ふろむ播州山麓

京都山麓から、ブログ名を播州山麓に変更しました。本文はほとんど更新もせず、タイトルだけをたびたび変えていますが……

時代祭の大原女・白川女・桂女

2007-10-27 | Weblog
時代祭の行列は、京都御苑、御所の建礼門前を出、烏丸通から御池通、三条通、神宮道から平安神宮にいたる。維新の列からはじまって、平安時代を模した列まで、時代祭は過去へ昔へさかのぼる、各時代の風俗を描くユニークな行列祭です。
 祇園祭、葵祭とともに京都三大祭といわれていますが、この祭の歴史は意外と新しい。明治28年のことです。桓武天皇による平安遷都1100年記念に岡崎に平安神宮が造営された記念祭がはじまりだそうです。
 この10月22日、お世話になっている御苑の関係者にお誘いを受け、はじめて時代祭を着席で、見物しました。席は建礼門前、ちょうど行列のはじまる位置でした。延々、二時間。12時の維新勤皇隊スタートから、2時前発の神幸列と弓箭隊まで、二千人を越す参列者、2キロにわたる大行列を見物しました。
 歴史上の有名人が多数登場します。著名人のすぐ前には、名札を捧げたひとが歩き、「ああ織田信長か、背の高い豊臣秀吉だなあ」と感心したり、維新の志士だと、桂小五郎、西郷隆盛、坂本龍馬、中岡慎太郎、吉田松蔭、高杉晋作は納得するとして、吉村寅太郎、頼三樹三郎、梅田雲浜、橋本左内、平野国臣なども登場します。現代の感覚からすると、人選に少し違和感がなきにしもあらずですが、この選定が明治中期のことであったとするなら、納得がいきます。そのころには幕末維新で活躍したひとたちが、政府の中枢で活躍していたわけです。彼らが、人選にかかわったと思えば、適切な配役であったのでしょう。
 女性もたくさん列をなしていました。徳川家に嫁した和宮、歌人の蓮月と梶、京銀座の大富豪・中村内蔵助の妻、池大雅の妻・玉蘭、吉野太夫、出雲阿国、巴御前、静御前、常磐御前、小野小町、清少納言、紫式部、淀君などなど。時代順の記載でなくて混乱し、申し訳ないのですが。
 ところで、女性列のなかでも筆者の目をひいたのは、大原女(おはらめ)、白川女(しらかわめ)、桂女(かつらめ)が連なる庶民の一団でした。
 大原女は洛北、八瀬や大原の女性たち。頭上に薪や炭を載せ、京の街に売りに出ることを生業とした販女(ひさめ)です。小原女とも記すという。炭は重いが、自分の体重と同じ量を載せることができれば一人前といわれたそうで、きびしい重労働でした。
 白川女はいまも京の街中でときどき見かけます。頭の上ではなく、リヤカーで花をお得意さんに届ける現役のおばあさん、おばさんたちが、現在も絣の着物姿で活躍しておられる。また時代祭の行列は、「白川女保存会」が仕切っておられる。旧習を守り、またなじみの古い付き合いを大切にする町衆に支えられ、たぶん数百年の伝統に生きる女性たちの行商の花業には頭が下がる思いがします。
 ところで問題は、桂女(かつらめ)です。この女人たちのことはいまでは風化してしまい、地元洛西の桂でも知るひとは少ない。次回は、桂女のことに触れてみましょう。
<2007年10月27日 みな>



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