永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて

2015年03月17日 | Weblog
紫式部の「源氏物語」より前に書かれた仮名日記で、筆者は藤原道綱母と言われています。954年から約20年間の身辺を書いていて、それまでの物語とは違う真実の心を書き留めたとされています。
20年前に原文と訳文を一度は読んだものの、今回もう一度じっくり味わいたくて、読んでみることにしました。

蜻蛉日記  上巻  
  
天暦8年(954年)
その1  (2015.3.17)  

「かくありし時すぎて、世中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで世にふる人ありけり。かたちとても人にも似ず、こころだましひもあるにはあらで、かうものの要にもあらであるもことわりと思ひつつ、ただ臥し起きあかしくらすままに世中におほかる古物語のはしなどを見れば、世におほかるそらごとにあり、人にもあらぬ身のうへまで書き日記してめづらしきさまにもありなん、天下の人の品たかきやと問はんためしにもせよかし、とおぼゆるも、過ぎにし年月ごろのこともおぼつかなかりければ、されもありぬべきことなんおほかりける。」

――こんな風に明け暮れしたときを経て、世の中にはかなく、これという人の役にもたたず、しっかりしたこともないまま漂っている一人の女がおりました。容貌とて人並みとはいえず、思慮分別がとりわけあるわけでもありません。ですからこのように所在無い暮らしをしているのは当然とも思いますが、ただこんな有様で毎日を暮していますときに、世の中に出ている古物語を見るにつけ、どれもこれも絵空事のように思うのです。ですから人並みでない私の身の上ではありますが、それをありのままに書きましたなら、さぞかし珍しいものになりましょう。現実に高貴な人の妻になった者のくらしがどのようなものか、そのような疑問が出たときにはどうぞ参考になさってください、と思うものの、かなりの年月が経っていてよく覚えていないこともあって、まあこんなことまで日記にかかなくてもよいような曖昧なこともあります――


■参考書:今西祐一郎校注「蜻蛉日記」  犬養 廉「現代語訳・蜻蛉日記/更科日記」

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