思わず涙ばかりがこぼれるのでした。◆◆
*写真:「例の杉」初瀬川古川の辺に二本(ふたもと)ある杉。「年を経てまたも逢ひ見む二本ある杉」古今集。
「それより立ちて、行きもて行けば、なでふことなき道も、山深き心地すればいとあはれに、水の声も例に似ず霧は道まで立ちわたり、木の葉はいろいろに見えたり。水は石がちなる中より湧きかへりゆく。夕日の射したるさまなどを見るに、涙もとどまらず。道はことにをかしくもあらざりつ。もみぢもまだし、花もみな失せにたり、枯れたる薄ばかりぞ見えつる。」
◆◆そこから出立してどんどん進んで行きますと、何ほどという道でも、山深い感じがするので趣ぶかく、水の流れる音も身に沁みて、木の葉は色とりどりに色づいて見えています。水は石の多い初瀬川の川床から湧き出すように流れていきます。夕日が射しこんできる光景などを見ていますと、自然と涙が流れてとまらない。道中(川ではなく)は、格別景色も優れていませんでしたし、紅葉もしておらず、花という花もすっかり散ってしまっていて、枯れた薄ばかりが見えたのでした。◆◆
「ここはいと心ことに見ゆれば、簾まきあげて、下簾おしはさみて見れば、着なやしたる物の色も、あらぬやうに見ゆ。うすいろなる薄物の裳を引きかくれば、腰などちりひて、焦がれたる朽葉に合いたる心地も、いとをかしうおぼゆ。」
◆◆ここは(長谷寺)は、これまでの景色とは格別に違って趣があるので、簾をを巻き上げて、簾の内側に垂らした二枚の絹布の帷子(かたびら)を横に挟み込んで眺めてみると、道中着通しで萎えてしまった着物が夕日に映えて、別物のように美しく見えます。うすむらさき色の薄い絹布の裳を付けると、その裳の引き腰などが交差して、焦げ朽葉色の着物と調和した感じなのも、とても興味深く感じられます。◆◆
「乞児どもの坏、鍋など据ゑてをるもいとかなし。下衆近なる心地して、入り劣りしてぞおぼゆる。ねぶりもせられず、いそがしからねば、つくづくと聞けば、目も見えぬ者のいみじげにしもあらぬが、思ひけることどもを、人や聞くらんとも思はずののしり申すを聞くもあはれにて、ただ涙のみぞこぼるる。」
◆◆(長谷寺の門前には)乞食どもが食器や鍋などを地面に置いて座っているのも、いかにもあわれではあります。が、私は卑しい者の中に入ったような心持になって、境内に入ってからかえって、清浄、厳粛な気分がそこなわれて、がっかりしてしまいました。御堂に参籠してしる間は眠ることもできず、そうかといって忙しいお勤めでもないので、ぼんやりと聞いていると、盲人で、それほどみじめでもなさそうな者が、心に思っている願いのことを、周りで人が聞いているかも知れないのに、大声でお願い申し上げているのを聞くにつけ、しみじみと心を打たれ、私は思わず涙ばかりがこぼれるのでした。◆◆
*写真:「例の杉」初瀬川古川の辺に二本(ふたもと)ある杉。「年を経てまたも逢ひ見む二本ある杉」古今集。