永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(69)

2008年06月06日 | Weblog
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【花散里(はなちるさと)】の巻 (1)

 源氏 25歳5月の頃 

 源氏は、故桐壺院のご崩御後の味気ない情勢と、ご自分から求めての秘密ごとに、物思いの多いこの頃でございます。
 故桐壺院の女御でいらした麗景殿(れいけいでん)とおっしゃる方は、院との間に御子もいらっしゃらず、院が崩御されて後は心許なくおられたのを、源氏のご好意で庇護されて暮らしておいででした。その御妹の三の君と、かつて内裏で、ほんのかりそめにお逢いになって後は、源氏はいつものご性分で、忘れているわけではないものの、特に重く扱われることもなく、女の方では気を揉むことが多いようでした。

 物思いの一つとして、この女君を思い出されると我慢ができなくなって、五月雨の続いていて、ある晴れた雲間を見計らってお出かけになります。

 供びとも少なく、目立たぬ装束で、中川(京極川)のあたりをお通りになりますと、
「よく鳴る琴を、あづまに調べて掻き合わせ、にぎははしく弾きなすなり」
――よく鳴る琴を、東琴(六弦の和琴)に合わせて賑わしく弾くようすです――

 そう言えば、この辺りの女に通ったこともあったと思い出されて、行きすぎたのを引き返し、惟光にうたを託します
「をちかえりえぞ忍ばれぬほととぎすほのかたらひし宿の垣根に」
――ほととぎすが昔ほのかに鳴いた宿の垣根にまた来るように、私もかつてお訪ねしたこの家に来ては、昔に立ち返ってなつかしさに堪えられません――

 女主人の返歌は、「お便りの主は、その方と思いますが、この五月雨のようにおぼつかないことです(恨みのこころ)」

 源氏は「さもつつむべきことぞかし、道理にもあれば、さすがなり。かやうの際は、筑紫の五節が、らうたげなりしはや、と、まず思し出ず」
――それほど用心深くする理由があるのだろう(決まって通ってくる男ができたこと)、それももっともだと思えば、責められることではない。しかし、こういう身分の女では筑紫の五節が、可愛かったなあ、と、思い出されます――

 どういう女ということなく、御こころの安まることがなく苦しそうです。一度愛した女のことはお忘れにならないことが、かえって多くの人の悩みともなるようです。

 「かの本意の所は、思しやりつるもしるく、人目なく静かにて……」
――目ざす花散里(御妹の三の宮)のお住いは想像していたより、人の気配もまばらで寂しげでございます――

 まず、御姉君の麗景殿の方と昔のことなど話し合われて、二十日ほどの月が昇ってまいります頃は、木々の影も小暗く、近くの橘が程よく薫っておりますうちに、夜も更けようとしてまいりました。

ではまた。


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