蜻蛉日記 下巻 (141)(142)の解説
『蜻蛉日記』下巻 上村悦子著 より
袍の仕立てを忘れていたのか、十四日ごろに急いで作者邸へ持ってきた。お裁縫の上手な作者だが、平常あまり寄り付きもしないで、』急ぎの縫い直しをおしつけた身勝手さに反発して、向こうの指定日に合わせて精を出す気になれず、捨ておいたところ、矢の催促で取りに来たのであるが、行き違いに仕立て直した着物を手紙もつけずに届けさせた。これをめぐる兼家と作者の歌の贈答であるが、珍しく兼家の方から歌をよこしている。(中略)歌は明るい、やや諧謔を含むものである。
初雪、鶯の初音、こうした自然現象を目にし耳にしては感慨もひとしおで、和歌を口ずさむのが歌人のたしなみであり、作者もその一人で、いつも歌が口をついて出るのが常であったが、どうも年が老けたせしか、歌がすらすら生まれて来ないことを述べている。兼家の訪れもなく、仕立物の縫い直しを頼まれる実用的な妻になって、教養人ならいちはやく感得する自然のうつり変わりにも心が弾まず、感動も薄い人間になってしまったことをなげくでもなく、かなり素直に述べている。
『蜻蛉日記』下巻 上村悦子著 より
袍の仕立てを忘れていたのか、十四日ごろに急いで作者邸へ持ってきた。お裁縫の上手な作者だが、平常あまり寄り付きもしないで、』急ぎの縫い直しをおしつけた身勝手さに反発して、向こうの指定日に合わせて精を出す気になれず、捨ておいたところ、矢の催促で取りに来たのであるが、行き違いに仕立て直した着物を手紙もつけずに届けさせた。これをめぐる兼家と作者の歌の贈答であるが、珍しく兼家の方から歌をよこしている。(中略)歌は明るい、やや諧謔を含むものである。
初雪、鶯の初音、こうした自然現象を目にし耳にしては感慨もひとしおで、和歌を口ずさむのが歌人のたしなみであり、作者もその一人で、いつも歌が口をついて出るのが常であったが、どうも年が老けたせしか、歌がすらすら生まれて来ないことを述べている。兼家の訪れもなく、仕立物の縫い直しを頼まれる実用的な妻になって、教養人ならいちはやく感得する自然のうつり変わりにも心が弾まず、感動も薄い人間になってしまったことをなげくでもなく、かなり素直に述べている。