中爺通信

酒と音楽をこよなく愛します。

はじまり(後)

2016-09-24 22:05:07 | 山形交響楽団
 私が山響に入団した頃は、村川千秋氏が常任指揮者でした。実際に年間のすべての公演(多くのスクールコンサート含む)の半数近くは氏が指揮したわけです。

 しかしそれ以上に、特にオーディションにおいて彼の存在感は大きかった。

 それは当然のこと。そこらじゅうに頭を下げ、私財を投げ打って、彼が自分の手で創ったオーケストラですから、「創業者」のようなものです。面接を取り仕切るのも彼でした。


 一般企業において、「社長面接」は最終段階であり、最大の難関であると同時に、運良く入社できたとしてもそのときの自分の印象が後々までついて回る。

 山響のことを何も知らず、山形に何の思い入れも用意していなかった私は、丸腰でラスボスの前に立たされたような気分でした。面接では「どうぞ」と言われる前に椅子に座ってしまうのは大きなタブーですが、そんなことも忘れて着席してから「しまった」と思うほど。


 しかしその時、「来てくれて、ありがとう!」と、力強い声で言われる。目の前の書道家のような髪型のおじいさん(村川氏なわけですが)は、熱のこもった様子で「ありがとう!」と繰り返しました。

「山響は音楽教室を大事にしているオーケストラなんですけど、あなたはそれは大丈夫ですか?」

…正直、質問の意味がよくわからなかった。音楽教室という単語も知らなかったし、大丈夫かと訊かれても。

「私は現在も教育業界にいますし、子供に教えるのが好きだから教壇に立っています。」

…質問に対する答えになっているのかどうかわからない。今考えると、ややずれています。体育館などの環境が整っていない会場で演奏することが多いが、あなたのプライドがそれを許しますか、という主旨なんですね。

 しかし、村川氏の心にはヒットしたようで早くも、
「で、いつから来てくれますか?」

…合格?もう終わり?こんなアルバイトみたいな感じで面接が終わる業界なのか?

 少々とまどいましたが、情熱的に「僕たちと一緒に頑張って下さい!」と言われたのには胸が熱くなりました。彼にとって採用は、「同志」を迎え入れるようなものなのです。


 後で実際にわかったことですが、村川氏ほど「仕事」としてではなく、山形のためにひたすら「音楽」をしている人はいないでしょう。それは山響の「手弁当体質」となって悪影響も残しましたが、あそこまでの信念と使命感に貫かれた活動をし続けているのは、大きく賞賛されるべきです。
 

 その姿は、一昨日の村山公演でも変わりませんでした。山形の偉人として、これからもご健勝であってほしいと思います。
コメント (2)
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