教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

震災6年、鎮魂の朝=「家族見守って」―被災各地で遺族ら祈り・東日本大震災

2017年03月11日 14時09分25秒 | 東日本大震災

12:39

 

東日本大震災から6年目となった11日、被災地は祈りの朝を迎えた。写真は防災対策庁舎の前で献花し手を合わせる遺族の男性=宮城県南三陸町【時事通信社】

東日本大震災から6年となった11日、被災地は祈りの朝を迎えた。「残された家族を見守って」。岩手、宮城、福島各県などの海岸では、遺族らが思い思いに亡き人をしのび、手を合わせた。津波に襲われ町職員ら43人が犠牲になった宮城県南三陸町の防災対策庁舎には、次々と人が訪れた。町課長だったいとこの三浦満夫さん=当時(60)=が今も行方不明という河原竜二さん(65)は「兄弟同然に育った。もうすぐ定年だったのに」と涙ぐみ、「七回忌だが遺骨も見つからず、悲しい気持ちは変わらない」と声を落とした。骨組みだけが残る庁舎は、2031年までの保存に向け、塗り直しなどの補修を終えたばかりだ。3年前から被災地の復旧工事現場で働いているという横畑友信さん(42)も献花し、「復興に携わる者として、亡くなった方に思いをはせたい」と話した。集落が丸ごと津波にのまれた同県名取市の閖上地区。母豊子さん=同(85)=を亡くした川嶋寛さん(66)は、家々があった方向に何度も手を合わせた。「新しい家が建ち始めたが、失ったものが多過ぎて復興の実感はない」。避難誘導中に命を落とした消防団員赤間一雄さん=同(55)=の姉(67)は「震災直後の混乱していた時よりかえってつらい。自分のためより人のため。弟らしい行動だったと思う」と目を潤ませた。身元不明者の遺骨70柱が眠る岩手県大槌町の町営納骨堂を妻(63)と一緒に訪れた山崎悟さん(68)は、兄の勝広さん=同(69)=が行方不明のままだ。孫たちを先に逃がし、家と共に津波に流されたとみられる。震災後に生まれた勝広さんの孫は昨年、幼稚園に入った。「会いたい思いが消えることはない。新しく生まれた孫にも会わせたい」。山崎さんはそっと手を合わせた。今月末に東京電力福島第1原発事故の避難指示が一部で解除される福島県浪江町。午前11時から犠牲者182人の氏名が刻まれた慰霊碑の除幕式があり、100人を超す遺族らが出席した。両親を津波で亡くした団体職員網谷信行さん(42)は「もっと長生きしてもらいたかった。これから町が復興する。見守っていてくれ」と祈りをささげた。 』

東日本大震災が、お起こってから今日で6年目、七回忌です。

亡くなられた方々の御冥福を心からお祈り申し上げます。

天国から残された家族皆さんを守護霊になり見守っておられますよ。

2011年6月4日に「宮城県南三陸町で84日ぶり蛇口から水復旧の廃止されたOCNの私のブログ人に、 小野寺浩さんが携帯電話のメールで2011年6月04日午前 8:29分に送られて来ました下記のメールの内容を本日思い出しました。

『水が出てよかったです。が、それはほんのわずかな戸数。95%以上の住民はまだ困っている状態です。震災後3ヶ月も過ぎようかというこの頃は、住民の疲労・ストレスもピークに達しております。今すぐどうにかして欲しいと、この数週間、最後の力を振り絞ってお願いしてきました。あと、1~2ヶ月かかるというのでは、復興への道が極めて遠くなってしまった。すでに衛生面の問題が心配されています。町民がいなくなります。会社やお店が再開できません。先行きが全くわからない。できれば、誰かの強いお力を貸していただけたら、すぐにでもお年寄りや小さな子供たちが本当の笑顔を取り戻せる事ができるのですが。』

☆小野寺浩さんが、今もお元気どうか本当に心配です。

 

 

 


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