
◆胡蝶(こちょう)の舞い
唐楽の迦陵頻(かりょうびん)に対応する高麗楽(こまがく)(右舞)の答舞が胡蝶になる。高麗楽の形式をとるが、実際は日本人の手になる楽曲で、延喜六年(九〇六)八月、宇多法皇の童相撲御覧(わらわすまいごらん)の際に、山城守藤原忠房が音楽を、敦実親王が舞を作ったという。
舞人も迦陵頻と同様の四人で、童髪に天冠(てんがん)を着、山吹の挿頭花(かざし)を付け、手にも山吹(やまぶき)を持って舞う。背には彩色された蝶の羽を負う。
参考と写真:風俗博物館
唐楽の迦陵頻(かりょうびん)に対応する高麗楽(こまがく)(右舞)の答舞が胡蝶になる。高麗楽の形式をとるが、実際は日本人の手になる楽曲で、延喜六年(九〇六)八月、宇多法皇の童相撲御覧(わらわすまいごらん)の際に、山城守藤原忠房が音楽を、敦実親王が舞を作ったという。
舞人も迦陵頻と同様の四人で、童髪に天冠(てんがん)を着、山吹の挿頭花(かざし)を付け、手にも山吹(やまぶき)を持って舞う。背には彩色された蝶の羽を負う。
参考と写真:風俗博物館