2010.11/29 859
四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(36)
大君は、何と押しつけがましいと御不快ではありますものの、何とか宥めすかそうと、お心を静めて、
「こののたまふ宿世といふらむ方は、目にも見えぬ事にて、いかにもいかにも思ひたどられず。知らぬ涙のみ霧ふたがる心地してなむ。こはいかにもてなし給ふぞ、と、夢のやうにあさましきに、のちの世の例にいひ出づる人もあらば、昔物語などに、ことさらにをこめきて作り出でたるものの例にこそは、なりぬべかめれ」
――いま仰せになりました宿世とかいうものは、目にも見えぬ事でどうだとも見当もつきません。ただもう行く末も分からぬ涙で、目の前がぼおっと塞がるような気がしております。これはいったいどうなさるおつもりかと、何もかもただ夢のようで、呆れるばかりです。後々話の種に持ちだす人でもあれば、昔物語の中で殊更面白可笑しく作り上げた愚か者とそっくりで、きっと格好な慰みものとなるでしょう――
「かくおぼし構ふる心の程をも、いかなりけるとかはおしはかり給はむ。なほいとかくおどろおどろしく心憂く、な取り集めまどはし給ひそ。心より外にながらへば、すこし思ひのどまりてきこえむ。心地もさらにかきくらすやうにて、いとなやましきを、ここにうち休まむ、ゆるし給へ」
――あなたのこうした御真意を匂宮は一体どうしたことかとご不審に思われるでしょう。私をこのように胸も張り裂けるような目に遇わせて、もうこれ以上あれこれと困らせないでください。思いのほか生き長らえ、心も落ち着きましたなら、ゆっくりお話申しあげましょう。いまはすっかり取り乱して気分もすぐれませんので、ここでしばらく休みとうございます。袖をお離しください――
とたいそう辛そうにおっしゃいます。薫は大君がとりわけ道理を説かれるので恥ずかしくなり、またおいたわしくもあって、
「あが君、御心に従ふことの類なければこそ、かくまでかたくなしくなり侍れ。言ひ知らず憎くうとましきものにおぼしなすめれば、きこえむ方なし。いとど世に跡とどむべくなむ覚えぬ」
――どうぞお聞きください。あなたの御こころに背くまいと、ひたすら心しておりますからこそ、これほどまでに律儀に辛抱もしているのでございます。それを余りと言えばあまりにも私をお疎みのご様子なので、もう言葉もございません。いよいよ生きていられそうな気もしません――
とおっしゃりながら、
「『さらば、へだてながらもきこえさせむ。ひたぶるになうち棄てさせ給ひそ』とて、ゆるし奉り給へれば、這い入りて、さすがに入りも果て給はぬを、いとあはれと思ひて、
『かばかりの御けはひをなぐさめにて明かし侍らむ。ゆめゆめ』ときこえて、うちもまどろまず」
――「では、障子ごしにでもお話申し上げましょう。一途に私をお棄てくださいますな」と、袖をお離しになります。大君は奥に這い入って行こうとなさるものの、さすがに振り棄て難くためらっていらっしゃる風情が、いかにもいじらしくお優しいので、「この程度の御対面を慰めとして夜を明かしましょう。決して御無体なことは…」とおっしゃって、まんじりともなさらない――
◆をこめきて=痴めく=ばかげて見える。愚かしいようす。
では12/1に。
四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(36)
大君は、何と押しつけがましいと御不快ではありますものの、何とか宥めすかそうと、お心を静めて、
「こののたまふ宿世といふらむ方は、目にも見えぬ事にて、いかにもいかにも思ひたどられず。知らぬ涙のみ霧ふたがる心地してなむ。こはいかにもてなし給ふぞ、と、夢のやうにあさましきに、のちの世の例にいひ出づる人もあらば、昔物語などに、ことさらにをこめきて作り出でたるものの例にこそは、なりぬべかめれ」
――いま仰せになりました宿世とかいうものは、目にも見えぬ事でどうだとも見当もつきません。ただもう行く末も分からぬ涙で、目の前がぼおっと塞がるような気がしております。これはいったいどうなさるおつもりかと、何もかもただ夢のようで、呆れるばかりです。後々話の種に持ちだす人でもあれば、昔物語の中で殊更面白可笑しく作り上げた愚か者とそっくりで、きっと格好な慰みものとなるでしょう――
「かくおぼし構ふる心の程をも、いかなりけるとかはおしはかり給はむ。なほいとかくおどろおどろしく心憂く、な取り集めまどはし給ひそ。心より外にながらへば、すこし思ひのどまりてきこえむ。心地もさらにかきくらすやうにて、いとなやましきを、ここにうち休まむ、ゆるし給へ」
――あなたのこうした御真意を匂宮は一体どうしたことかとご不審に思われるでしょう。私をこのように胸も張り裂けるような目に遇わせて、もうこれ以上あれこれと困らせないでください。思いのほか生き長らえ、心も落ち着きましたなら、ゆっくりお話申しあげましょう。いまはすっかり取り乱して気分もすぐれませんので、ここでしばらく休みとうございます。袖をお離しください――
とたいそう辛そうにおっしゃいます。薫は大君がとりわけ道理を説かれるので恥ずかしくなり、またおいたわしくもあって、
「あが君、御心に従ふことの類なければこそ、かくまでかたくなしくなり侍れ。言ひ知らず憎くうとましきものにおぼしなすめれば、きこえむ方なし。いとど世に跡とどむべくなむ覚えぬ」
――どうぞお聞きください。あなたの御こころに背くまいと、ひたすら心しておりますからこそ、これほどまでに律儀に辛抱もしているのでございます。それを余りと言えばあまりにも私をお疎みのご様子なので、もう言葉もございません。いよいよ生きていられそうな気もしません――
とおっしゃりながら、
「『さらば、へだてながらもきこえさせむ。ひたぶるになうち棄てさせ給ひそ』とて、ゆるし奉り給へれば、這い入りて、さすがに入りも果て給はぬを、いとあはれと思ひて、
『かばかりの御けはひをなぐさめにて明かし侍らむ。ゆめゆめ』ときこえて、うちもまどろまず」
――「では、障子ごしにでもお話申し上げましょう。一途に私をお棄てくださいますな」と、袖をお離しになります。大君は奥に這い入って行こうとなさるものの、さすがに振り棄て難くためらっていらっしゃる風情が、いかにもいじらしくお優しいので、「この程度の御対面を慰めとして夜を明かしましょう。決して御無体なことは…」とおっしゃって、まんじりともなさらない――
◆をこめきて=痴めく=ばかげて見える。愚かしいようす。
では12/1に。