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【須磨】の巻 その(6)
「大方の世の人も、誰かはよろしく思ひ聞えむ。七つになりたまひしこのかた、帝の御前に夜昼侍ひて、奏し給ふことのならぬはなかりしかば、この御いたはりにかからぬ人なく、御徳をよろこばぬやはありし。……」
――世間の人々も、誰がこのことを良いことと思うでしょう。七歳の頃から帝のお側に昼夜を問わずお仕えになって、源氏が奏上されることで通らぬことはなかったので、そのご恩を蒙むらなかった人はなく、ご恩恵を喜ばないものがいたでしょうか。(今はご立派になっている上達部や弁官は言うに及ばず、下級の者たちも大勢おりましたが、恩を忘れた訳ではないでしょうが、時勢に遠慮して、源氏邸に寄りつく人もおりません。)――
「世ゆすりて惜しみ聞え、下には公を謗りうらみ奉れど、身を棄ててとぶらひ参らむにも何のかひかや、と思ふにや……」
――世を上げて惜しみもし、心中朝廷を非難申しあげるようですが、一身を忘れてお見舞い申したとしても、何になるかと考えるのでしょうか。(人聞きの悪いほど恨めしく思われる人が多く、世の中は味気ないものだと、何かにつけて源氏はお思いになります)――
この日は紫の上とゆっくりと物語などなさって、夜遅くに出発されます。狩衣に装いを質素にして
源氏「月出でにけりな。なほ、すこし出でて見だに送り給へかし」
――月が出たようですね。やはりもう少し端に出て、見送りだけでもしてください――
と、源氏は御簾を巻き上げて、お誘いになりますと、紫の上は泣き沈んでいらっしゃいましたが、いざり出てお出でになりました。
月影がしみじみとした風情をただよわせておりました。
「明けはたなば、はしたなかるべきにより、いそぎ出で給ひぬ」
――すっかり夜が明けてしまってはきまりが悪いということで、急ぎ出発なさいました―-
源氏は紫の上の面影を抱いて、胸塞がる思いで、御舟にお乗りになり、翌日午後四時頃、
かの浦にお着きになりました。
難波の海辺を過ぎて、寄せては返す波をごらんになって、古歌を思い出しては、櫂の雫のように落ちる涙が堪えがたく、また見るものすべて悲しくないものはないのでした。
◆写真 朝ぼらけ
ではまた。
【須磨】の巻 その(6)
「大方の世の人も、誰かはよろしく思ひ聞えむ。七つになりたまひしこのかた、帝の御前に夜昼侍ひて、奏し給ふことのならぬはなかりしかば、この御いたはりにかからぬ人なく、御徳をよろこばぬやはありし。……」
――世間の人々も、誰がこのことを良いことと思うでしょう。七歳の頃から帝のお側に昼夜を問わずお仕えになって、源氏が奏上されることで通らぬことはなかったので、そのご恩を蒙むらなかった人はなく、ご恩恵を喜ばないものがいたでしょうか。(今はご立派になっている上達部や弁官は言うに及ばず、下級の者たちも大勢おりましたが、恩を忘れた訳ではないでしょうが、時勢に遠慮して、源氏邸に寄りつく人もおりません。)――
「世ゆすりて惜しみ聞え、下には公を謗りうらみ奉れど、身を棄ててとぶらひ参らむにも何のかひかや、と思ふにや……」
――世を上げて惜しみもし、心中朝廷を非難申しあげるようですが、一身を忘れてお見舞い申したとしても、何になるかと考えるのでしょうか。(人聞きの悪いほど恨めしく思われる人が多く、世の中は味気ないものだと、何かにつけて源氏はお思いになります)――
この日は紫の上とゆっくりと物語などなさって、夜遅くに出発されます。狩衣に装いを質素にして
源氏「月出でにけりな。なほ、すこし出でて見だに送り給へかし」
――月が出たようですね。やはりもう少し端に出て、見送りだけでもしてください――
と、源氏は御簾を巻き上げて、お誘いになりますと、紫の上は泣き沈んでいらっしゃいましたが、いざり出てお出でになりました。
月影がしみじみとした風情をただよわせておりました。
「明けはたなば、はしたなかるべきにより、いそぎ出で給ひぬ」
――すっかり夜が明けてしまってはきまりが悪いということで、急ぎ出発なさいました―-
源氏は紫の上の面影を抱いて、胸塞がる思いで、御舟にお乗りになり、翌日午後四時頃、
かの浦にお着きになりました。
難波の海辺を過ぎて、寄せては返す波をごらんになって、古歌を思い出しては、櫂の雫のように落ちる涙が堪えがたく、また見るものすべて悲しくないものはないのでした。
◆写真 朝ぼらけ
ではまた。