ふだん何気なく使っている言葉や地名など、たまにふと「なぜ?」と思うことがあります。語源なり本来の意味が気になったりします。またその言葉はどのように使われ方が変遷してきたのか? どうでもいいようなことが不思議になって、当然でなくなってしまうのが不可思議です。
ナーガさんからコメントをいただきました。「幸」や「幸福」といった言葉の本来の古い意味を追うことに、確かにどれほどの意味があるのかしら。サチ、サイワイ、シアワセ、コウフクなど、現代のわたしたちはほとんど同じ意味で使っていますが、本当はどうなのか? また時代とともに、それらの言葉はどのように変化して来たのか? やはり気になります。
京都には感謝の言葉、「おおきに」があります。大阪やほかの地方でも使う言葉で、ありがとうございますの意味ですが、語源ということで「おおきに」に寄り道してみます。「幸」とは直接の関係がありませんが、ちょっと道草食いの暇つぶしです。
「おおきに」のひとつの意味は「おおきにありがとうございます」の省略形です。しかし古語「おほきに」の本来は「非常に」「たいへん」の意の副詞です。広辞苑では室町時代からの語とありますが、平安時代にも使われています。
「年ノ程よりおほきに大人しう清らかに」源氏物語
「天衆この事を見己りて、皆おほきに歓喜し」金光明最勝王経(平安初期点)
『金光明最勝王経』は確認していませんが、1079年記のある『金光明最勝王経音義』でしょうか。
『竹取物語』にも「おほきに」が出ますが、「非常」によりも、サイズの大きさをいうようです。だいぶ前に、このブログで<かぐや姫と京言葉「おおきに」>を5回連載しました。そこで「おほきに」初出を『竹取物語』としたのですが、変更せねばなりません。
現代における「おおきに」を考えてみましょう。祇園などの舞妓が席に遅刻すると「おおきに、おおきに、すんまへん」。残念ながら、舞妓さんから直接に聞いたことはないのですが、お茶屋での体験者の弁です。
この用法は「ありがとう、ありがとうございます、すんまへ~ん」ではありません。「本当に非常にたいへん、すんまへ~ん」な訳です。ここでは本来の副詞として使われています。
勘定をすめせて蕎麦屋から出るとき、別にうどん屋でも食堂でも土産物屋でもいいのですが、従業員がふたりおられれば、ひとりはわたしの背中に「おおきに」、もうひとりが「ありがとうございます」。両者は間髪を入れずにふたこと発します。
「おおきに、ありがとうございます」であって、その逆「ありがとうございます、おおきに」は聞いたことがありません。「おおきに」は副詞なのです。当然、省略してしまって、ありがとうを「おおきに」ともいいますが、本来の用法は現代でも副詞です。
語源「幸」の話しから「おおきに」に寄り道してしまったのですが、幸福探しはどのような道を歩むことでしょう。チルチルとミチルの幸福の『青い鳥』はどこかに飛び去ってしまいました。
<2012年8月8日 南浦邦仁>
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