狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

文科次官が不快感 教科書訂正申請内容公表

2007-10-31 12:58:50 | 未分類

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文科次官が不快感 教科書訂正申請内容公表  

 【東京】高校歴史教科書の「集団自決」検定問題をめぐり、執筆者が訂正申請前に記述内容の検討状況を報道機関に公表したことについて、銭谷眞美事務次官は29日午前の定例会見で「法令上は禁止されていないが、あまりないことだ。静謐(せいひつ)な環境を確保していくことを考えいただきたい。望ましいかなというと、必ずしもそうではない」と述べ、不快感を示した。
 訂正申請する記述内容の取り扱いについて「教科書出版社に対して今までも情報管理を徹底するようお願いしてきた。訂正申請の時点であらためてお願いしたい。調査審議が終了するまでは当該申請者以外に内容が知られないよう、適切に管理しなければならない」と述べた。
 教科書出版社から訂正申請が出された際の文科省の対応として「丁寧に対応したい。再度、専門的見地から教科用図書検定調査審議会の意見を聞く」と述べた。

(琉球新報 10/30 9:50)

                      ◇

マルクス史観で歴史を見るものにとって、それ以外の歴史観は全てが右傾化していると見えるもの。

教科書業界は左翼の巣窟だといわれるが、中でもマルクス史観の「歴史教育者協議会」に属する教科書執筆者にとって、「教科書検定調査審議会」の学者が全て右翼反動学者に見えても不思議はない。

その意味で、マルクス史観の教科書執筆者・坂本昇氏の「教科書訂正申請」はイデオロギーで日本の教科書に宣戦したことになる。
 

 文科省への訂正申請について、教科書を手に記者会見する執筆者の坂本昇さん=27日午後、東京都豊島区

教科書にイデオロギーを持ち込んではいけないと建前論を述べる者こそ、実は自分のイデオロギーを教科書に持ち込もうとする左翼の先鋒である。

都立駒場高校教師の坂本昇氏は勿論、左翼団体「歴史教育者協議会」メンバーである。http://www.jca.apc.org/rekkyo/data/data01/book/shoseki/21-26y/rekishi261030.html

政治家である関係大臣が「県民の意思を重く受け止める」とか、首相「県民の気持ち分かる」とか「県民感情に配慮して」という発言は、政治家の発言の「枕言葉」でありそれ自体にはあまり深い意味はない。

国民を一票を持つ選挙民と見る大臣にとって「県民の意思をを軽く受け流す」とも「県民感情を無視して」とはいえないだけの話だ。

ただ、マスコミはその「枕言葉」を過大に取り上げ読者をミスリードする。

その点官僚は「枕言葉」は最小限にして淡々と事実を語る。

教科書出版社から訂正申請が出された際の文科省の対応として、

専門的見地から教科用図書検定調査審議会の意見を聞く」

味も素っ気も無いがごく当たり前の発言で、当日記が以前から主張してきた通りの文科省の発言だ。

この通り「訂正申請」は粛々と「審議会」にかけられ、粛々と却下されるであろう。

何故なら日本は法治国家であり、法に基づいて検定意見書が付いた記述修正は「事実誤認」や決定的「新学説」でも出現しない限り検定意見書に従うのが法治国家の証であるからだ。

翻って坂本氏の「訂正申請」には従前と何ら変わる新学説も新証拠もないので、却下されるのが当然である。

目立たない記事だが、琉球新報は一ヶ月前に次のような文科省見解を報じている。

写真

「今回の場合なじまない」 文科省教科書課 

・・・文科省教科書課は28日・・・「訂正勧告の制度は市町村合併など客観的に見て明らかな事情の変化などがあったにもかかわらず、教科書発行者が記述訂正に応じない場合に行われるものだ。 今回の場合、制度上なじまない」と説明している。 同制度は1989年に創設。 「事情の変更」が発生した場合、通常は教科書出版社が自主的に訂正申請を行う。 同制度に基づく大臣勧告は一度も行われていない。(琉球新報 2007年9月29日ーウェブサイトには載っていない)

                                              

政治家の「枕言葉」を誇大に取り上げた新聞報道の例。

「文科省でしっかり検討」 参院代表質問に福田首相  (10/4 17:04)

声反映に「知恵絞る」 作業進めると文科相 カメラ  (10/3 16:02)

訂正応じる、答弁書明記 教科書検定で政府閣議決定  (10/2 16:03)

審議会で再検討も 渡海文科相、訂正申請「丁重に対応」 カメラ  (10/2 16:00)

 

政治家の「枕言葉」をそのまま信じると次のような社説になるという例。 

 

信濃毎日新聞・社説:

歴史教科書 こんな検定は要らない

10月30日(火)

 教科書検定は今のままでいいのか。沖縄戦の集団自決をめぐる記述の問題は、そんな疑問を抱かせる。

 時の政権の意向を反映したような検定意見を出したかと思えば、次には手のひらを返すように記述を変えようとする。こんなやり方は、教科書作りになじまない。検定制度自体を見直すことも考えたい。

 沖縄戦の集団自決で、日本軍の強制があったか、なかったか。高校の日本史教科書での記述をめぐり、文部科学省は迷走している。

 今回の教科書検定は、軍の関与を削除するよう求めた。それまでは強制があったとの記述は認められていたのに、突然の方針転換である。教科書会社は記述を修正し、検定に合格している。

 流れが変わったのは、9月に開いた沖縄県の抗議集会がきっかけだった。検定意見の撤回を求める声に、政府与党が反応した。文科相は「撤回」ではなく、記述の「訂正申請」には応じる考えを示している。

 教科書会社は、軍強制を明記する方向で、近く文科省に訂正を求める見通しだ。27日には、執筆者の1人が申請内容を明らかにする異例の記者会見を開いている。

 混乱を招いた責任は文科省と教科書検定審議会にある。なぜ今回の検定意見となったのか、説明すべきだ。軍の命令はなかったと元指揮官らが裁判で争っていることを理由に挙げているが、納得できない。復古調の色が強い安倍前政権の政治路線と、無縁だったとは思えない。

 結果的に記述削除が間違っていたとするならば、検定意見は撤回すべきだ。教科書会社が訂正を求めたので検討する、では責任をなすりつけたようなものだ。

 検定審議会の中立性もあやうい。検定意見のもととなる調査意見書は文科省の職員が作ったものだ。専門的な見地から十分に検討しての削除要請だったのか、疑問を抱かざるを得ない。

 教科書検定は、戦前の教育の反省から生まれたものである。政府の見解に沿って口を出すような検定ならば、廃止も含めて根本から見直した方がいい。

 歴史の教科書は、とりわけ慎重に扱うべきだ。歴史認識は本来、多様なものである。画一的な見方や考え方を押しつけるようでは困る。選ぶのは学校や生徒の側である。

 教科書検定は、執筆者や出版社の自主規制も生みかねない。従軍慰安婦の問題でも日本軍の関与に触れる記述は姿を消した。

 著者の創意工夫に期待するというなら、明らかな間違いを正すなど最小限にとどめるべきだ。

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