永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(147)その2

2016年10月11日 | Weblog
蜻蛉日記  下巻 (147)その2  2016.10.11

「『さていかがありけん、
<関こえて旅寝なりつる草まくらかりそめにはたおもほえぬかな>
とか言ひやり給ふめりし、なほもありしかば、返り、ことごとしうもあらざりき。
<おぼつかな我にもあらぬ草まくらまだこそしらねかかる旅寝は>
とぞありしを、【旅重なりたるぞあやしき。】などもろともに』とて笑ひてき。のちのちしるきこともなくてやありけん、いかなる返りごとにか、かくあめりき。
<置き添ふる露によなよな濡れこしはおもひのなかにかわく袖かは>
などあめりしほどに、ましてはかなうなり果てにしを、」

◆◆「さて、どういう具合だったのかしら、
(兼家の歌)「逢坂の関を越えて旅寝をするように、やっとあなたと契りを結んだが、草枕でかりそめの野宿をするような、一時的な契りとは決して思っていないよ」
とか、言っておやりになったようでしたが、ごく普通のうたでしたから、返歌も大したものではありませんでした。
(女の歌)「わけも分らずにあなたと枕をともにしてどうなることでしょう。こんな旅寝はまだ今まで経験したことがないことです」
と言って寄こしたのを、「あちらまでが旅寝とは。旅が重なったのはおかしいね」などと言って二人で笑ってしまったのでした。その後はどんなことになったのか、あの人への返事だったのかしら、こんな歌がきたようでした。
(女の歌)「お出でがないので、涙ばかりでなく露までが置いて夜毎に濡れてきた私の袖は、思いの火の中でも乾くことがありません」
などと便りを寄こしたようでしたが、そのうち、以前にも増してはかない間柄になってしまったようでしたが、◆◆


■旅重なりたる=兼家にとっては旅寝だけれど、女にとっては自分の家で旅寝ではないのに、彼女が兼家の歌にあわせて「かかる旅寝は」といったのが可笑しいのである。


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