昭和38年 1963 61歳
2月、講談社刊の日本文学全集14に「夜あけ朝あけ」収録。
3月、『橋のない川』第3部を新潮社より刊行。
6月、『地の星座』を汐文社より刊行。『橋のない川』の児童小説版として被差別問題を追及。
昭和39年 1964 62歳
4月、『橋のない川』第4部を刊行し、ひとまず完結のかたちをとる。住井ははじめて巻末に「あとがき」を記した。その直後から拒食症になり、はじめて入院体験をする。体重は60キロから40キロに落ち、その後3年間ほど文章がほとんど書けなくなった。
5月、劇団葦が「向い風」公演。
昭和40年 1965 63歳
1月、『夜あけ朝あけ』新潮文庫版刊行。
7月3日より14日まで、文化座が「「向い風」公演。
昭和44年 1969 67歳
2月、今井正監督による映画「橋のない川」(ほるぷ映画社)の上映が、東京読売ホール封切からはじまり、全国で上映される。脚本は八木保太郎と依田義賢。撮影は中尾駿一郎。音楽は間宮芳生。出演は、北林谷栄、伊藤雄之助、長山藍子、小沢昭一、山村聡、原田大二郎、阿部寿美子、寺田路恵、加藤壽ほか。
昭和45年 1970 68歳
4月、今井正監督は映画「橋のない川」第2部を公開。
5月、解放同盟は差別映画であるとして、糾弾を決定したと発表。
11月、『橋のない川』第5部を刊行。
昭和47年 1972 70歳
7月、『夜あけ朝あけ』を『理論社の愛蔵版 わたしのほん』として理論社より再刊。
昭和48年 1973 71歳
11月、『橋のない川』第6部を刊行し、二度目の「あとがき」を記す。
昭和49年 1974 72歳
3月、『愛といのちと』を理論社より再刊。
4月、『向い風』を理論社より再刊。
昭和51年 1976 74歳
6月、共著『私の歩んだ道』(朝日ソノラマ)に「人間平等への願い」を収録。
10月、家の光協会刊『土とふるさとの文学全集』第13巻に「向い風」収録。
昭和53年 1978 76歳
自宅に「抱樸舎」を完成。
12月、書き下ろし長編『野づらは星あかり』を新潮社より刊行。
『長久保赤水』上下巻を筑波書林より再刊。
昭和54年 1979 77歳
4月、新潮社現代文学43『住井すゑ』を新潮社より刊行。「橋のない川」第一部、「夜あけ朝あけ」収録。
4月より翌年3月まで、雑誌「」に「牛久沼だより」を連載。
昭和55年 1980 78歳
12月、丸岡秀子ほか共著『嫁と姑』(農山漁村文化協会)に「私たちはお互いにもっと語り合いましょう」収録。
昭和56年 1981 79歳
2月から5月にかけて、『橋のない川』第1部から第6部までの新潮文庫版が刊行される。
昭和57年 1982 80歳
9月、抱樸舎で公開学習会がはじまる。
『向い風』新潮文庫版刊行。
10月、住井すゑとの絵本集1田島征彦絵『まんげつのはなし』を河出書房新社より刊行。
11月、同4滝平二郎絵『たなばたさま』
12月、同2『ピーマン大王』、絵はラヨス・コンドル(ハンガリー)
昭和58年 1983 81歳
1月、住井すゑとの絵本集3佐野洋子絵『かっぱのサルマタ』を河出書房新社より刊行。
5月、『橋のない川』の中国語訳『没有橋的河』の刊行がはじまる。遅叔昌訳。
6月、住井すゑとの絵本集5ハタオ絵『空になったかがみ』を河出書房新社より刊行。
7月、『農婦譚』上下巻を筑波書林から再刊。
8月、随筆集『牛久沼のほとり』を暮しの手帖社から刊行。
『野づらは星あかり』新潮文庫版刊行。
昭和59年 1984 82歳
7月、『愛といのちと』新潮文庫版刊行。
11月、『八十歳の宣言―人間を生きるー』を人文書院より刊行。
昭和60年 1985 83歳
8月、上坂冬子、佐藤愛子ほか共著『女たちの八月十五日』に「愛する故に戦わず」収録。櫛田ふき、石井あや子、矢島せい子との対談集『いのち永遠に新し』労働旬報社より刊行。
11月、『いのちは育つー抱樸舎からー』を人文書院から刊行。
昭和61年 1986 84歳
1月、灰谷健次郎との対談『われらいのちの旅人たり』を光文社より刊行。
4月、毎日新聞「女のしんぶん」に連載したエッセイ集『地球の一角から』を人文書院から刊行。
6月、童話『ふたごのおうま』を河出書房新社より刊行。絵はイワン・ガンチェフ。
昭和62年 1987 85歳
1月、斉藤公子との共著『女性は地球をまもる』を創風社より刊行。
11月、新日本出版社刊の日本プロレタリア文学集23『婦人作家集3』に、戦前に発表した短編・評論4作品「土地の代償」「搾取網」「土地の反逆」「農村雑景」を収録。
昭和63年 1988 86歳
5月、木村京太郎は清原美寿子(故西光万吉夫人)と牛久に住井を訪ねた。木村は6月11日に死去。
澤地久枝対談集『語りつぐべきこと』(岩波書店)に「女たちが地球をまもる」収録。
6月28日から、生前の木村京太郎の計らいで、住井と寿岳文章の3日連続対談が京都で行われる。
12月、『わたしの童話』を労働旬報社より刊行。
昭和64年 平成1年 1989 87歳
7月、『わたしの少年少女物語』を労働旬報社より刊行。
8月、福田雅子との対談『宣言を読む』を解放出版社より、『住井すゑ・初期短編集1「農村イソップ」』を冬樹社より刊行。
9月、寿岳文章との対談『時に聴くー反骨対談―』を人文書院より刊行。
10月、『住井すゑ・初期短編集2「土の女たち」』を冬樹社より刊行。
11月、牛久の住井宅で今井正と、映画「橋のない川」について対談。『今井正「全仕事」-スクリーンのある人生―』(ACT)に収録。
『わたしの少年少女物語Ⅱ』を労働旬報社より、ブックレット『さよなら天皇制』をかもがわ出版より刊行。
平成2年 1990 88歳
5月、エッセイ集『続 地球の一角から』を人文書院から刊行。
6月、『住井すゑ・初期短編集3「村に吹く風」』を冬樹社より刊行。
『橋のない川』英語版『The River with No Bridge』がチャールズ・E・タトルより刊行される。スーザン・ウィルキンソン訳。
平成3年 1991 89歳
1月、住井すゑ編『日本の名随筆99哀』を作品社より刊行。『食品汚染―食と健康からみた輸入農産物―』(若月俊一ほか共著)を労働旬報社より刊行。
平成4年 1992 90歳
2月、『地の星座』上下巻を汐文社から復刊。
5月、東陽一監督の映画「橋のない川」が東宝系映画館で公開される。製作はガレリア・西友共同。美術は内藤昭、撮影は川上皓、畑中孝二役には、幼年時代を中野聡彦、少年に藤田哲也、青年に渡部篤郎。兄の誠太郎に、少年の趙泰勇と青年の杉本哲太。母ふで役に大谷直子。祖母ぬい役は中村玉緒が演じた。
『橋のない川』新装決定版全6巻が新潮社より刊行される。
6月19日、東京の日本武道館で講演「九十歳の人間宣言―いまなぜ、人権が問われるのかー」を開催。8500人の聴衆が集まる。
6月、『二十一世紀へ託すー『橋のない川』断想―』を解放出版社より刊行。
8月、『わたしの童話』が新潮文庫に。講演カセットブック『九十歳の人間宣言』を新潮社より刊行。
9月、『橋のない川』第7部が新潮社より、ブックレット『九十歳の人間宣言』が岩波書店より刊行される。
フィリピンで『橋のない川』タガログ語訳『Ang Ilog na Walang Tu Lay』が刊行された。
平成5年 1993 91歳
2月、新潮カセットブック・講演『私はなぜ『橋のない川』を書き続けるのか』を刊行。
6月、東陽一監督の映画「橋のない川」のビデオ版を解放出版社が刊行。
平成6年 1994 92歳
4月20日、詩人・櫻本富雄のインタビューをうける。
5月、ブックレット『人間みな平等』を岩波書店より刊行。
7月、古田武彦ほか共著『天皇陵の真相―永遠の時間のなかでー』を三一書房より刊行。
8月、『橋のない川』第7部新潮文庫版刊行。
平成7年 1995
1月、聞き手・増田れい子『わが生涯―生きて愛して闘ってー』を岩波書店より刊行。
2月、小学館ライブラリー版『女たちの八月十五日―もうひとつの太平洋戦争―
』に「愛する故に戦わず」再録。
4月、『住井すゑと永六輔の人間宣言―死があればこそ生が輝くー』を光文社より刊行。
5月、増田れい子が『住井すゑ ペンの生涯』を労働旬報社より刊行。
8月、雑誌「論座」(朝日新聞社)が戦後50年特集「表現者の戦争責任」を組み、櫻本富雄「住井すゑにみる『反戦』の虚構」ほかが掲載される。
11月、若月俊一との対談集『いのちを耕す』を労働旬報社より刊行。
平成9年 1997 95歳
1月21日、住井は急に足腰が立たなくなり、牛久市内の愛和病院に入院した。
1月より『住井すゑ対談集』全3巻が労働旬報社から刊行はじまる。
4月、『いのちに始まる』を大和書房より刊行。
6月16日、住井すゑは自宅で逝去。
7月6日、「住井すゑさんと未来を語る会」が茨城県稲敷郡茎崎町の圏民センターで開かれた。
平成10年 1998
1月、増田れい子が『母 住井すゑ』を海竜社より刊行。
11月、新潮社刊『住井すゑ作品集』全8巻の刊行がはじまる。翌1999年8月に完結。
平成11年 1999
3月、福田雅子との対談『「橋のない川」を読む』を解放出版社刊。
5月、犬田章が『母・住井すゑの横顔』を大和書房より刊行。
平成13年 2001
6月、前川む一・増田れい子ほか共著『住井すゑの世界―その生涯と文学―』を解放出版社が刊行。
平成15年 2003
5月、北条常久が『橋のない川―住井すゑの生涯―』を風濤社より刊。
平成22年 2010
4月、昭和堂が犬田卯訳(増田れい子・斎藤征雄補訳)『民衆のフランス革命―農民が描く闘いの真実―』上下巻を刊行。
<2010年4月11日 5回連載「住井すゑ年譜」完> [ 222 ]
2月、講談社刊の日本文学全集14に「夜あけ朝あけ」収録。
3月、『橋のない川』第3部を新潮社より刊行。
6月、『地の星座』を汐文社より刊行。『橋のない川』の児童小説版として被差別問題を追及。
昭和39年 1964 62歳
4月、『橋のない川』第4部を刊行し、ひとまず完結のかたちをとる。住井ははじめて巻末に「あとがき」を記した。その直後から拒食症になり、はじめて入院体験をする。体重は60キロから40キロに落ち、その後3年間ほど文章がほとんど書けなくなった。
5月、劇団葦が「向い風」公演。
昭和40年 1965 63歳
1月、『夜あけ朝あけ』新潮文庫版刊行。
7月3日より14日まで、文化座が「「向い風」公演。
昭和44年 1969 67歳
2月、今井正監督による映画「橋のない川」(ほるぷ映画社)の上映が、東京読売ホール封切からはじまり、全国で上映される。脚本は八木保太郎と依田義賢。撮影は中尾駿一郎。音楽は間宮芳生。出演は、北林谷栄、伊藤雄之助、長山藍子、小沢昭一、山村聡、原田大二郎、阿部寿美子、寺田路恵、加藤壽ほか。
昭和45年 1970 68歳
4月、今井正監督は映画「橋のない川」第2部を公開。
5月、解放同盟は差別映画であるとして、糾弾を決定したと発表。
11月、『橋のない川』第5部を刊行。
昭和47年 1972 70歳
7月、『夜あけ朝あけ』を『理論社の愛蔵版 わたしのほん』として理論社より再刊。
昭和48年 1973 71歳
11月、『橋のない川』第6部を刊行し、二度目の「あとがき」を記す。
昭和49年 1974 72歳
3月、『愛といのちと』を理論社より再刊。
4月、『向い風』を理論社より再刊。
昭和51年 1976 74歳
6月、共著『私の歩んだ道』(朝日ソノラマ)に「人間平等への願い」を収録。
10月、家の光協会刊『土とふるさとの文学全集』第13巻に「向い風」収録。
昭和53年 1978 76歳
自宅に「抱樸舎」を完成。
12月、書き下ろし長編『野づらは星あかり』を新潮社より刊行。
『長久保赤水』上下巻を筑波書林より再刊。
昭和54年 1979 77歳
4月、新潮社現代文学43『住井すゑ』を新潮社より刊行。「橋のない川」第一部、「夜あけ朝あけ」収録。
4月より翌年3月まで、雑誌「」に「牛久沼だより」を連載。
昭和55年 1980 78歳
12月、丸岡秀子ほか共著『嫁と姑』(農山漁村文化協会)に「私たちはお互いにもっと語り合いましょう」収録。
昭和56年 1981 79歳
2月から5月にかけて、『橋のない川』第1部から第6部までの新潮文庫版が刊行される。
昭和57年 1982 80歳
9月、抱樸舎で公開学習会がはじまる。
『向い風』新潮文庫版刊行。
10月、住井すゑとの絵本集1田島征彦絵『まんげつのはなし』を河出書房新社より刊行。
11月、同4滝平二郎絵『たなばたさま』
12月、同2『ピーマン大王』、絵はラヨス・コンドル(ハンガリー)
昭和58年 1983 81歳
1月、住井すゑとの絵本集3佐野洋子絵『かっぱのサルマタ』を河出書房新社より刊行。
5月、『橋のない川』の中国語訳『没有橋的河』の刊行がはじまる。遅叔昌訳。
6月、住井すゑとの絵本集5ハタオ絵『空になったかがみ』を河出書房新社より刊行。
7月、『農婦譚』上下巻を筑波書林から再刊。
8月、随筆集『牛久沼のほとり』を暮しの手帖社から刊行。
『野づらは星あかり』新潮文庫版刊行。
昭和59年 1984 82歳
7月、『愛といのちと』新潮文庫版刊行。
11月、『八十歳の宣言―人間を生きるー』を人文書院より刊行。
昭和60年 1985 83歳
8月、上坂冬子、佐藤愛子ほか共著『女たちの八月十五日』に「愛する故に戦わず」収録。櫛田ふき、石井あや子、矢島せい子との対談集『いのち永遠に新し』労働旬報社より刊行。
11月、『いのちは育つー抱樸舎からー』を人文書院から刊行。
昭和61年 1986 84歳
1月、灰谷健次郎との対談『われらいのちの旅人たり』を光文社より刊行。
4月、毎日新聞「女のしんぶん」に連載したエッセイ集『地球の一角から』を人文書院から刊行。
6月、童話『ふたごのおうま』を河出書房新社より刊行。絵はイワン・ガンチェフ。
昭和62年 1987 85歳
1月、斉藤公子との共著『女性は地球をまもる』を創風社より刊行。
11月、新日本出版社刊の日本プロレタリア文学集23『婦人作家集3』に、戦前に発表した短編・評論4作品「土地の代償」「搾取網」「土地の反逆」「農村雑景」を収録。
昭和63年 1988 86歳
5月、木村京太郎は清原美寿子(故西光万吉夫人)と牛久に住井を訪ねた。木村は6月11日に死去。
澤地久枝対談集『語りつぐべきこと』(岩波書店)に「女たちが地球をまもる」収録。
6月28日から、生前の木村京太郎の計らいで、住井と寿岳文章の3日連続対談が京都で行われる。
12月、『わたしの童話』を労働旬報社より刊行。
昭和64年 平成1年 1989 87歳
7月、『わたしの少年少女物語』を労働旬報社より刊行。
8月、福田雅子との対談『宣言を読む』を解放出版社より、『住井すゑ・初期短編集1「農村イソップ」』を冬樹社より刊行。
9月、寿岳文章との対談『時に聴くー反骨対談―』を人文書院より刊行。
10月、『住井すゑ・初期短編集2「土の女たち」』を冬樹社より刊行。
11月、牛久の住井宅で今井正と、映画「橋のない川」について対談。『今井正「全仕事」-スクリーンのある人生―』(ACT)に収録。
『わたしの少年少女物語Ⅱ』を労働旬報社より、ブックレット『さよなら天皇制』をかもがわ出版より刊行。
平成2年 1990 88歳
5月、エッセイ集『続 地球の一角から』を人文書院から刊行。
6月、『住井すゑ・初期短編集3「村に吹く風」』を冬樹社より刊行。
『橋のない川』英語版『The River with No Bridge』がチャールズ・E・タトルより刊行される。スーザン・ウィルキンソン訳。
平成3年 1991 89歳
1月、住井すゑ編『日本の名随筆99哀』を作品社より刊行。『食品汚染―食と健康からみた輸入農産物―』(若月俊一ほか共著)を労働旬報社より刊行。
平成4年 1992 90歳
2月、『地の星座』上下巻を汐文社から復刊。
5月、東陽一監督の映画「橋のない川」が東宝系映画館で公開される。製作はガレリア・西友共同。美術は内藤昭、撮影は川上皓、畑中孝二役には、幼年時代を中野聡彦、少年に藤田哲也、青年に渡部篤郎。兄の誠太郎に、少年の趙泰勇と青年の杉本哲太。母ふで役に大谷直子。祖母ぬい役は中村玉緒が演じた。
『橋のない川』新装決定版全6巻が新潮社より刊行される。
6月19日、東京の日本武道館で講演「九十歳の人間宣言―いまなぜ、人権が問われるのかー」を開催。8500人の聴衆が集まる。
6月、『二十一世紀へ託すー『橋のない川』断想―』を解放出版社より刊行。
8月、『わたしの童話』が新潮文庫に。講演カセットブック『九十歳の人間宣言』を新潮社より刊行。
9月、『橋のない川』第7部が新潮社より、ブックレット『九十歳の人間宣言』が岩波書店より刊行される。
フィリピンで『橋のない川』タガログ語訳『Ang Ilog na Walang Tu Lay』が刊行された。
平成5年 1993 91歳
2月、新潮カセットブック・講演『私はなぜ『橋のない川』を書き続けるのか』を刊行。
6月、東陽一監督の映画「橋のない川」のビデオ版を解放出版社が刊行。
平成6年 1994 92歳
4月20日、詩人・櫻本富雄のインタビューをうける。
5月、ブックレット『人間みな平等』を岩波書店より刊行。
7月、古田武彦ほか共著『天皇陵の真相―永遠の時間のなかでー』を三一書房より刊行。
8月、『橋のない川』第7部新潮文庫版刊行。
平成7年 1995
1月、聞き手・増田れい子『わが生涯―生きて愛して闘ってー』を岩波書店より刊行。
2月、小学館ライブラリー版『女たちの八月十五日―もうひとつの太平洋戦争―
』に「愛する故に戦わず」再録。
4月、『住井すゑと永六輔の人間宣言―死があればこそ生が輝くー』を光文社より刊行。
5月、増田れい子が『住井すゑ ペンの生涯』を労働旬報社より刊行。
8月、雑誌「論座」(朝日新聞社)が戦後50年特集「表現者の戦争責任」を組み、櫻本富雄「住井すゑにみる『反戦』の虚構」ほかが掲載される。
11月、若月俊一との対談集『いのちを耕す』を労働旬報社より刊行。
平成9年 1997 95歳
1月21日、住井は急に足腰が立たなくなり、牛久市内の愛和病院に入院した。
1月より『住井すゑ対談集』全3巻が労働旬報社から刊行はじまる。
4月、『いのちに始まる』を大和書房より刊行。
6月16日、住井すゑは自宅で逝去。
7月6日、「住井すゑさんと未来を語る会」が茨城県稲敷郡茎崎町の圏民センターで開かれた。
平成10年 1998
1月、増田れい子が『母 住井すゑ』を海竜社より刊行。
11月、新潮社刊『住井すゑ作品集』全8巻の刊行がはじまる。翌1999年8月に完結。
平成11年 1999
3月、福田雅子との対談『「橋のない川」を読む』を解放出版社刊。
5月、犬田章が『母・住井すゑの横顔』を大和書房より刊行。
平成13年 2001
6月、前川む一・増田れい子ほか共著『住井すゑの世界―その生涯と文学―』を解放出版社が刊行。
平成15年 2003
5月、北条常久が『橋のない川―住井すゑの生涯―』を風濤社より刊。
平成22年 2010
4月、昭和堂が犬田卯訳(増田れい子・斎藤征雄補訳)『民衆のフランス革命―農民が描く闘いの真実―』上下巻を刊行。
<2010年4月11日 5回連載「住井すゑ年譜」完> [ 222 ]
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